【フリーゲーム】お金をかけて作るのは正しいのか?
見ている限り誰も触れていなかったので
あえて危険そうな話題に触れておく。
フリーゲームのレベルは年々上がってきているという話はよく耳にするし、その通りだと思う。
それは素人の世界にプロレベルの技術を持った人が多く参入してきているという事実でもある。
例えば現状でもシナリオというベースを素人が描いて、声優、イラスト、BGMなどをプロに頼む、なんてスタイルは当たり前になってきている。
ここから「あの人がボイスありにしているから、自分の作品もボイスありにしなくちゃ」と思ってボイスを導入した人も少なからずいるのではないだろうか。(イラストなども然り)
そんな流れは本来のフリーゲーム制作の場にはなかった流れだ。
そこにはどういう変化があったんだろうか?
SNSの影響力
今のフリーゲーム制作者はTwitter間での繋がりが丸見え状態になっていて、あの人がボイス依頼しているとか、あの有名な人にイラスト描いてもらっただとかがわかってしまう。
今まで世界のどこかでちりじりに作っていた制作者たちが、同じ教室にいるクラスメイト並みの距離感にもなれば互いに影響されてしまうに決まっている。
そこまでならクリエーターがネット環境に溶け込んだで済む。
ここで疑問なのが、なぜ利益を目的とした同人ゲームではなく
フリーゲームにお金をかけて作るという流れになってきているのか?
実況者(Vtuber)の存在
作品にお金をかけてちゃんとしたものを作れば実況してもらえる可能性が少しでも上がり、自分の知名度も上がりWinWin。
そういう思考の人がフリーゲームにもたくさん来て、実際に全盛期のフリーゲームブームと同じぐらい、いやそれ以上に色んな人の目に止まるようになった。
お金にはならないがそれ以上のモノを得られる絶好の機会がフリーゲームという存在になってきている。
そしてクオリティが高い作品がたくさん増えると、本来無料でやっていく方向性だった人も看過され、お金をかけるという流れに乗っかる形になる。
環境の変化によって周りの環境も変わっていく。
極論、これが全体に広がっていくとフリーゲームの世界は
同人ゲームを無料で売っているみたいな面白環境になるのではないだろうか。
実際にアンケートを取ってみた結果
フォロワー数が少ないのでアンケートの総数としては心もとないが、
「お金をかけて作っている」が半数以上とおおよそ予想通りの結果になった。
今のフリーゲーム制作環境の場は、
無料で提供するゲームを、有料で作るという流れが確実に来ている。
わかりやすく差を見たかったので金額の設定はしていない。
実際にはちょこっと依頼しただけとか、結構ガッツリと依頼しているという人もいるだろう。
それでもこれだけフリーで出すゲームを有料で作っている人が多いという事実は変わらない。
意識の高さが明らかに変わってきている。
フリーゲームに求めているもの
ここで個人的な意見を少し書かせてもらいたい。
こういうお金に関する記事を書くと嫉妬してるのではないかと言われるかもしれないが、まごうこと無き自分も「お金をかけている(かける予定)」に1票入れた人間だ。
しかし、いちフリーゲームをプレイする身として言わせてもらいたいのは
商業レベルの作品をフリーゲームに求めたことは一度もない。
むしろ頭から足の先まで商業を臭わせるクオリティの作品はギャルゲーと言えど避けているぐらいだ。
なんとなく「クオリティの高いものは最初から商業の作品でやりたい」と言う気持ちが強いからというのが大きい。
それとフリーゲームに求めているものは期待ではなく好奇心なので、
クオリティが高くていかにも良さそうなものには食指が伸びない。
作品の出来に期待したいんじゃない。
いち個人(素人)がどんなものを作り上げたのかという好奇心を満たしたいというのがフリーゲームへ向ける正直な気持ちだ。
無料で作っている人の重要性
この記事は作品にお金をかけることを否定する記事ではない。
しかしそれによって作品に対してお金をかける全体のハードルがどんどん下がっていくのはあまりよろしくない風潮に思える。
アンケートの結果を見れば「お金をかける派」が多いのは一目瞭然だが、それによってお金をかけないでやっている人で「なんだかなぁ」と快く思わない人も当然いるだろう。
