嘘が下手な人に物語は書けない
物語を書く時の原則として大きな嘘は1つだけという掟がある。
例えばワンピースのルフィの手が伸びるというのは嘘ではない。
設定に悪魔の実があるからだ。
ヒロインが難病を患っている
これはヒロイン一人だけに課された偶然なので大きな嘘になる。
嘘をつけばつくほどシナリオは破綻する。
エロゲでは有名な「だーまえ」こと麻枝准。
この人が手掛けた「神様になった日」というアニメはご存じだろうか。
このアニメが盛大に失敗した理由の一つとして、賢い人がこんなレスを残していた。
「大きな嘘が二つあると、
よほど上手くやらない限り話の裏に嘘を感じて白ける」
このレスは見事に神様になった日というアニメの本質をついていたと思う。
嘘という名の風呂敷を広げたあまり、収集がつかなくなったのが神様になった日だ。
人は自分をよく見せたい時に嘘をつく
それは作品でも同じことで嘘というのは「作品の見栄」にあたる。出来る作者はその見栄をどうにかこうにか嘘だとバレないように理屈で装飾してリアリティに落とし込む。
手が伸びる→悪魔の実を食べたせいというのは作品全体で色んなキャラクターがやっていることなので見栄ではない。全体的に布教していることほど説得力があり、嘘として小さくなっていく。
いわば作品の個性と言えるだろう。
ワンピース最大の見栄は大海賊時代だ。
この作品で海賊以外が出てきたら、それは大嘘が2つになる。
長期連載だからこそ途中から出てきた「覇気」なんかも受け入れられているが、これも嘘の一部で、クライマックスに突然出てきて問題解決したら白けるしかない。
ご都合主義批判の流れとはそういうもので、元のメインストーリーの大嘘に対して奇跡という大嘘の2つで重ねるから「そんなわけあるか」とブーイングを受ける。
作者に問題解決する能力がなく「奇跡」に頼ろうとするからこうなる。
さて、小説なんかを突然書き始めた人の特徴として、
想像力はあるのに整合性をあわせるのが苦手なタイプが結構存在する。
そういう人の作品は見栄っぱりで色んな嘘があり、矛盾だらけの現状に頭を抱えて、結局最後まで書ききれずに作品がボツになるなんてお決まりパターンが待ちうける。
それは貧乏人がブランド品を買っているようなもので、当然どこかでボロが出るはずだ。ツッコミどころポイントの加算。
作品の中での矛盾の多さは、見栄の多さだということを自覚したい。
自分の中でそれらをリアリティに装飾することが出来ない、技術を持っていない。にもかかわらず嘘をつくせいで収拾がつかなくなる。
エロゲに、序盤と中盤のシナリオは完璧なのに終盤だけクソみたいな畳み方になるライターがいる。
嘘の質は良いのに嘘をつくこと自体が下手な人で、
「続きは凄い気になるのに、〆が最悪」という評価をしばしば受けている。
だからと言って整合性を保つために極力嘘をつくのをやめると
クソほどつまらん作品が出来上がると思う。
今まで質のいい嘘で保ってきた面白さがなくなるからだ。
質のいい嘘がつけるならそれ以上のことはない。
大事なのは嘘を諦めずに整合性のほうをあわせる力を身に着けることだ。
面白い作品を作れる人は総じて嘘つきの天才だからね。
リアリストに面白い物語は書けない
逆のパターン。
あまりにもリアリストすぎると物語ががちがちになり、なんの夢も希望もない作品になる。説得力はあるかもしれないがエンタメとして貧弱になる。
「ヒロインが難病を患っている」に対して
「主人公が時間を遡れる能力を持っている」という大きな嘘2つを用意するとしよう。
しかし最終的にご都合主義かなと日和ったライターが結局ヒロインを救えなかったというリアル思考に走った場合それはエンタメとして失格だ。
だったら主人公の能力はなんだったのかとなる。
究極的にリアルを突き詰めたものなんか実写ドラマ化で十分なんだ。
別に大きな嘘を何個ついても構わない。
重要なのは嘘をすけさせないように積み重ねた伏線や描写だ。
物語とはキャラの思想が変わっていき成長するのがいいのであって、物語の中のリアルを見てプレイヤーを変えるという思想はエンタメではない。
別に大きな嘘を何個ついても構わない。
重要なのは嘘をすけさせないように伏線や描写を積み重ねることだ。
究極の見栄を究極の理屈で隠せる人だけが面白い物語を書ける。
来週土曜日→『良質なバッドエンドとは』