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「み」Minnie Ripertonと新しい音楽との出合いについて

 やっと世界を救えました。100時間かけて裏ボスまで撃破です。いやあ、やっぱりドラクエって良いですよねえ。子どもたちってよりもうおじさんのやるゲームジャンルになりつつありますよね。RPGって。ファンタジーより現実のほうが受けるんですかねえ。FPS系ばっかり甥っ子たちもやってます。

「み」は何にしようかなあとも思ったんですが、ミニー・リパートンにしようかと思います。ミニー・リパートンの代表曲と略歴から。

70年代の名曲ですね。一度は聴いたことがある人も多いと思います。

全米1位シングル「Lovin’ You」が、最も良く知られている彼女の曲だ。しかし、ミニー・リパートンにはこの大ヒット曲以上に、素晴らしい魅力が沢山ある。シカゴのサウスサイドで生まれ育ったミニー・リパートンは、最初はダンサーとしての才能を見出されていたが、その非凡な声を磨くために、リンカーン・センターでオペラのヴォーカル・トレーニングを始めた。彼女が歌う曲では、ヴォイス・コントロール、呼吸法、発声法に集中している歌声が明らかに聞き取れる。
ミニー・リパートンは彼女自身のヒット曲を地元では持っていたが、1967年までは、チェス・レコードの秘書として働き、その後でサイケデリック・ソウル・グループのロータリー・コネクションに加入。ロータリー・コネクションはチェス・レコードの共同創始者、レナード・チェスの息子で、後にローリング・ストーンズ・レコーズの社長になったマーシャル・チェスのアイディアで生まれた。
『Come To My Garden』で幅広い認知を受けることができなかったミニー・リパートンは、音楽活動から一時退いて、ソングライターの夫、リチャード・ルドルフと家庭を築き始めた。しかし、1973年に、彼女のデモのひとつがエピックとの新しい契約を導き、彼女の曲のファンであるスティーヴィー・ワンダーが、1974年のアルバム『Perfect Angel』を共同プロデュースすることになった。モータウン界のスーパースターであったスティーヴィー・ワンダーは、このアルバムに彼自身が書いた2曲、アルバムのタイトル曲と「Take A Little Trip」を提供している。udiscovermusicより

中々ヒットに恵まれずに家庭を築いた頃にかねてよりのファンだったスティービー・ワンダーの目に留まったことによりヒットソングを含めたアルバムを発表。その後数年で乳癌により亡くなってしまうという方だ。

新しい音楽との出会い方 AI編

 皆さんは新しい音楽とどのようにして出会うだろうか。

最近ではAIがSNSの閲覧履歴を参考にしてインスタやYou Tubeが勝手に新しい音楽をおすすめしてくれる。これでとても素敵な出会いを最近私もした。ちょこっとだけ紹介させてください。ヨナヨナウィークエンダースというどっかのビールみたいな名前をしているバンドなのだが抜群にかっこいい。このきれいなメロディと社交ダンスの組み合わせ。ありそうでなかったとはこのこと。最高です。

 インスタの広告といえば20代後半の男性陣は出会い系アプリと相場は決まっている。どれだけ私達に女性とあわせようとするのか。お見合い写真を持ってくる母ちゃんレベルのウザさでこの広告はすきを見ては私達に降り掛かってくる。そんな、出会い系広告以外の広告で音楽を勧められた。これは聴くしか無い!ということでSpotifyで聴いてみたところ抜群にいいのだ。普段からインスタなどで音楽を紹介していることもありAIも中々良い審美眼を持っている。お願いだから、ペアーズはもう来ないでください。

新しい音楽との出会い方 手動編

 こんな時代になる前の私達は新しい音楽を探すのは自分の勘とひたすらに有り余る時間を使って人海戦術でグッドミュージックを探し続けていた。中2になると理系の父親のおかげで早々に一人用のパソコンを買い与えられた。そして、その頃と言えばあるサイトの全盛期だった。ニコニコ動画だ。もう響きを聞いただけで懐かしいですよね。そして、中3の頃だっただろうかこの動画と出会うのだ。

2008年くらいまでの洋楽をさらいたければこの動画が私の中では一番だ。そして、この動画から私はミニー・リパートンと出会う。ここから、コメントを参考にしてメモを取ってはTSUTAYAへ駆け込むという毎日が楽しくて仕方なかった。なので、音楽人生のスタートは邦楽からなのだが中高と私は洋楽の方を聴く機会の方が多かった。そして、2000年代よりかは、昔の曲のほうが聴き馴染みが良かった。久々にこれを聴いてみたのだが、もう殆ど歌える。スタートが雨に唄えばっていうのもいいですよね。そこから、マリリンモンロー。アメリカというエンタメ大国の濃縮したものをどんと出されているような恐ろしいものに出会えたことが今のこの人生のスタートになっているんではないだろうか。懐かしいものですし、もう削除されてるかと思っていましたが残っていてちょっと泣きそうになりました。

切り売りパート ネ友(死語)編

 2000年代はまだSNSなんてものもあんまり世間一般には浸透しておらず、実名でSNSやるって時代ではなかったですよね。懐かしい。たった十年ちょっと前ですがネットリテラシーというものもこの時と今では違っていることが多いだろう。本当にこの十年でネット界隈って変わりましたよね。

そんな私にも当時ネ友という方々が居た。実名ではやらない分、自分以外のアバターを動かし、人と接していくという仮想現実がネットの醍醐味だった。そこで私が一時期入り浸っていたのが@ゲームスというサイトだった。「久々にログインでもしますかね」と久々に見てみたところ。ついに閉鎖されていた。

クイズや大富豪など知らない人と時間を一緒にして、チャットルームで自分が話したい話題のルームに入っていたりとある意味その時部活もやめて、中途半端に音楽をかじっているだけの自信を持てなかった自分にとってはもう一つの自分を作り上げて人と会話できるということが楽しくて仕方がなかった。

その時に自分を形成することになるチャットルームに出会う。

名前が「入り口はココ」という名前だった。間違って押してしまいそうな名前で半分釣りのような名前であったがここで出会った人達が私の唯一のネ友だ。その時の常連の人達のHN(ハンドルネーム)を今でも覚えている。

〇〇みまくり、◯な、◯Gなどなどいや〜懐かしい。この人達と毎夜毎夜チャットしていたのだ。チャットなのだよ?文章だけなのだよ。そんな事今では絶対にできない。懐かしいものです。

そこで本当にリアルで会ったことがある人達もいる。未だにライン等でも繋がっているし、ちょうど自分が楽器をやっていたこともあり、御茶ノ水を年に一回ウロウロする会みたいなのをやっていた。よくよく考えるとすごいことだ。初めて合う時は顔さえ見たことがないんだから。ネットに自分の本名と顔写真を映すということはそれだけ危ないことだったのだ。

ある意味で自分の顔を晒すということが相当相手を信用したということのバロメーターになっていた。今はそんな事もない。ペアーズなんか最初から顔写真と免許証必須だろう?どんな事になってしまったのだこの世は。なんにせよ、顔写真もあれなのに実際に会うってすごいことですよね。それでも会うってんだから今でも繋がりがあるのは頷けます。なんなら、私の高校最後の文化祭のライブにも来てもらったなあ。懐かしい。そういう関係って今の世の中でもあるんですかね?

コロナが収まったらまた会いに行きます。多分この記事も読んでいることでしょう。拝啓、あの頃からのネ友へ。あいも変わらず、私は女性にフラレてばっかりです。

では、また。

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