【過去生のわたしを癒す】人斬り侍だったことがあります
過去生を知り、過去のわたしと繋がり共感することで
過去と現在のわたしを癒すことができます。
すると、
いま、ますます生きやすくなっていきます。
そんな、
わたしの経験をご紹介しています。
かなり前に、
これも人から教えていただいた過去生です。
武士というのか侍というのか、
その違いは、細かいことを言えばあるみたいですが、
侍の方がなんだか好きなので。笑
教えていただいた過去生は、
「多くの人を殺めてきた侍」です。
その過去生で感じていた、
「なんでも自分でやらなければならない」という感覚が
現生のわたしも握りしめているため、
人に頼ることが苦手。
もっと人に頼っていくことがとても大切。
というアドバイスをいただいたのを覚えています。
わたし、長女ということもあって、
そういう感覚があることに違和感はありませんでした。
そういうもんなんだろうなと。
それに、
幼いころから、
自分でできるように
勉強も技術も身に着ける連続だったでしょう?
だから、
できることは自分でやるっていうのが
大人の当たり前だと思っていました。
でも、それだと
やっぱり疲れてきて、
エネルギー不足になっちゃうんですよね。
やりたいことをするまえに
やらなければならないことをこなす日々。
いつまで経っても、やりたいことができない。
数年経って、
自分でも過去生をみることができるようになって、
あの人斬り侍は
どんな人生を送っていたのだろう?
と、ふと思い、確認してみることにしました。
(全く関係ない話ですけど、
高校生のとき、「御家人斬九郎」という時代劇にハマりました。
渡辺謙さんがされてたんですけど、
貧乏御家人のため、内緒で頼まれた人斬りをやるというような
内容だったと思います。
原作も買ったくらい。)
人を斬ることに抵抗はなかった。
それが、自分にとって生きるということだったから。
自分が生きるために、食べるために、
自分を守るために、
頼まれれば、何人でも斬った。
斬ることに感情はなかった。
ただ、淡々とこなすだけ。
そんなことに心を揺らしていたら、
なにもできなくなる。
わたしは強いわけではない。
日々、淡々とこなすことを繰り返せば、
心は反応しなくなる。
人を殺めた数はもう数えられない。
だから、
わたしが亡くなったのちは、
地獄へ落されるだけのこと。
この侍の人生は、
斬られて終わりを迎えました。
とてもとても高さのある冷たい滝の下、
斬られて、水の中に倒れました。
人に看取られるわけでもなく、
ただ静かに終わりました。
水の中で息絶えたことが
最後、幸せのように感じた人生でした。
気づけば、いつも一人でした。
幼き頃、いつの間にか家族は居なかったし、
自分でやらなければ、生きてこれませんでした。
こういう生き方しかできませんでしたが、
自分で納得した上での生きた道でした。
この過去生でのわたしの想い、
そして、人生の最後を知ることで、
わたしは、
「自分一人でなんでもやらなければならない」
という呪縛が
スルリと溶けてなくなったように感じました。
一人で、人を殺めなければ
生きられなかった人生。
その過去生に触れることで、
過去生のわたしも
現生のわたしも、同時に癒されたように感じました。
過去も現在も未来も
同時進行で進んでいると捉えたら、
どんなにつらい体験も
自分自身で癒して、浄化させることができます。