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1990年のシルクロード.その2(パミール高原〜タクラマカン砂漠)


パミール高原

ここはパミール高原である。周りははるか遠く雪山に囲まれ、河がおだやかに流れている。ラクダの群れが見え、菜の花のような黄色い花が一面に咲いている。おんぼろバスの中では軽快な音楽が流れている。まるで夢の中を旅しているような二日間が始まった。

パミールを行くバスからの光景

タシュクルガンに到着

午後9時前、最初の中国領の町タシュクルガンに到着。黄昏時で人も物も長い影を曳いている。空気が澄みきっている。空は相変わらず一面に青。町を囲む山々はうっすらと雪のベールを被っている。町はとても静かだ。人の生活も静かに営まれているように思う。バスの乗客は全員同じホテルに宿泊する。一泊15元(500円)である。明るくて気持ちの良い部屋を一人占めする。

町の中心にある一本の並木道を往復してみた。はっとするような美人がいる。女も子供も明るい赤やピンクや紫を好む。頭にはスカーフをしている。しかし男たちは何故か暗いしょんぼりした衣装ばかりである。

空腹感を覚える。スストを出たときの朝食はゆで卵と紅茶だけ。昼はラワルピンディーで買ったカビの生えた食パンとマンゴジュース。奮発して、白飯にマトン料理、野菜料理2皿と缶ビールを注文した。部屋に戻ると深夜12時。夜の帳が町をつつみ始める。

山と高原を走るバス

目覚まし時計の音で8時起床する。まだ薄暗い。懐中電燈を点けて出発の準備をする。9時タシュクルガン出発。バスは今日もパミールの山と高原の間を快適に走る。コングール(7719m)。ムスターグアタ(7546m)の高峰が近い。雪山は陽を直接受けてギラギラに輝いている。山麓のカラクリ湖岸は美しい所だ。草原の中にバスは長時間停車した。鮮やかな衣装を着た人たち。頭に赤や白のベールをし、顔が陽に焼けている人達ばかりだ。ここも河がゆったりと流れている。道路の決壊箇所では全員がバスを降りてしばらく歩く。反対側から来た日本人夫妻に会う。中国当局は7月一杯、団体旅行以外の外国人旅行を許可していない様子だという。

バスが止まりカーキ色の制服姿の公安(警察)がパスポートチェックにやって来た。修学旅行気分のパキスタン人の態度はあまりよくない。一通りチェックを済ませて発車するバスに例の公安がまた戻って来た。車内にさっと緊張感が走り全員が静まりかえる。公安は一人一人の顔を睨みつけながらコツコツと靴を鳴らしながらゆっくりと歩いて行く。いきなり一人がパスポートを出すよう言われる。彼はまるで蛇に出くわした蛙である。公安はパスポートの中味をチラリと見ただけで、ポイと投げ返した。バスが動き始める。もう安心と思ったパキスタン人達は一斉に公安に向かってはやしたてる。「イェーイ」。

カシュガル到着。

不気味な赤い色をした岩山が延々と続いたあと、バスは山地を離れて砂漠地帯へと下り始めた。雪山が遠のき、気温が上昇する。
カシュガル到着16:40。小さなロバ車が走っている。ラワルピンディーからここまで1300kmである。外国人旅行者の泊まる色満賓館に入る。中国銀行で兌換券を人民元に両替し、長距離バスターミナルへ切符を買いに行く。バスの行き先は叶城、浄甫、莎車などと書いてあるが、クチャらしい漢字が見当たらない。「クチャ。クチャ」と窓口で言っていると、少し待っていろと言う。しばらくすると英語の少しわかる女性が現れた。バスは1泊2日で運賃は29.3元(970円)であった。

夕食はシシカバブ(羊の串焼き)と脂っこい麺である。おいしい。ホータン産と書かれた甘ったるい赤ワインを1本買う。

カシュガル

カシュガルは中国の新疆ウィグル自治区の西に位置し、古くから中国と中央アジアを結ぶ重要な地点であった。ここから南へ行くとインド・パキスタン、西へタジキスタン、北へキルギスへと向かうことが出来る。
住民の大部分はウィグル族である。彼らは回教徒だ。漢族が少ないせいか、街の雰囲気は穏やかである(しかし2016年現在、カシュガルの人口は、その半数が漢族になったという。古い歴史を持つウィグル族の町は「整理」され、例によって漢族の殺風景な「人民広場」が出来、行き交うロバ車も街の中心部から消えているという)。ここは第二次大戦後、中華人民共和国の一部となり、1955年「新疆ウィグル自治区」となった。チベット人と同様、この土地の人たちも漢族による侵略を経験してきた。中国政府の言う「開発」とは植民地化のことに他ならない。発見された豊かな天然資源は漢族に持ち去られウィグル族の生活を向上させていない。ウィグル族の「解放」と「発展」にやって来た漢族に対し、反感が生まれるのは当然であろう。

スイカ売り

カシュガルの町の中心は中国最大のモスク、エイティンガール寺院である。ミナレットから朗々とアサーンの声が流れてくる。寺院に集まった人たちは頭を地にすりつけ祈りを繰り返す。祈りの場は清らかな白楊の木に囲まれている。
街に自動車の数は少ない。小さなロバ車がミズスマシのように走り回る。老人から少年少女までみんな巧みにロバ車を操る。家族の乗ったロバ車が行き、スイカを売るロバ車には人だかりがしている。

