❝私の大好きな友達が愛に溢れる理由❞ 後編
「そんなこと言ってもさぁ…しょうがないじゃん。どうしようもないことなんだから、傷ついたとか言ってないで強くなれば?笑。」とばかりに母親に否定され、ズタボロになってきたわたし。
(もしかして彼女は…弱いからこんな風に私を傷つけるしかないのか?)と気が付くところまでが前編。
母の脆さに気が付いた私は、【もうこの人には頼れないんだ】と、人生で初めて悟った。
今までずっと、母のように強い心で困難に打ち勝たなければならないと思っていた。だけど薄々気付いていたんだ。
傷つかない人なんて誰もいない。傷つかない強い人になることよりも、傷ついた時にその癒やし方を知っている人になる事の方が現実的だ、って。
だけど母は、私の負ったような傷をどう癒やすか分からなくて、「もう傷つかないで!」と嘆くしかなかった。それが一番私を傷つけているとも知らずに。
それなら…
私、もうこの人に頼っても意味がないんだね?
気付くのが遅かった。大いに遅かった。
何故なら私は期待していた。母なら私の傷を癒せると。母だけが理解して慰めてくれると。
無理じゃん!
やっと母への期待を断ち切る段階にきたわたし。
もちろんそれって、生易しいものじゃない。
肉親は他に誰も居なくて、母だけが頼りだった。その頼りの母にずっと傷つけられて生きてきた。母と生きる自分が私そのものだった。
❛ 代わりに何を頼りにして生きればいいんだろう? ❜
その答えは、少し考えれば分かった。親以外に私を愛して、大切にしてくれる人。沢山いる!
この数年で私が得た気付きの中で最も大きいことのうちの一つが、「私って、愛されてるじゃん!」だった。
仕事での充実感や達成感は勿論のこと、引きこもらずに外に出れば、私を大切にしてくれる人が沢山いて、自信がついてきた。
❨直近でその感覚をくれたのは、このノートの題名の友人です。この場を借りて、いつもありがとう。❩
私はその愛を受け取ることよりも、肉親からもらえるはずの愛がこの手に無いことを嘆くのに忙しかった。
まるで、あるはずの手足が痛む幻肢痛のように。
無いんだから痛くないじゃん!と気付いてしまえば、そこにあるものにありがたみが湧く。
そして、
【この人たちこそが私にとって一番大切で、失ってはいけないものだ】
という感覚が、実感を伴って私の心に居座った。
そうなったら、その大切な人を愛するので手一杯だ。
「私のそばに居てくれてありがとう」
という気持ちを精一杯の力で伝えていく。
見返りを求めてではなくて、当たり前のこととして。
見返りを求めないのは、そこに愛があることをすでに知っているから。
私の大好きな友人よ!私はこの感覚が理解できるようになったよ!
自分を傷つけてきた肉親への未練を断ち切れない人には、ぜひ、幻肢痛からはいつか解放されると信じて生きていて欲しい。ここに一人証人ができました。
ちなみに、母とは一緒に暮らしているし、これから何かの支援をしてもらうこともあるだろうけど、「親でもないのに世話してくれるうるさいおばちゃん」だと思うと、居てくれてありがとうと思えるし、割と快適に暮らせます。
自分の備忘録ですが、誰かの役に立てば嬉しいなあ!
近い将来、自分が悩むことがあっても、このノートが道しるべになってくれる気がする。