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作者(キャラ)とプレイヤーの間には何百メートルも距離がある


 自分の作ってる作品、凄く面白いし満足してはいるんですけど、
それは何年もキャラに向き合ってきて、そのキャラの事知ってるからなんですよね。
 プレイヤーは何の思い入れもなくキャラをまず他人として見ている、という当たり前のことを忘れがちになります。

 感動シーン、笑えるシーン。
 このキャラはこう考えるんだなあって作者は想像が膨らむけど、
プレイヤーは一歩どころか十歩以上引いて見ているという現実。

 作者と同じところまで来てもらうには数年かかると考えると感情移入させるのって相当難しい!

 実際最近プレイしたゲームでも、面白いと思えるものはあってもキャラクターに本気で感情移入出来た作品は一握りでした。 (面白いと感情移入できるは全くの別です)

 いわゆる長編モノをやっても、名前を憶えているキャラクターはほとんどいない、なんてこともあります(記憶力の問題もありますが)

 その一握りは、なぜ感情移入出来たのか?

 これはキャラクターだけの問題ではないと思います。

 一番大事なのは、この作者出来る人だなという信頼感。(シナリオ、絵、UI、音楽、デザイン、etc....)

 ある一定の信頼がないと雑にプレイしてしまうからです。

 よしやるぞ! キャラクターの考えにも注目しよう、これは伏線なのかな? 最終的にどうなるんだろう。

 これらの事を考えずに雑にやってしまいます。叙述トリックを行う作者の2作目は「だまされないように気を付けよう!」と身構えるのは当然ですよね。それが信頼です。

 作者への信頼がないということは、感情移入に一番大事な想像力の欠如を起こしかねません。

 つまり、前提としてプレイヤーが作者を信頼したというその瞬間と積み重ねがシナリオにあったわけです。

 技術的なことで例えると、小説にはいろいろルールが存在します。三点リーダーは「・・・」ではなく「……」と表記。ビックリマークなどは「おっす!オラ悟空!」ではなく「おっす! オラ悟空!」。

 これらは当たり前のルールで、それをしていないだけで信頼を失ってしまうものです。いや、それは技術的な面で知らない人が圧倒的なんじゃないの? という意見もあるでしょう。

 でも本質はそこではなく、ストーリーの細かいところにそういうものが現れるということです。

 信頼できるシナリオは、当たり前のことを当たり前にしていますが、感情移入出来ないシナリオの多くは「なんでそうするの?」が多く、その時点で信頼がどんどん失われて生き、結果的に感情移入できず。

 誤字にしたってそれがあるだけで雰囲気が壊れますし、あまり見直していないのかな? と思われます。

 そういう現象が起こってしまうのがシナリオという山なんです。

 プレイヤーが到達したときに見えた景色が美しい朝日ではなく、自分の足元、疲労感だけが残っていたら意味がありません。

面白いと感情移入は別もの

 これは大事なポイントです。

 感情移入できる=面白いは通りますが、その逆は成り立ちません。

 面白いとは抽象的で、続きが気になる、ギャグが笑える、ギミックが凄い、伏線回収が見事。だったりと色々あります。

 で、それこそが技術的なものなんです。

 キャラクターが魅力的なのと、話が面白いという事の二つは分かれるんですよね。

 面白いだけの作品は本当によくあるんです。ではそれだけにとどまらずに、キャラクターが魅力的で、かつ感情移入させる作品とはどういったものなのか?

 長くなったので、今日はここまでにします。
































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