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2020年7月映画感想文①プロメア

製作年:2019年
製作国:日本
(映画.comより)
鑑賞日:2020年7月4日
鑑賞方法:レンタルDVD

思いの丈を書き殴っていたら案の定長文になってしまったので単独記事にしました。プロメアを浴びた感想文です。


よかったところ

一番最初の火消し。主線をわざとぼかして色彩が強調された画。そこからダイナミックに変態的に稼働しまくるメカたち。
炎=赤という先入観を全力で無視した炎のカラーリング。色がそのまま色として、画面越しに圧し潰してくるかのようなパワーと勢い、パレットの暴力、色彩の洪水に、無防備な私は完っ全に捻り潰された。ぺしゃんこにされた。

ここだけで、プロメアが一世を風靡した理由を、頭ではなく心で理解できた。映画館でこの洪水に溺れられたら、さぞかし気持ちいいんだろうなあ。これは家で観るんじゃダメだ。視覚と聴覚でお手軽に得られる快楽。映画館で最上級の音質音響で観たい。この時はそう思った。

次にしびれたのがリオドラゴン。公式の名称がこれで正しいのかは知らないけどここではひとまずこう呼ぶ。

ドラゴンは!!!ずるいだろ!!!あんなのカッコいいに決まってるじゃん!!!!!!

クレイに激怒したリオが一般人を巻き込まないという方針を投げ捨ててプロメポリスで大暴れする、というそれなりに悲壮なシーンのはずなんだけど(だよね?)、色鮮やかなドラゴンの躍動感あふれるカッコよすぎるアニメーションで心はもう完全に小二男子よ。特撮で怪獣による街の大破壊を見てる時とほぼ同じ心境だった。

もし声出しOKの上映に行ってたらここで「うわーーーー!!!リオーーー!!!!!」って大騒ぎしてたと思う。キャラデザと作画の大勝利。最高。好き。

ラストバトルはなんか、もう、口半開きで見入ってた。
アニメ映像と台詞からお話を頭で理解するんじゃなく、映像ドラッグを脳に直接注入させられてるみたいだった。

視覚聴覚を通して脳をぐらんぐらんと揺らしてくる。
何が起こってるのか全然わかんないし、何言ってんのかわかんないけど、なんかすごい!!!
そんな圧と勢いだけでラストまで突っ走る。そんなものの細かい動きやら何やらを初見で理解しようって方が無理だわ。

個人的には絶対零度宇宙熱死砲が気に入った。バーニッシュであることを隠し通してプロメポリスの支配者に上り詰めたクレイが『火山だろうと凍結させる』という、業の深さも含めて好き。

今まではネウロの電子ドラッグって、今敏監督の『パプリカ』の夢のシーンみたいな映像なのかと勝手に思ってたけど、ひょっとしたらプロメアの映像も案外近しいのかもしれない。
最初の火消しと、リオドラゴンと、ラストバトルは、視覚で確認しきれなかった部分の再確認も兼ねてまた観たい。
……やっぱりドラッグじゃん!!!!!

映像以外。
ピザ美味しそうだった。プロメアを観たその日の夜に宅配ピザを注文した程度には影響受けた。見出し画像に使ってるやつ。美味しそうな食べ物を美味しそうに食べるシーンがあるのは好き。
ゲラとメイスが自分たちを犠牲にしてリオを逃すところはベタだけど心に来た。プロメアで好きなキャラ誰って聞かれたらこの2人だな。

ここで絶賛タイム一旦打ち止め。
以下はキツい発言が多くなるので好きな作品へのネガな感想を見たくない人はここでお戻りください。






よくなかったところ

これまでにも散々言われているし、私よりもっと博識で知見の深い方々がすでに指摘していることだけど。
あれだけバーニッシュたちへのエグい差別描写や迫害描写を盛り込んでおきながら、

バーニッシュの発火能力の元凶は平行宇宙の生命体で?
地球滅亡をなんとかしたらそいつらが消えて(離れてだったかな)、バーニッシュじゃなくなりました?

っていう真相とオチは、マジで、ない。

『エグい差別描写』と表現したけど、事実、序中盤のガロの差別意識にはかなり引いた。
「バーニッシュでもメシは食うんだな」は知ってたけど、さっきまでバーニッシュが焼いたピザ食ってたくせに「バーニッシュはともかく……」と声をあげたのは割と本気で嫌悪感を覚えた。
直後にアイナが筋の通った言い分でフリーズフォースに反論してたから尚更。

でもここで、製作側は意図的にガロを差別意識のあるキャラだと設定してることがわかったし、きっとこのあとで反省なりなんなりするんだろうと思ったし、実際にちゃんと謝った。そこはいい。ガロの思想にケチをつけるつもりはない。
むしろ(ガロ個人への好悪は置いといて)主人公にここまで言わせるなんて、だいぶ踏み込むなぁ……といい意味でびっくりしたくらい。

で、クレイがバーニッシュを人体実験に使い潰してたことが判明し、ここでもかなりの衝撃を受けた。
差別される側に心が同調して、バーニッシュたちはどうなるんだろう、ガロはバーニッシュへの見方や付き合い方をどう変えていくんだろう、とハラハラしながら観ていた。

だから終盤、差別の元凶であるバーニッシュの発火能力が、

\実は平行宇宙の生命体に寄生されてたせいだったんだよ!!/

と軽ーーく明かされて、そのままストーリーの主軸が、地球滅亡を阻止するSFアクションにすり変わったのに悪い意味で唖然とした。

それまで私の心に少なからず積み重なってた、バーニッシュへの差別・迫害描写の重さ、バーニッシュたちの苦痛や怒りへの共感が、物語の中でまったく消火されないまま、ひたすら勢いで突っ走って終わってしまった。それが私の『プロメア』の印象。
古い顔文字で表すなら、(゚Д゚)←こんな感じ。

