「せ」ceroと偏屈な愛情表現
昨日はハードなバンドを紹介したので今日はポップに。日本のシティポップ再興の祖と言っても良いのかな。cero(セロ)です。
バンドの説明を
2004年結成。メンバーは髙城晶平(右)、荒内佑(中央)、橋本翼(左)の3人。これまで4枚のアルバムと3枚のシングル、DVDを3枚リリース。3人それぞれが作曲、アレンジ、プロデュースを手がけ、サポートメンバーを加えた編成でのライブ、楽曲制作においてコンダクトを執っている。今後のリリース、ライブが常に注目される音楽的快楽とストーリーテリングの巧みさを併せ持った、東京のバンドである。 公式サイトより
言い方は良くないかもしれないが、見た目としては、どなたもどこかの街ですれ違いそうな人々。だからこそ、人を見て、街を見た曲を書いてくれる。目の前のあの子についての愛を歌っているというよりは、より普遍的な。恋人というよりは人、ひいては街。そんな曲への愛が伝わりますように。
3.11 TOKYO 大停電の夜に
2011年3月11日この日を境に沢山の人の人生の道標が曲がったことだろう。その二ヶ月前にceroのデビューする曲がYou Tubeで公開された。
奇しくもあんなに大きく壮大に感じていた東京のある町、ある町が大停電となった。停電が来るかもしれないと不安な中でギリギリまでネットの海を彷徨い不安を紛らわす中でこの曲に出会った。街を描くバンドは数あれど、ここまで普遍的で詩的な表現で自分の住んだ街を想起させるようなバンドはceroが初めてであった。
カクバリズムの躍進と2010年代
今までの記事にも2010年代に入ってからインディーズレーベルとメジャーレーベルの差がなくなってきたということは書いてきた。そのインディーズレーベルの雄としてあげるとすればceroの所属している。カクバリズムを挙げる人が多いのでは無いだろうか。一時期所属していたアーティストも含めるとそうそうたるメンツである。
YOUR SONG IS GOOD
キセル
cero
片想い
VIDEOTAPEMUSIC
在日ファンク(浜野謙太)
思い出野郎Aチーム
SAKEROCK
星野源
スカート
もう、どのアーティストを切り口にしてもその当時、そして今のシーンについて話せるくらいには影響も存在感も大きい方たちばかりである。レーベルを設立した理由も「角張渉(レーベル社長)がYOUR SONG IS GOODの音源をリリースするために2002年に設立。」したというのだ。自身の経験と耳からいいバンドを世に発表するというスタンスを今でも貫いている。こういうスタンスこそインディーズの格好いい生き様であるし、こういったところからシーンを変えるような芽が出ていたんだと再確認する。
ちなみにカクバリズムの物販サイトから商品を購入すると、毎回商品だけでなくレーベルのステッカーや、購入してくれてありがとうという手紙が入っている。ネットを通じても人が見えてくるビジネスを行っていることがこのレーベルの一番の強みなのかもしれない。
音楽の交差点
こんなこと書きながら実はセロのライブには最近まで行ったことがなかった。初参戦したライブがセロ主催のスタジオコーストを一日貸りて行われた「Traffic」というフェスだ。
出演したアーティストはこのような感じ
正直、chara以外のメンツについて、ちょいちょい聴いていたが知らないようなアーティストもおり、未知の音楽と交差するようなライブだった。そういう意味でのTrafficの通り、すれ違った音楽たちに魅了されるフェスとなった。ライブスペースも半屋外の小さなスペースでHIP-HOP中心のアーティストが出演し、バンドセットのアーティストはライブハウスを使用し、交互に演奏していくというものだった。そして、大トリのceroが出ることには会場は大熱狂。
何よりその前のcharaの破壊力がすごかった。正直なことを言えば彼女を過去のアーティストだと思っていた。しかし、そんなことはなく歳を重ねても女の子って女の子。年を重ねたなりに輝いていたいよねと語りかけながら圧倒的エンターテイメントライブを目の当たりにした。圧倒された。これがあるからライブはやめられない。一緒に行ったサークルの同期の女の子も初ライブ参戦にも関わらず心底感動したようで、彼女もそこからライブというものにハマったようである。
最後のセロもトリに恥じない最高の演奏と情熱を与えてくれた。
会場全体がバンドの作り上げるグルーブに乗り、周りを見渡してみると、みんなが思い思いにリズムを取りながら、時には口ずさみながら、このライブという不可逆的なものを今持つ全身全霊で堪能していた。
もう、難しい言葉とか抜きにして、「死ぬほど楽しかった!!!!」
おまけとして書いておくと、外の飲食スペースもフロントマンの髙城さんのこだわりがあり、エスニックな飲食店しか無かったのである。タイカレー(なんと3店舗も)やケバブなどの今のアジアシーンの熱を食から感じていたのだろうかと思うくらいにはスパイス臭に覆われた飲食スペースであった。昨年も開催はなく、今年も難しいだろう。ただし、開催されればまた絶対行きたいと思えるフェスであった。誰か一緒に行きましょう。
切り売りパート 街の報せ センシティブな 編
職場の仲のいいやつらにだけ、このnoteで書いた記事を送りつけている。文書化しただけでもパワハラですか?と言われそうだなと我ながら思うがこの送った人たちが毎朝、あいさつもそこそこにコメントをくれるのである。時には、次はどうするの?こういう事話してくれたよね?とばかりにネタ提供までしてくれる。そんな彼ら彼女らに支えられて私は書き続けられます。ありがとう。そんな、コメントの中で言われた一言を掘り下げていきたい。
彼女をHとしよう。Hには最初の「あ」の記事から送っており毎回感想をくれる。そして、どの記事だっただろうか。
H「あなたってめちゃくちゃ小さなことでも自分で特別に感じたらものすごい感動できるよね」
この言葉にハッとさせられた。今までこのような形で文書化してこなかったからわからなかったが、私は毎度毎度色んなアーティスト、そして好きになった女性にこれでもかと言わんばかりに感動し、感情移入をする。そして、それを他に向けて発露、言語化する。そして、だいたい愛情の交通事故を起こす。
H「そんなにみんな音楽を1曲1曲聴いてあんなに感動しないよ」
私「なるほど、、、、」
思い返してみればそんなことだらけで例を出すのさえ億劫になるレベルである。
でもまあ、一つくらい聞いてください。
昔、ある奴らと鎌倉に行った。(また、江ノ電沿線かいとお思いだろう。)
その時、あまりにもその旅に感動した私はその時に録った映像や、みんなが撮った写真を駆使して曲に乗せたPVまがいのようなものを作成した。これは自分が感動したことによる表現の発露なのだが。まあ、傍から見ればかなりの痛々しさであることは否定できない。
H「私が一緒に行って、そんなことされたら(えっ)って驚いちゃう」
もうHの言うとおりである。こういう何かに対する愛し方がオタク的であることは今に始まったことではないのでもう治せないと自分でも感づいている。癖(へき)は治せないのである。
でも、でも、、、、カット割り含めて中々に良い映像作れたんだよなあ。と述懐する日曜日の夜です。心の中のリトル・ホンダばりにHに普通の人に戻してもらえることでなんとか普通のふりして生きています。いや、ばれてんのかな。
ちなみに使った楽曲はceroの「街の報せ」。ご一聴を。PVまがいを見たい方は直接私まで。
では、また。