私と男たちの悲しい性
「たぶん、好きでもない人と結婚するんだろうなぁと思う。」
この頃入れ揚げている男がそんなことを言った。
私は、人より頭がよく回り、社会生活を営むために必要な擬態ができる程度の異常者が好きだ。
彼らと居ると自分がはみ出し者という感覚を忘れることができる。
対話の中で知性を感じれば触れたくなるし、彼らと社会との隔たりを感じる度に親愛の情が湧く。
だが、往々にして彼らは女との付き合いがうまくない。
彼らにとって女は、地獄のような現実生活からの逃避先なのだ。
私はいつだって現実世界に生きているし、目下の事象から目を逸らすヒトには見つめ直すことを促してしまう。
この苦しくも色彩豊かな世界で共に生きるパートナーを求める私に対し、彼らは女に"ホーム"を求める。現実生活とは隔たれた彼らの安息地だ。
私にとっては彼らと居る空間そのものがホームであり安息地なのだが、彼らはそこに隔たりを求める。
パフェを食べすぎて苦しいなら2人で食べればいいじゃないと思う私に対し、彼らはパフェを食べ終えたあとに味噌汁をすすり一息つきたがるのだ。
私はパフェを挟んでつまみ合う間柄にはなれても、彼らが一息つくホームにはなり得ない。
「たぶん、好きでもない人と結婚するんだろうなぁ思う。」
そういうことなのだ。
彼らに必要なのはパフェを挟みどこから食べるか戦略を立てる女ではなく、家で味噌汁を作って待ってくれる女だ。
私の椅子はいつでも男に取って代わられる。戦略を立てるなら同性相手の方がやりやすいこともあるだろうしね。
そんなことが見えてきた今、どうしてかそんな男どもを愛してしまう自分に呆れてものが言えない。
そのくせ男どもも私を邪険にしないものだから、ずるずるとおままごとを続けてしまう。
君らが帰る場所は私じゃないね、と思いながら、優秀な脳みその詰まった頭蓋を撫で続けるのだ。