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「インパクト投資」論争の本質

「それってインパクト投資なの?」と思ったら。

誰かの痛みを想像すること。自身、そして他者の価値と向き合うこと。

これが今回の日テレによる「インパクト投資」をめぐる論争の本質ではないでしょうか。

怠惰な私はここで筆をおきたいところですが、解説を要すると思われるため筆を進めたいと思います。


経緯

日本テレビ放送網は、「ごっこ倶楽部」を始めとした縦型ショートドラマでZ世代から圧倒的支持を受け続ける株式会社GOKKOとの資本業務提携を決定しました。
日テレ共創ラボで取り組む「インパクト投資」の2号案件でもあります。

日本テレビ プレスリリース「【インパクト投資2号案件】縦型ショートドラマの株式会社GOKKOと資本業務提携 ~日本のクリエイターを憧れの職業に!~」

上記プレスリリースには本件の背景・目的、目指す変化、ロジックモデル、インパクト指標などが丁寧に説明されています。

それにも関わらず、「これはインパクト投資なのか?」と違和感を抱く方も少なくありませんでした。その気持ちも分かります。

なぜでしょうか?

違和感を抱く理由は、自身の考える「インパクト投資」のあるべき姿と異なると感じたからではないでしょうか。

以下のような意見が散見されました。

・社会課題を解決するものではない
・プラスから更なるプラスへというのはインパクトとは呼べない

前提として、このように違和感を表明することはあるべきインパクト投資の在り方を検討し、より良いインパクト投資の実践を行っていく上で非常に重要なことです。

これらの意見には感情的に首肯する部分もあるものの、GIINの定義に照らしても、金融庁の指針に照らしても、日テレのインパクト投資は「インパクト投資」といえます。しかし、定義はこの論争の本質ではありません。そして、そもそもいずれも「要件」として定めているわけでもないため、「これはインパクト投資ではない」と言うこともできません。

恐らく、多くの方々はより直感的に違和感を抱いたのでしょう。「これはインパクト投資なのか?」と。

本質

「これはインパクト投資なのか?」
その疑問はなぜ生じたのかを論じたいと思います。

既に冒頭に記載したとおり、誰かの痛みを想像することが難しいからではないでしょうか。

今回の件でいえば、クリエーターの方々の抱える痛みをあまり知らないからです。

これが介護職、障がい者支援、貧困支援だったら「これってインパクト投資なのか?」と疑問を抱く人は少なかったのではないでしょうか。

クリエーターは好きなことをやっている人たち、支援の対象ではない人たちという偏見がそこには存在しないでしょうか
クリエーターの抱える課題としては、例えば過酷な労働環境(低賃金、不安定な雇用形態、過労によるストレス、キャリアプランを描くことの困難さなど)が想像できます。(あくまで想像です)

実はこれらはロジックモデルを丁寧に読み込めば想像ができます。

日テレ プレスリリース
「GOKKOが目指す社会的インパクトと戦略の詳細を可視化したロジックモデル(詳細版)」

ロジックモデルには以下の記載があります。
「クリエーターがクリエイティブに集中できる
「クリエーターの収入が増える
主任・責任者レベルのクリエーターが増える」

日テレ プレスリリース「インパクト指標について」


また、インパクト指標にも「クリエイティブ職雇用数」「クリエーター平均収入」と書かれています。

この「クリエーター」を「介護職員」「障害者支援者」などと読み替えれば違和感は解消されないでしょうか?

僕は「クリエーター」の方々の痛みを知りません。背景を知りません。
いや、「介護職員」の方々の痛みだって、「障害者支援者」の方々の痛みだって知ったような気になっているだけで、本当の痛みは本人にしか分かりません

誰かの痛みを過小評価してはいけない。

これが今回の論争からの僕なりの学びです。

では、どうすれば良かったか?

一般的にその社会課題が十分に認知されていない領域については、その課題を丁寧に説明することが大切なのでしょう。

どこの誰がどのような苦しみ、痛みを抱えているのか?

これがロジックモデルだけでは見えてきません。ロジックモデルは意図するポジティブな変化を記載することが中心になるためです。

そして、「これってインパクトなのかな」という疑問を持ち続けることは大切にしたいです。それは自分が思う、あるべきインパクトと向き合うチャンスです。

「価値」と向き合い自身や他者と対話する

インパクト投資とは、目的合理的行為と価値合理的行為の混合による意思決定です。

出典:筆者

目的合理的行為とは、外界の事物の行動および他の人間についてある予想を持ち、この予想を結果として合理的に追求され考慮される自分の目的のために条件や手段として利用するような行為をいいます。

近年、目的合理的行為としてのインパクト投資が目立ちます。インパクトを(財務的な意味においての)企業価値創出の源泉と捉えるようなインパクト投資です。ダイバーシティは創造性とイノベーションを促し企業価値向上に寄与するので推進しようといった意思決定も目的合理的行為に当たるでしょう。

この目的合理性の追求の果ては人間性の喪失、人間の機械的硬直化、鉄のごとき機関(鉄の檻)とマックス・ウェーバーは100年以上前から警鐘を鳴らしています。

高度に成長した金融資本主義はまさにこの典型でしょう。知に知を積み重ねていずれすべて正しい意思決定が自動的に行われるようになる。やがてはすべての意思決定はAIが代替してくれる。私たちはそんな社会を目指しているんでしたっけ。

インパクト投資は目的合理的行為に価値合理的行為を混合させた意思決定です。

価値合理的行為とは、ある行動の独自の絶対的価値-倫理的、美的、宗教的、その他のーそのものへの結果を度外視した、意識的な信仰による行為をいいます。

例えば、ダイバーシティは平等や公正といった価値に合致するので推進する、という意思決定がそれに当たります。

私たちは、方法論ばかりに目を奪われ、価値という本質を見失いがちです。

向き合うべき問いは「私は何に価値を感じるのだろう」「あなたは何に価値を感じるのだろう」ということではないでしょうか。大切なあなたと対話を深めていきたいと思います。

日テレには日テレにしかできないインパクト投資の在り方があります。期待しています。

筆が滑って偉そうなことを書いてしまったことを反省しつつ、ここで筆を置きたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。


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