「と」透明雑誌とアジアカルチャーのパンチ力
今回はよりニッチな記事になることです。ご容赦ください。「と」なのでtofubeats書こうかとも思っていたんですが(何なら1000文字位書いてある)、やっぱり透明雑誌だな!!これ書かなきゃ。となった次第です。皆さんの音楽の輪が広がりますように。
さあ、今回紹介する透明雑誌(トーメイマガジンと読みます)は台湾のナンバーガールとも言われてるバンドであり、本国でももちろん大人気であった(らしい)。2012年くらいにタワレコのインディーズコーナーをウロウロしていた貴方!!貴方も目にしているはずだ。
とりあえず簡単にバイオグラフィを
台湾・台北出身のオルタナティヴロック・バンド。メンバーは洪申豪 (g,vo)、張盛文(g)、薛名宏(b)、唐世杰(ds)の4名。バンド名はNUMBER GIRLの楽曲「透明少女」に由来。ピクシーズ、ソニック・ユース、スーパーチャンク、キャップン・ジャズなどに影響を受けた面々により、2006年に結成。翌年のEP『透明雜誌 4 TRACKS EP』を経て、2010年にアルバム『僕たちのソウルミュージック』を発表。2012年にEP『透明雜誌 FOREVER EP』をリリース。 タワーレコード公式より
まあ、紹介文なんかよりもこのバンドのロゴを見てほしい。
あなたは何を感じただろうか。さあ、スタートです。
アジアとの接近
透明雑誌との出会いは忘れもしない大学に入学して、あんまり仲も良くない奴らとそこそこにやりながらなんとなく気を使っていた入学序盤の頃である。中学生の頃からの癖で自分のホーム駅に着くとタワーレコードとディスクユニオンに行くことがルーティーンとなっていた。そんな春のタワーレコードの試聴機の前で彼らと出会った。今でもこのコーナーのこの棚のこの段の右から何番面で試聴機の番号は何番と言えるくらい鮮明に覚えている。色鮮やかなジャケットになんだか表現しづらいメンバーたちがそこには写っていた。
なんで鼻血を出しているのか。なんなら、ギタボの彼は顔が見えない。そしてこの色。ウィーザーのファーストを彷彿とした。さあ、試聴機に手をかけてディスクナンバーは2だった。曲のスタートだ。静かにジャムっているかのような1曲目から急にこれである。
ストレートなこのパンクチューンに一気に心を持っていかれてしまった。(おいおい格好良すぎるだろうと)しかし、何を言っているかはわからない。当然である。中国語で歌っているのだから。しかし、どこか懐かしいようなメロディラインに乗って彼は歌っているのである。
そして、次の曲も最高だった。まずタイトルが「性的地獄」なのだ。ああ、ナンバーガール好きなんだろうなあ。そして、聴いてぶったまげた。
謎のミイラが登場するので3分くらいまで飛ばして視聴してほしい。歌詞も日本語に翻訳したものを乗せてくれるので御覧ください。この衝動的な曲とマッチした、焦燥感のある歌詞。これだけでロックキッズならご飯何杯食えるだろうと当時は何回も思ったものだ。
最後のオチなんかも日本に居たら思いつかないだろう。馴染みがあるようで無いような不思議な音楽との出会いであった。大学入学した頃はこのCDを死ぬほどリピートしていた。
ここが私のアジアミュージックの入り口だった。本当に申し訳ないが舐めていた。Kポップ等があることは知っていたが、隣の国にこんなかっこいいバンドがいるんだと知らされた一枚です。最近LPが出されて、すぐ売り切れるくらい日本でもコアなファンが居るバンドです。
アジアミュージックシーンの底力
サブスクによる音楽生活の変化についてはよく書いてきたがその良い例を書いていきたい。音楽サブスクリプション。ようは、月々1000円そこそこを払ってそのアプリケーションに登録されているアーティストの曲が聴き放題になるというサービスだ。
