「ナイストライ」ほど素晴らしい言葉は日本語にないんじゃないか

 最近FPSというゲームジャンルではValorantというゲームがもっぱら流行している。このゲームは5対5で対戦するチームゲームで、ボイスチャットを用いて見ず知らずの味方プレイヤーと連携を取りながら勝利を目指す。しばしばボイスチャットを用いない=勝利する意思が無いとみなされ、味方から文句を言われる事もあり(滅多にそんな事は起こらないが)それでも人から文句を言われるのが怖いガラスのハートオーナーなのでこの私はValorantが苦手だ。

 しかし、ボイスチャットで心温まる言葉を投げかけてもらえる事もある。それは例えば何かミスを犯して自分のキャラが倒されてしまった時に「あー惜しい!」「ナイストライ!」などと励ましてもらえる事があるのだ。

 やばい、ミスしちゃったし怒られるかな…と不安になっている所にそういう励ましを頂けると大変嬉しいのだが、最近この「ナイストライ」という言葉は日本語には無い良さを持っているのではないかとふと思った。

 「ナイストライ」は、トライした事自体を褒めてもらっている。トライした結果ダメだったとか、良かったとかには言及されてない言葉だ。それがあまりにも素晴らしい。何が素晴らしいかというと、これが例えば「惜しい!」だと、私のような小心者オタクは「別に今のあんま惜しくなかったよな…気遣わせちゃったかな…申し訳ねェ…」などと感じてしまうのだ。

 「ナイストライ」は自分の全てを肯定してくれる。成功までほんのあと一歩だったとしても、とんでもないポカをやらかしたとしてもナイストライなのだ。この素晴らしき聖句を日本語に直訳すると「良い試みだ!」のようになるのだろうか。こんなセリフは現代日本ではあまり一般的でないし、ナイストライが持つ温もりと優しさを上手に日本語に変換する術は無いような気がする。

 僕が見ず知らずのプレイヤーから貰ったナイストライは、きっちりと自分の周りの人にも使ってあげて優しさを循環させていきたい。もし友達が留年するような事があったら「ナイストライ」と言ってあげようと思う。

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