HSS型HSP育児 居場所を増やそう
ご無沙汰しています。2024年、初投稿。
年末に引っ越し、ようやく新天地での生活になれてきた今日この頃。
4月からの社会復帰に向けて、転職活動中!
社会復帰=娘は保育園に通う事に。これについては、けっこう思い悩みました。小学校ぐらいまで、育児時間をたっぷりとったほうが良いのでは。
さみしい想いをさせるのでは。等々…。育児者は、一度は考えることではないでしょうか。
わたしが出した結論は、冒頭の通り4月から社会復帰すべく、行動する。
この結論にたどり着いた経緯と気づきを書きます。
育児が中心の内容ですが、HSPの人は育児者でなくとも、共通する内容もあるかもしれません。
働く目的「機嫌の良い母親でいるため」
まずは、なぜ働くのか。
私は元々仕事をすること自体が好きでした。そして、家事は苦手です。
前回の記事でも、結婚条件の中に「専業主婦を求めない人」「家事分担ができる人」という項目を入れるぐらいです。
こんな人間が、現在専業主婦してますが、まぁきついです。
こどもの成長を一番にみれる、という特権は十分に味わっていますが、毎日に楽しみを見出すのが、困難になる日もあります。
向き・不向きのはなしですね。
不得意な事をしていると、負の連鎖に陥っているような感覚になります。
・不得意かつやりたくないので、向上心がない
↓
・自己肯定感が下がる
↓
・ハッピーでいられなくなる
幼少期の話になりますが、わたしの母は、専業主婦をしていました。父の両親の介護のためひっこし、育児と介護をこなしていたのです。
その為か、わたしの記憶の中の母は、常に余裕がなく、イライラしていました。もともと器用なタイプではなく、新天地には愚痴を吐き出せる友達もいなかったのでしょう。今じぶんが親の立場になって考えると、相当きつかったのでは、と思います。
今は、状況や心情を理解できますが、こどもの頃は理解できませんでした。
常に怒っているお母さん。何をしても、ダメ、としか言わない。
30年程経った今でも、そんな形で、キオクに残ってしまっています。
正直、幼心に傷がつくこともすくなくはなかったです。(今タイムマシンに乗れるなら、その頃の母の愚痴や、想いを聞きに行ってあげたいです!母と兄・私のために(笑))
そして自分が親になった今、一番に避けたいのは、娘に同じ思いをさせる事です。何事にも準備だけは良いので、この想いは妊活中から抱いていました。(笑)
家が汚くても、ご飯が総菜ざんまいでも、機嫌よく笑って、話を聞いてくれる母ちゃん。
そこを目指したいのです。
おとなも子も、関りが多いと軽やかになれる
先日、市が運営するこどもの広場(兼一時預かり所)に、娘と遊びに行ったときに感じたことです。
そこのスタッフの方は、とてもフレンドリーで、娘もすごく楽しそうに遊んでいました。
ここのスタッフさんなら信頼できるし、今後は一時預かりもお願いできるかもと感じました。同時に、ふと心が軽くなったように思いました。
「こういう存在がたくさんあると、親だけでなく、地域みんなで、こどもを育てている」といった感覚を覚えたのです。(昔はご近所地域が、皆顔なじみで、地域で近所の子供のことを、気にかけてくれてたようそう)
それは親にとって負担がかるくなり、こどもにとっても、大人の知り合いが増えるという事で、生きていく上でプラスになる。
なんだか、安心できる場所が見つかったような気になり、肩の荷が下りた感じがありました。
それでいうと、話が戻るけど、「仕事」も大人にとって、自分を取り戻せる場所だと思うのです。
何事も関りが一つだけになると、気持ちが大きくなりすぎる
もし仕事をせず、子育て一筋の人生を歩んだら、当然その人の世界は「子育て」オンリーの世界観になっていきます。子育ての中にも、育児者同士の繋がり等はありますが、やっぱりその界隈の情報は、育児が中心になります。
人間は環境のいきものです。そうなると、やはり考えることの大半がこども・育児になり、子供に対する思いや勝手な期待が募っていくように思うのです。
これは育児だけに限らず、仕事など、何にでも言えます。
一つの事に集中しすぎると、気持ちの分散が上手くできない。集中の対象がなくなった時に、燃え尽き症候群になってしまうと思うのです。
複数の居場所は、自分も回りも幸せにする
従って、主軸は持ちつつ、複数の居場所を持つことが、精神衛生上望ましいのかなと思っています。
例えば、こどもは基本的に自分たちで育てるけど、週一回は信頼できる所に預け、子育てとは一切関係なく、仕事やボランティア活動等をする。
仕事なら、休みの日は仕事とは離れ、趣味を楽しむ。
気持ちが入りすぎると、それに関わる人を追い詰める事になる気がするのです。
こどもに対しては、親の期待を乗せすぎて、子は応じきれず追い詰められる。
仕事だと、同僚・部下を巻き込み、いきすぎた熱量に、周りが引いてしまう。
周りが見えなくなる程やりすぎるのは、時に周りを追い込んでしまう。
それなら、そのエネルギーを分散させればいい。そんな話です。
やりきった先、どんなじぶんになれるか
子育ても、仕事も、目の前の事を一生懸命にやっているから熱が入る。
それって素晴らしい事です。
でも、いつかは必ずおわる。
子供が巣立った先、定年退職後、どんなじぶんと出会いたいか。
私は死ぬ間際に「やりきった、我が人生悔いなし」って思って死にたいと、10代の頃から思っていますw(武士みたいなセリフ…)
家族の前では機嫌よく過ごせて、最期にこのセリフが言えるよう、やりたい事は人生かけて、色々やっていこうと思います! :-)