タフネスって何だろう
数日前から帯状疱疹を患っている。首から右肩にかけてひどい水疱がでてきて皮膚がただれ、何か恐ろしい爆発事故にでもあったかのような有様になった。
半休をとって駆け込んだ皮膚科で、患部にたっぷりと薬を塗られて首と肩をしっかりとガーゼで覆われた。首回りが広めに開いた服を着ていた私はとても痛々しい風貌になってしまった。
「こんな見た目だと、なんだか随分具合が悪いように見えてしまいますね」
そう言ってぼやく私にすかさず看護師さんは言った。
「あなたは随分具合が悪いんです。それで正解です」
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帯状疱疹は疲労やストレスが原因で免疫力が落ちることによって発症する病気だと言う。
愕然としたのは、私自身は自分がそれほどひどく疲れていると全く気付いていなかったということだ。身体からこんなに強いアラームが出るほど自分が追い詰められているなんて、微塵も思っていなかったのだ。
それでも、振り返って冷静に考えてみると思いあたることはいくらもある。
家族の暴力からの逃走と離婚という激動の一年半ほどを息つく暇もなく駆け抜け、そのまますぐに転職活動に突入した。転職活動には数か月間を要し、強い緊張が続いた。並行して仕事もいつも通りにこなさなくてはならない。直近では、通常業務に加えて社内で発表する論文を書くことを課せられて、夜遅くや休日にも仕事をすることが続いていた。転職先が決定してからは、退職に備えて引継ぎのことも考えなくてはならなくなった。
改めて書き出してみると、随分自分に無理をさせてきたものだと思う。疲れてしまうのが当たり前だ。
それでも、私は自分がひどく疲労していることをほとんど認識していなかったのだ。確かにしんどいことはたくさんある。それでも身体は動く。食欲もある。睡眠もとれる。私はオーケーだ。そう思って過ごしてきた。
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自分がタフな人間であることに自信があった。
それなりに多忙な仕事を10年間続けてきたという自信。
家族に暴力を振るわれた時も、そこから逃げ出した時も、周りの力を借りながら自分でやり抜いたという自信。
スポーツは得意ではないけれど、身体はしっかり頑丈にできており、食欲と睡眠欲は何があっても絶対に落ちない。
今回、体調を大きく崩してみて思うのは、実は私はタフなんかではないのかもしれないということだ。つまり、私はただ単に鈍感で危なっかしいだけなのかもしれない。
本来ならば、きちんと疲労を感じたり、具合の悪さを感じたりするべきところで、それを感じることができない。しんどい局面でも動き続けることができるから、一見タフに見える。それでも、意識していないところで身体や心には疲労が折り重なっていく。そしてある日突然、蓄積された重さに耐えきれなくなった身体が一気に悲鳴をあげることになる。
タフネスって何だろう、と思う。
自分の痛みを感知せずに動き続けることは、きっと本当のタフネスではない。そのようなタフネスには明らかに限界があり、持続することができない。
本当の意味でのタフネスは、自分の状況を正しく把握して、それに素早く対処できるしなやかさを持つことだ。例えば、疲れている自分に気付き、しっかり休息をとること。身体の具合の悪さを察知し、ときには人に何かを断る勇気を持つこと。
自分の身体の声を察知するのはきっとそれほど簡単なことではない。それはとても小さく、遠慮がちな声なのだ。だから、しっかり耳をすましていこうと思う。毎日、自分自身ときちんと会話しようと思う。
まずは帯状疱疹を治さなくてはならない。観念して認めよう。
「私はいま、随分具合が悪いです」