ぶっ壊す。(『止められるか、俺たちを』)
10年くらい前の冬の吹雪の日、ブルブル震えながら家のチャイムを鳴らしてきた1人の青年がいました。こんな日に何してんのかなと思ってドアを開けると、10枚組1,000円のポストカードを売りに家々を歩いて回ってるらしく、かわいそうだったので買ったんですね。すごく良い青年だったし、あまりにもかわいそう過ぎて見てられなかったのですが、後で帰ってきた母親にそのことを伝えると、あまりよろしくない押し売り方法だそうで、その青年を使ってる本部みたいなところに、「良くないんじゃないか??」みたいな電話をしてました。
まあ、買ったものは戻せないし、俺自身はあまり悪い気もしてなかったので、さてポストカード、どこに飾ろうかと。まあ、だいたいお決まりの場所といえば、トイレ。
ポストカードに書いてあるメッセージは、だいたいベッタベタのベタ。「月も空も美しい。それに気づく心も美しい」とか、「笑顔でいよう」的なものが大半を占めてる中で、ひとつ、
「憎しみは、この世で1番大きなエネルギー」
というハードめなメッセージがひとつ含まれてたので、妙に惹かれるものがあった。そういえば、今年大ハマりしたドラマ『梨泰院クラス』で主人公・パクセロイが父親の死からの再生の原動力となったのも、「復讐」だったなあ。何かに対する破壊衝動や、憎しみが小さな渦を作り、次第に大きなうねりとなって、新しい体制や文化を作り出す。
『止められるか、俺たちを』では、若松孝二監督の助監督として実在した吉積めぐみさんを主人公に、若松孝二監督の映画作りへの強烈なエネルギーと、対照的に作りたい映画がわからない吉積さん自身の葛藤が映し出されている。
映画を見ていて思わず若松監督の言葉をいくつかメモした。
「飯食ってクソして寝るだけで何が面白い?」
「お前、何をぶち壊してえんだよ。俺はぶち壊したいよ、映画界を」
「映画の中でなら、警察もばんばん殺せる」
当時、ピンク映画で若者を熱狂させていた映画を作り出していた若松プロダクション。その輪の中心に、上の言葉を放ってしまう、燃えるほどのエネルギーと反骨心を持った若松孝二監督がいたからこそ、熱を帯びた作品を世に放てていたんだろうなと思う。
映画の時代は1969年なので今とは、文化も服装も違うし、路上喫煙もタバコの値段も違う。ただ、面白く生きていくために必要なエネルギーって今も昔もそう変わらないのかもなと思った。日々の悩みや苦しみや憤りって時代を問わず存在する。クソして寝て忘れようとするのか、強烈なエネルギーをもって自分が得意とするステージに持ち込み、作品に昇華して世の中に投げかけるのか。全てがこの二択では無いけれども、「昇華」って生きる上で大事な能力だなあと。
いま、何かを憎しみ、反抗するとしたら、匿名で簡単に人を口撃できる風潮をぶっ壊したい。自分を晒す覚悟を持たず、弱者を晒しあげる世の中をぶっ壊したい。「こんにちは、でしょ?」と子どもに言いつつ、自分は挨拶できない大人がたくさんいる社会をぶっ壊したい。コミュニケーションありきのお店に来て、イヤホンしながら注文して、質問すると聞こえずに「はい?」とイヤホンを外して聞き返して来る人間がわんさか溢れる社会をぶっ壊したい。