見出し画像

それぞれのバランスがあるねって話。

こんにちは、note。

前回の記事は初の有料記事にしてみましたが、noteユーザー様やゲストユーザー様、さまざまな方が読んでくださったようで嬉しいです。この世の中、価値の見出し方は人それぞれ。私の記事に少しでも興味を持ってくださり、そこを覗いてみてくださったあなたへ感謝の気持ちと私のパワーをお裾分けいたします。

さて本題に入る前に。

noteに新しい記事を書いていこうとすると、色々なトピックが頭をよぎって収集がつかなくなって一時中断やそもそも書き出した記事を消してしまうことが増えました。

これに対する解消法、コメント、お待ちしまくっています。私はどう言う風にしているよとか、教えてくださる心優しい方お待ちしています。

では、本題。

私の日常生活において、自分の体と向き合う時間が一番割合を占めています。起きた時に手をグーパーしてみたり、血圧を測ってたり、ご飯を食べる量を調整したり。全ては私の体の心地よいを知るためにやっています。

これって神経質にやっているつもりもなくて、誰かに強制されているわけでもなくて。血圧は看護師さんからたまに言われるからってのはあるけど。(血圧で全てわからないじゃんよーってたまに不貞腐れる私氏)

今の生活習慣も病気を経験してから、随分と変わりました。高校生からアレルギーがひどくて、今までなかった甲殻類アレルギーなんてものが発症しちゃって。病院でステロイドのお薬をもらって服用していた時期がありましたが、その時の副作用や気だるさをいつまでも忘れられず社会人になってからはお薬嫌いになってしまって。

当時の私には情報が少なかった。お薬が一時的に辛い状態を緩和させてくれると思ってお医者さんや親から言われるがままに飲むようにしていた。薬を飲めば治るとも飲んだけど治らないとも思わずにただ言われるがままにやっていた感覚。薬剤師さんに説明を受けても、しんどい時ほど思考は働かない。けれど体は確かに感じ取っていたの。なんか、顔が赤くなる。風船みたいに丸いなあ。のぼせるなあ、なんていう症状たちを。

それがなんで起こっているのかとか、そう言うことにも当時は関心がなくて、けれど大人になってからは興味のあることをとことん調べる癖がついた。大学で好きな学びをしていくうちにそれが習慣となっていたおかげ。

それが副作用というもので、人それぞれだという情報しかほとんど仕入れられなかった。さらにはお薬の危険性であったり少し医学の怖さを知ってしまうような情報ばかりを拾ってしまった。それで、私の病院嫌いが再発。お薬なんてもってのほか。体調悪くて状態を見て欲しいだけなのに、これを抑えるためにこんなの飲みましょうとか言われるのが苦痛でしかなかった。

けど、そこで声をあげたり相談する勇気もなかったんだよな、当時の私にはと思う。それで通常の生活を繰り返して何が変わるということもなく、悪化の一途。その時に、生活習慣から見直す術を知った。栄養のこと、体の疲れの取り方、人それぞれの改善の仕方がある。そして、栄養に関しては、人体における話なので、私だけに限らず家族や友人へも共通する知識として身につける意欲を持った。そこから、色々と(ずいぶん端折りますが)変化させて早4年目。治らないと言われていた甲殻類アレルギーはなくなり、生のえびを再び美味しく食べられるようになり。月に一度寝込んでいたような変な風邪も引かなくなり。35度台の低体温からも卒業して平均的に36.5以上の平熱になったり。いかに私が不健康だったのか伝わる。現在はたくさんの恩恵を受けて、いわゆる「健康」な暮らしをできているように感じる。

そして、昨年には病院嫌いも少しマシになった。セカンドオピニオンで転院した病院の先生や看護師さん達のおかげで、個人的な嫌悪感は拭たように思う。ただ今だに無闇矢鱈にお薬を飲みましょうは嫌なので、どういう理由でそれを飲まないといけないのかということは絶対聞くようにしている。

これまで長々と書いていますが、とりあえず、私の体がよくなってきている事と並行して、心のあり方が随分と変わってきている。第三者の言葉へ耳を傾けられるようになったり、自分の中での疑問や不安に対して素直に受け止めたり、行動できる術を身につけてきている。きっと生きていく力というのはこういうことで、人は一人では生きていけないというのもこういうことで(これは脱線)

こんな風に健康的になったかと思えば、また悩むこともあるのです。先週久しぶりに体調がぐらついて、その時に今受けている西洋医学についての否定的な(私がそう捉えてしまった)文章を読んでしまい、精神が崩壊しそうになりました。それを泣きながら母氏へ話すと、自分が信じるものを信じていいのよと。夫氏へ話すと、あなたは今たくさん努力していて偉いぞと。二人とも鼓舞してくれて、これがいいか正しいかは置いといて、明らかに寄り添ってくれた。それで心のどよめきは落ち着いたように思う。

心というか、思考なのかな。どちらも切り離せない関係なので、両方書いておこう。心地よく生活していくためには、心と思考と体、全てのバランスをとっていくということが大切だと感じている。

さらには、社会的な環境の中で心地よく生きていくためには、さらに色々なことの環境を整えていくことが大切であると感じている。今はまだ、自分自身の中での心地よいを追求しているので、その後は自分が社会的に生きていく上での心地よさを見つけていきたいと思う。

…今日もなかなかまとまりのない記事ですが、私の記録でござる。

また、何か綴っていこう。


いいなと思ったら応援しよう!