とはいえ、正直、それだけならまだいい。ドラマ部分についていけなくなってしまったのは、バーニッシュへ同調・感情移入して観ていた私の鑑賞姿勢の問題なのは承知してる。
実際、『プロメアはそういう真面目なこと考えながら観るもんじゃねえんだよ』って言われたらアッハイソウデスネとしか言えない。これだけならね。

本気で嫌悪感を覚えたのは、作中での差別の扱いがこんなに雑なのに、現実世界に存在するモチーフやシンボルを作中に結構取り入れていたこと。
ピンクトライアングルとか、リンカーン記念堂とか。フリーズフォースはどう見てもゲシュタポがモデルでしょうし。
他にも色々あるらしいけどいちいち全部書くのは面倒なので知らない人はググってください。

この点は本当に無神経だと思う。中学生が自分の漫画に『ぼくの考えた最強のファンタジーにスマホで必死に調べたマイナー神話由来の武器やモンスター』を登場させるのとはわけがちがうでしょ。
差別問題が主題じゃないって言うならそもそもそういうシンボルを軽々しく使うなよ。(無理のある言い分だけど)知らなかったとか偶然かぶっただけだったと言うなら単に製作側が不勉強なだけ。

まとめると。
・現実世界で実際に起こってる、または起こってた差別や迫害を連想させる描き方
・差別の元凶を後出しの設定でご都合的に解消するドラマ

この2つが合わさったのが私的にダメでした。はっきり言って製作側の姿勢が"不誠実"にさえ映る。
こんな不誠実なものを見せられて、『細かいことは何も考えずに頭空っぽにして勢いに呑まれろ!!』は無理。少なくとも私は無理だった。

正直ピンクトライアングルetc.がなかったら、ご都合ドラマだとしてもここまで気にならなかったと思う。
現実世界に存在したorする差別と、作中の設定になんらかのリンクを持たせるなら、もう少し差別・被差別の描写を丁寧にやってほしかった。


前に書いた映画の感想文の中で、『帰ってきたヒトラー』のところにこう書いた。

・(取り扱い要注意のテーマを扱うなら)中途半端が一番の悪手
・やるなら思いっ切りぶっ飛ばすか、そもそもそんな題材を使わないか、の二択しかない


差別問題がこの映画の主題ではないとしても、『差別』という繊細な題材を雑に扱ったことで生まれた粗を、クォリティ天元突破のアニメーションでブチ抜こうとするのは、映画作りの姿勢としてはすごく中途半端だと思うし、結局プロメアは『逃げ』の方向に走った映画なんだと認識した。



最後の最後での所感

ここまで相当ボロクソに言ってきたけど、ラストで全て終わった時、ガロがリオに「火の粉は払う」みたいなことを言ったのはよかった。

実のところ、ガロのこの台詞のおかげでプロメアのストーリー面での見方が、最後の最後で良い方向に(マイナスがゼロに近づいた程度には)変わった。
スッキリこそしないけど、観賞後の後味が"最悪"にはならなかったし、ここでやっとガロの好感度が上がった。

いや、あの、ガロがドラゴンに変身して暴れるリオの怒りを「逆ギレ」と言った時、「こいつマジで私の倫理観とは相容れないな……」と観念してガロへの感情を凍結させてたので。

話を戻す。
発火能力が消えてバーニッシュが元の人間に戻ったからといって、人々の差別意識までもが消えはしない。
この先はテロリストではなく人間社会の中で生きていくであろうリオたちは、まだまだ過酷な目に遭うかもしれない。
ガロだって、リオと一緒にいることで後ろ指を指されたり、今度は差別される側に追いやられることもあるかもしれない。
それでもガロとリオは共に生きていく。
そんな未来が見えたのは、作中でのバーニッシュの苦痛と怒りに本気で同調してしまってた私にとっては、むしろ救いだった。


でもそのへんは観客に想像の余地を残すんじゃなくて!!!ちょこっとでもいいから本編でやってほしかったな!!!
エンドロールで一般市民のリオたちへの差別的な目線がまだまだ残ってるのを見せるとかやりようはいくらでもあるでしょう。
結局、『プロメアは逃げの映画』という認識自体は、やっぱり改められそうにない。


まとめ

最初の方では『また観たい』と書いたけど、それはあくまで映像面の話。
作品そのものを一から観返せるようになる=観てて感じた嫌な点や不満点を受け入れられるようになるまでは、まだまだ時間が必要そう。
まぁ、数年もすれば案外、こんなに長々書いた文句や不満を何も感じずにサラッと観れる心理状態になってるかもしれないし。

ただ、映像に見入ってしまって、それ以外の細かいことがどうでもよくなる経験は、アニメ映画に限らずこれまでにも何度かあったけど、
ストーリー面に嫌悪感や呆れといった明確なマイナス感情を抱いたのに、アニメ部分には純粋に感動した、すげえええ!!!って思えたのは、たぶん初めてだと思う。
今までは、観ている最中に物語に価値を見出せなくなると、どんなにきれいな映像も心に残らなかったから。
それだけ『プロメア』のアニメーション部分は図抜けて素晴らしかった。

とりあえずプロメアが下敷きにしてるらしいX-MENシリーズを今度の機会にじっくり観てみようと思う。家のHDDに録画があるのに何気に今までちゃんと観たことなかったな。




一番大事なことを書き忘れていた。


堺雅人はヤバすごかった。ほんとに。

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