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難しいテーマは大抵ラストでこける

先週の記事「お金をかけて作るのは正しいのか?」は今のフリーゲーム環境に物申すみたいな意識の高いことをしたかったわけではない。

なぜなら書いた本人は
フリーゲームの歴史などまったく知らないからだ。

さも自分が長年フリーゲーム業界にいて色んな事を知っています風に書いたが、ノベコレの存在すら2年前初めて知った。

実はいつも創作論を書くノリでエンタメとして書いた。

これはテーマを書く練習だったりする。

「フリーゲームはお金をかけて作るべきか」というテーマに、アンケートという結果を添えた物語的構造を思いつき、それがウケそうだと思い実験的に記事にしたという経緯だったのだ。

今回の記事はそれをもとに「テーマ」について解説する。

テーマは両者を平等にする必要がある

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物語でいうテーマとは対立構造のことだ。

テーマを書くのが難しい理由は
面白い対立ほどそれに対する結論が難しくなることにある。

「お金をかけてフリーゲームを作るのは正しいのか?」というテーマには
そもそも答えがない。個人の自由で議論が終わる。

それを「個人の自由だろ」と言わせない過程を作るのが物語というエンターテイメント。

お金をかけて作るか、無料で作るか? 
この二択はそもそも「無料で作る派」が圧倒的に不利だ。

お金をかけて作ればクオリティが上がるという結論が強すぎる。

それを覆すために

・「なぜ同人で出さずにフリーゲームで?」という疑問
・クオリティが作品の魅力ではないという自己主張
・フリー作品だと作者の寿命を削るというデメリット

3つを掲示することでようやく「だったらお金をかけないほうが良い人もいるよね? 長く続けていくんだったらエコでやったほうがいいんじゃないか」という新しい答えが出る。

これだけだとお金をかけている側を一方的に少数派が煙たがっているようにも受け取れるので、
「そっちはボイスありにしないの?」という同調圧力の話を取り入れた。

お金をかけて作ることに対して傲慢になるな、というメッセージ性が入る。

このように「お金かけない派」「お金かける派のバランス」を取ることで対立構造を面白くする努力をしたのが全て「記事の反応」に現れるわけだ。

中高生でやるようなディベートを一人でやらなくてはいけないのが
対立構造を扱ったテーマの正体なのである。

物語はどちらかが勝って、どちらかが負ける

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物語はエンタメなのでディベートのようにふわっとした折ちゅう案ではなく、明確な「これ」という答えが出なければいけない。

対決を軸にしている作品ならそのほうが盛り上がる。

例えばデスノートの面白さというのは推理やロジックの前に
お互いにバチバチと火花を散らして正義をぶつけあうテーマにこそある。

犯罪者は死んだほうがいいという主張と、
犯罪者にも人権があるという主張はどちらも共感できるのだ。

しかも実際に犯罪者を殺すことで犯罪率が下がっているので、
最初は夜神月(キラ)が正当化しやすい展開になっているのだ。

ところが後半になるにつれて夜神月を必要ならば父親も平気で殺すような人格に染めることで「お前のやっていることは正義ではなく自己満足だ」にし、Lが正義だというバランスを取る。

そうしないと「犯罪者が減っている事実」が強くて、
極悪犯罪者は殺してもいんじゃね? という主張がまかり通ってしまう。
だから作者はキラの主張そのものではなくやり方自体に問題を発生させるように展開させた。

これは印象操作だ。

なまじ主張が正しくてそこを切り崩せないので
本人そのものを極悪人にしてバランスを取るのである。

お金をかけるべきかに対して「でもお金かける派には、君の作品はボイスありにしないのとか言ってくる人がいるしなぁ」という同調圧力の問題。

あれも印象操作なのだ。

このエピソード1つあるだけで、
まるでお金かける派全員に責任があるかのように錯覚させる。

「一部の鉄オタが迷惑をかけまくるせいで鉄オタ全員が害悪に見られる」と同じ。

自分はしてない、でもそういう話は聞いたことがある。

それだけで印象操作は十分。

印象操作が上手く機能しないと、悪役のほうを応援したくなったり、
感情論を振りかざす主人公に感情移入できないといった問題が発生する。

~小ネタ~

わざわざ夜神月というDQNネームにしたかというのは、
極悪人ゆえに同じ名前を持つ人に影響を与えないような配慮とのこと

「この作品は何が言いたかったのか」を考える

サイゲ?