ウィグル人は陽気である。
女性の顔は瓜実型である。倍賞千恵子タイプの美人が多い。カラフルな衣装と、頭にはこれもカラフルなベールを巻いている。
子供たちの表情がのびのびとしていい。やはり、鮮やかな赤やオレンジ、ピンク、紫色を着ていて、男の子のまっ赤なワンピース姿もいる。子供たちは路地を走りまわり、写真を撮ってくれと言い、お礼におやつの李を一つくれたりする。

ナンを売る店

手持無沙汰な男たちは通りを見ながら何やら話しこんでいる。床屋できれいに剃った頭にちょこんと帽子を乗せている。
通りを歩くと色々な店がある。シシカバブ(羊の串焼き)の店。大きなせいろを使って蒸しものをしている店。ナンを焼く店。帽子屋もある。身につける短剣を男たちが熱心に選んでいる店。数珠つなぎにしたニンニクを売るおじいさん。職人街は活気あふれる一角だ。金属を叩くにぎやかな音が聞こえ、職人たちは店の外で仕事に余念がない。銅細工をする職人。刃もの職人。ブリキ細工の職人。伝統楽器を作っている店。木工細工の店。

カシュガルの職人たち

シルクロードは果物の種類も豊かである。通りのスイカは一切れ0.1元(3円)、ハミ瓜一切れは0.3元(10円)である。リンゴは4個で2元(66円)だ。昼食に凉皮(うどん)0.2元(6円)と肉入り饅頭2個0.2元(6円)にお茶0.2元(6円)を買った。カシュガルはあまり金の要らない町である。大阪で待つ家族に干しブドウと干しアンズを買った。1kgが8.5元(280円)と7.5元(250円)であった。帰国してしばらくしたころ中からは昆虫が羽化して出てきた。シルクロード産の昆虫である。


クチャ行きのバスに乗り、タクラマカン砂漠を行く。

北京を中心に決められる中国標準時間(北京時間)は、この中国西端の土地にも適用される。人々は彼らの実生活と合わない北京時間に対し、自分達の新疆時間を使う。北京時間の正午12時は、ここではまだ昼には程遠い。そこで新疆時間午前10時としている。クチャ行きバスの出発時刻7時半と書いてある。これは2時間早い5時半(新疆時間)のことなのだろうか。それとも新疆時間の7時半なのだろうか。大事を取って、未明の町をバス停へ行ったがバスはなかった。7時半は新疆時間であった。

おんぼろバスは、出発前に誰が乗車するかでもめている様だった。
座席1番の男の子が泣いている。
やっと問題は解決し動き出したのだがすぐ停車する。大量の荷物を屋根の上に乗せる作業がはじまった。バスはタクラマカン砂漠の北側に沿った天山南路を東へ向かっている。砂嵐の中、視界は悪い。左側は遠く山脈が続き、右側は砂漠のようだ。タクラマカン砂漠は岩石砂漠である。荒々しく、波打つ砂の芸術的紋様を期待する日本人好みのものではない。トイレ休憩のためにバスは時々停まり、乗客たちは男も女も地平線に向かって思い思いの方向に用を足す。

タクラマカン砂漠の手打ち麺

1時半。昼食のためバスは停車する。まずは切ったスイカに人は集まる。
食事は脂っこい麺である。店の男は慣れた手つきでひょいひょいと空中で麺を延ばす。食べ終わった丼には固めた茶葉とたっぷりの湯が注がれる。脂っこい口の中はこれでさっぱりとし、午後の旅を続ける意欲がわいてくる。

バスが動き出す。しばらくして乗客たちが騒ぎ始める。バスの後方、砂嵐の中を懸命にバスを追う人影あり。・・・・。やがて若いアンちゃんがバスのステップにはにかんだ姿を見せる。乗客は一斉に叫ぶ「この間抜けめ!(おそらく)」。
しばらく行くと今度はバスの入口がはずれるという事件が起きた。とは言え、パンクもせずに、無事バスは単調な風景の中を一日走りつづけた。窓の外、動くのは電信柱の列だけである。「月の砂漠」のロマンチックな風景はどこにもない。岩石と礫ばかりだ。隣席のじい様とばあ様は、狭い2人掛け座席にさらに孫をも乗せ、居眠りの合い間はヒマワリの種子を熱心に食べ続けている。バスの床は吐きだしたヒマワリの皮で一面に覆われる。

バスで二人の若い旅行者と知り合いになった。一人は香港から来た周建華君。32歳。設計技師。長身で英語が通じる。この後チベットへ行くという。中国を旅行するバックパッカーがよく持っている「東海大学」の偽学生証を持っている。学割が効く時は有効だという。さらに彼は偽の工作員証まで持っているという。これは友人がくれたそうだ。さすが香港の魔界から来ただけある。感心する。もう一人の青年は劉有林君。南京の暁荘師範の書道教員。落ち着いた風格のある文字に彼の誠実な人がらを感じる。英語はできない。我々は意気投合し旅を続けることになった。


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