そこだけ切り抜けばただの嫉妬になるが、
仮にそういう人たちがフリーゲームを作らなくなっていくと
札束の殴り合い(表面上のクオリティ重視)になってしまう。
(もちろんこれは冗談半分ぐらいに思って欲しいが)
少し前、ノベルゲームコレクションの感想欄は良心的な感想しかない問題で、同調圧力の話が出てきたことがあった。それに対して運営もガイドラインで否定的な感想は控えてくださいと明確にくぎを打った。
次にフリーゲームにふり掛かるのは
作品にどれだけお金をかけるか、という同調圧力だと思う。
いやいや考えすぎでしょ、と思うかもしれないが某サークルの代表さんと話した時に「そっちはボイスありにしないの? え、なんで?」というマウントを取られたことがあったなんて話も聞いた。
勘違いしてほしくない。
ボイスがあるから良い、イラストがキレイだから良い
そういう価値観は作品よりも作者自身をダメにする
お金をかけるのは悪いことじゃない。
しかしお金をかけないことも悪いことではない。
むしろそういう人たちが長く存在しているおかげで、
フリーゲームの良さというのは保てていると言える。
皆がみんな作品にどんどんお金をかけるようになったら、
主演にお金をかけておきながら中身がない今の邦画みたいな末路を辿るだろう。
現実だとそれで売れるからそうするのだが、
フリーゲームにお金をかけるのは結構なコストの悪さだ。
フリーゲームはお金をかけて作るべきか?
個人の自由に明確に答えを出すのはナンセンスなのだが、作品にお金をかけることが普通になると、当然次の作品もお金をかけないといけなくなる。
それはフリーゲーム制作者としての寿命を削っている行為ともとれる。
すると「本当はお金をかけるつもりはなかったけど、他の人があのクオリティだし、自分もそのレベルに合わせないといけない」という同調圧力に負けてしまった人はどんどん制作環境が苦しくなっていくという悪循環に陥る。
フリーゲームはお金をかけて作るべきか否か? の答えは、
次も同じぐらいの予算で作れるなら「あり」、次がそのクオリティから落ちるなら「無し」だと個人的には感じるのだ。
お金をかけることによって、個人制作、あるいはサークルにダメージが行くようでは本末転倒なのではないか。
特に最近かなり普及してきた「ボイスあり」はいつか必ず無理が来る。
同人作品のように多少の回収が望めるわけでもない。
この話はいちプレイヤーとしてでもあるし、制作者側としての意見でもある。
ちなみに自分の作っている作品はギャルゲーなのにも関わらずボイス無し。可愛さが最大の魅力であるギャルゲーでボイス無しだ。
予算はある。
しかしそれをやると確実に制作者としての寿命を削るのであえなく断念した。個人制作だと判断しやすい。
最近のフリーゲームは個人ではなくサークルで作っているところも増えているので、そういうところはサークルとしての寿命と考えて欲しい。
1クールのレギュラーより1回の伝説を狙っている人なら別だが
クリエーターとして儲からないのであれば、長く続けていける方向で考えたほうが、より作品は色んな人の目に届くようになると思う。
無料で作ることはエコ
フリーゲームという文化には「足りないところを他人の力を借りて補う」という素人でも作品を作れるロマンみたいなところがあった。
しかし最近は「足りなきゃ金で解決や」と言う感じで若干の生々しさを感じてしまう部分も無きにしも非ずだ。
今後のフリーゲーム制作の環境の場は今以上に上がっていくだろうし、これから下がるようなことはないだろう。
そんな中で、焦って自分も作品のクオリティを上げなきゃ、と思っている人に伝えたいことは「みんな高クオリティだからフリーゲームをやっているんじゃない」ということだ。
今後ボイスあり、OPあり、なんでもありが増えて行けば、逆にボイス無しは貴重な存在になっていくし、フリーゲームらしさが愛される可能性もある。
「ボイス無しのほうが話のテンポが良くていい」って人もTwitterじゃ見かけるぐらいだ。
ノベコレの感想欄然り、同調圧力に弱い人というのは結構いると思うのでこの記事を書いた。
あくまで自分のスタイルを貫いて欲しい。
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