ガンダムSEEDシリーズの魅力①:SEED前半の設定
ガンダムSEEDシリーズは、私の中で唯一無二のアニメである。
小学校で出会い、それから今まで忘れることなく、気づけば気に入ったシーンを観たり、曲を聞いたりしてきた。
折角なので、なぜここまで好きなのかを少しずつ言葉に残していきたいと思う。
好きな理由の中で、今回はSEED前半の設定について、まとめてみたい。
ガンダムSEEDは、遺伝子操作されていないナチュラルと、遺伝子操作されているコーディネーターが、地球とプラントに分かれて戦っている世界である。
ナチュラルかコーディネーターかは、生まれたときに既に決まっており、変えることが出来るものではない。
ナチュラルvs.コーディネーター。
構図が簡単な世界観の中で、主人公はコーディネーターなのに、ナチュラル陣営で戦わなければならなくなる。
ナチュラルは、自分と違う者という異物感だけではなく、遺伝子によって優れた能力を発揮するコーディネーターに対して、嫌悪感や劣等感を抱く。他方、コーディネーターは、自分達が優越種であると、ナチュラルを蔑む。
世界の対立構造が、これによる偏見が、ありふれた友情・恋愛関係に様々な亀裂をもたらしながら、ガンダムSEED前半の物語は進んでいく。
関係者のインタビューによると、同時多発テロ事件後の米国における、イスラム教のアメリカ軍人の葛藤から、着想を得ているという。
イスラム教としての誇り、米国人というアイデンティティ、イスラム過激派vs.米国という世界。
確かに、似ている。
ガンダムSEEDの前半は、こうした戦争の残虐さと人種差別、それに伴う若者の葛藤が、単純化されずに、一人一人に寄り添って描かれていて、正直観ていて苦しい場面が多い。
それでもアニメとして面白いのは、キャラクターが個性豊かで、展開の速さも丁度良く、物語として良く練られているからだろうか。
そして、物語の前半の設定を語る中で欠かせないキャラクターは、フレイだろう。
フレイは、戦争における人間の狂気が詰まっている。
コーディネーターとナチュラルをはっきりと分けて単純化する一方で、キラに対しては精神支配しようとする。
不安、悲しみ、怒り、やり場のない負の感情を背負いながら、狂った振る舞いをするフレイを、小学生や中学生の私は理解があまりできなかった。
ただ、今みると、フレイの存在は、誰もが心の内に抱える狂気そのものであると思う。
そして、フレイの存在は、矛盾や葛藤に足掻くサイやミリアリアなどの心も露わにしていて、前半の物語の面白さの核になっていると思う。
ほら、ガンダムSEED観たくなってきましたよね??笑
SEEDの後半は、親子関係にあると思っているのだが、少し長くなってきたので次回に譲りたい。
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