テーマには2種類、
疑問テーマ作品テーマがある。

夜神月は悪人だ、Lは正義だ、という対立の中には
「本当に悪いのは人を殺せる力だ。
そんな力をもってしまった人間は不幸だ」
という作品テーマがある。

普通はクライマックスやラストシーンでその答えを出しキレイに終わらせるのがテーマを扱う作品としては主流。しかしデスノートはこれを序盤で、父親である夜神総一郎に言わせていることが特徴的だ。

これにはデスノートを持たなかったらまっとうに育っていたというフォローの意味あいと、先ほど言った印象操作の2つのがある。

これをラストに持ってきてしまうと
「悪いのは夜神月ではなくノートの方なんで」という印象を与え
見苦しいフォローになってしまう。

まだかろうじて正義の心を持っている序盤に持ってくることでキラの行動を正当化しているのだ。

結論はなくてもいいが、
あると「ここにたどり着くための過程だったのか」と腑に落ちやすい。

どこかモヤモヤした気持ちで終わる作品というのは、テーマを掲げておきながらそれを投げっぱなしでエンディングを迎えてしまう。

そして「何がやりたかったんだこの作品」「で?」と白けた反応を浴びることになる。

難しいテーマはそれだけ魅力的だが、
反面、着地点を用意するのが難しいというデメリットがある。

「お金をかけてフリーゲームを作るのは正しいのか?」
を物語として書いていたら終盤ぐだぐだになっていただろう。

自分の実力に見合わない対立構造だと判断したらすぐに別のものにテーマを変更したほうが良い。

頭の良さがはかられる(重要)

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最後にこれは言っておかなければいけない。

作者として正しくあるなら
作品に対する1~3全ての反応をあらかじめ予期しておきたい。

1.純粋に面白い、共感できると思ってくれた人
2.ツッコミどころはあるけど、
そこは置いといて本質を考察してくれた人
3.ツッコミどころだけが気になり、そこを指摘する人

あの記事の反応はおおよそこの3つでわかれていた。

今回は本質を読み取ってくれた人のほうが多かったが、
ひとつボタンをかけちがえれば否定的意見ばかりになっていたはず。

ツッコみどころ満載を作ってしまうのは
1,2、3の視点を作品の中で見いだせていない。

・このテーマをどうエンタメに昇華させよう?
・ツッコみどころをどうカバーしよう?
・どうやって無理のある理屈を納得させよう? 

そうやって全方位に向けた視点に念頭をおかなければいけない。

もっとも作者の頭の良さが(読んでいる人に)はかられる部分である。

例えばウシジマくんの作者は別に闇金業者ではない。そういった業界人に実際に取材しているから、きわめてリアルな作品を描くことが出来ている。

そうやって自分のわからない部分は保管すべきだし、
説得力になりそうな材料をかき集めてしかるべきだろう。

そこを怠るとユーザーに頭の良さを勝手にはかられてしまう。
「作者はバカなのか?」と。

それと同じように記事に対する反応は記事の全てだ。

そして作品の反応は全て「解釈」でもある。

ここをはき違えていると、
否定されたと勘違いしていちいち人の解釈に口出ししたくなってしまう。

本当に自分の作品について考えたなら「そう解釈させてしまったか、自分の書き方が悪かったな」と反省すべきところだろう。

むしろ「この反応は予想出来なかったな」
という人がいれば、その人の意見はとても貴重だ。

これはテーマを描く上で
また、作品を公開する上で一番大事なことだったりする。

プレイヤーや読者の解釈を作者が否定するのはナンセンスでしかなく
作品の反応は作品の質を如実に表すテスト用紙だと覚えておきたい。


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