これのおかげでCDを買わなければ聴けない(試聴機にあれば聴けるが)ということが無くなりハズレのCDを掴まされずに済むようになるし、CD屋でウロウロするという手間と流通から音楽というものが開放された。フラゲ日にCD屋まで赴いて放課後にCDを買い、まずはジャケットを見てニヤニヤし、やっとのことで自室についてからiTunesに曲達を落とし込む。もう、曲自体を聴くまでにどれだけのインターバルがあるのか。今ならば、発売日のその日、朝起きた瞬間から曲が聴けるのだ。これがどれだけ幸せなことかということだ!!!今の十代に伝えたい。まあ、うざがられて老害みたいなこと言われることは目に見えているので言わないでおく。私にだってちっぽけな自尊心くらいある。そんなことはどうでもいい。音楽業界はBtoCで有ることに変わりないが限りなくCtoCになったとでも言おうか。
この「サブスクリプション」のおかげで本当にたくさんの国の音楽と触れ合える様になった。例えば、タイの北部の主要都市チェンマイ出身のYONLAPAを挙げよう。
一聴すると90年代のオルタナ系かなと思うだろうが、聴けば聴くほどにこのアジア独特の湿気を持ったギターのサウンドと田舎街ならではの開放感あるサウンドの虜になってしまう。東京ではこういうサウンドは鳴らせない。これがチェンマイのバンドのサウンドなのだ。アメリカのバンドよりも親近感が湧くのは民族的なものだろうか。不思議と聴いたことあるようなバンドが沢山出てくる。まるで初めて見つけた自分の写真アルバムをめくっているようなそんなような。
そして、ファッション的にも似ているのである。日本で歩いていてもお洒落だなと思うくらいなのだ。素敵なアジアミュージックシーンの旅へみなさんも行ってみてはいかがだろう。最後に最近公開されたライブの映像おいておきます。
切り売りパート 不定期連載 台北一人旅編
こんな記事を書くくらいには私はアジアにはまっている。ヨーロッパよりアジアだ。どの街を訪れても、湿気と汚さにある純朴さと美しさに美学を感じるのである。その街、街に癖みたいな物があってそこに惹かれていく。そして、一昨年私が熱狂していたのが台湾、中でも台北だ。
2019年春頃の本屋に行けば必ずと言っていいほど旅行コーナーには台湾の本が一番前に並んでいた。POPEYEという雑誌をよく購読している私は、ご他聞漏れずに台湾特集に乗っかるPOPEYEの記事を読みに読み込み、(これは今年行くしか無い)とミーハーな感じで思い立ったのだ。
そして、季節は進み夏の終わり、私は一人でパックツアーとかではなく宿と航空券のみを予約して台北に乗り込んでいった。海外旅行経験こそあるものの一人旅というものは不安と楽しみのどちらもを高めてくるやつだった。
持ち物はシンプルにその日の着替えと、POPEYE一冊。スマホも持っていったが基本は自分の足と雑誌についてくる地図を片手に台北旅行を始めた。
まずは、空港から高速鉄道に乗って台北駅まで行く。この高速鉄道が最近日本の色んな駅で看板を出しており、台湾旅行の人気を物語っているようにいつも感じる。
台北駅から宿までは結構あったのでタクシーに乗って住所を伝えてレッツゴー台北の町並みを眺めながらタクシーに15分くらい揺られたろう。降ろされたところは若干の路地に入っており、私のドキドキ感は加速していった。
この狭い道に入っていくのだ。しかも、降ろされたホテルでチェックインしようとしたところ、名前がないと言われた。
(あ、これは終わったか、、、、)となった瞬間である。スマホの画面を見せてくれと言われ見せてみると、これは隣のホテルであることを伝えられ私は生気を取り戻した。
右が間違ったホステルで奥のレインボーな看板が私の宿であった。いや、看板分かりにくすぎだろう!!
(あの運転手め、、、)と悪態づいているが、店の看板も見ずに入っている私のほうが悪いのであってあのおじさんは何も悪くない。一旦間違った宿の看板を見て納得。一文字たりとも泊まるはずの宿の文字はなかった。
さあ、やっとのことでホステルにチェックインできた。まあ、安さで選んだ宿なので期待はしていなかったが意外にキレイであった。
しかし、部屋に窓が無いのだ。どうでもいいと思う人もいるだろう。この、部屋に窓がないということだけで一気に部屋は無機質になる。どの時間に起きたり、寝たりしようともずっと同じ明かりの調子。私は寝る時だけこの部屋にいようと決意し、早々に暑さがまだ残る夕方の台北の街へ繰り出していった。
と言ったところで長くなってきましたので。では、また。
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