ウマ娘で学ぶ深いストーリーの作り方
ごきげんよう。
ウマ娘で得られたことが予想以上にあったのでアウトプットしておこうと思う。
まずはとあるウマ娘の第一印象について話そう。
オドオド系が苦手だった
わたくし、妹尾まいはこういうタイプがとてつもなく苦手だ。
一人称自分の名前。(自分のことライスって言う)
いわゆる「あざとい」と言われるようなキャラクターは、いかにもユーザー人気を狙っているような臭さがある。
シナリオにしても「ここで泣いてください」「ここ笑うところ」みたいに、作者の意図が露骨に透ける箇所というのは、キャラクターへの距離感が離れるポイント。感情移入どころじゃない。
というのがライスシャワーというキャラの第一印象だった。
上の画像から受け取れるイメージとして「あざとい」はそこまで珍しい物ではないと思う。
このイメージを払拭するようなストーリーがあるのがこの記事の本題。
ライスシャワーというウマ娘
このキャラのシナリオで良かったところはバックボーンからの落差だった。
まずミホノブルボンという強いウマ娘に憧れる描写を入れ、それを目指して日々研究、研鑽するシーンが挿入される。
健気で努力家である性格性のアピール。
そしていよいよレースが始まり、1位を取った結果。
ブルボンの三冠阻止、マックイーンの三連覇阻止。
他の人気馬ではなく、無名のライスシャワーが1位になったことで、この子は観客から声援ではなくとてつもない批判を浴びることになる
なぜ? と思う人は将棋で藤井聡太の連勝を止めたまったく知らない人、というイメージでこの子を見てみて欲しい。
そう考えると、確かに観客が残念がるのも少しは理解できる。
内気な性格の子が頑張ったのに周りから認められなかった
ポイントは「内気な性格」というところ。
これがもしいかにもなやる気マンマンのキャラで、強い精神力を持ったタイプであったのなら、こんなにも共感は出来ない。
物語を煌びやかにしたいのなら、凄いやつが凄いことをするのではなく、大したことのない人間が凄いことを成し遂げるほうが良い。
悲壮感を増すために、勝負服で喜ぶライスシャワーのシーンなども。
ただ、ここまでなら「かわいそう」という同情止まりだ。
同情と感情移入の違い
これがまたよく似ていて「かわいそう」と思うだけなら感情移入ではなく同情になり、共感に近い。
キャラが泣けば見ている人も泣く、キャラが死ねば見ている人が悲しくなる。そんな杜撰なシナリオが書けるのは、これらをごっちゃにしている証拠だ。
泣ける話が書きたいなら同情させる話ではなく、感情移入させる話を書かなくてはいけない。
感情移入は同情よりもさらにその先のことで、
かわいそうだから「なんとかしてあげたい」
かわいそうだから「頑張って欲しい」
という風にならないといけない。
そのためには一度突き落としてから這い上がるストーリーが必要だ。
ライスシャワーはレースで1位を取ったのに観客から批判を浴びたことがトラウマになり走るのを辞めてしまう
ここから「どういうキッカケで再び走ることを決意するのか?」というところに焦点は移る。
認められるという普遍的なテーマ
この後「一部のウマ娘からはライスシャワーの実力が認められている」描写がいくつも入る。
これはハリウッド脚本術にもある「噂話」というテクニックだ。
本人のいないところで本人の話をすると説得力が増す
よくなろう作品で大衆やモブキャラクターにも主人公の力を誇示し、「おおー、すげぇ」させるシーンがあるけどあれは乱立させないほうがいい。
認められるというのは一部の人間だけでいい。
むしろ大多数から認められていない状態から頑張るほうが感情移入はしやすい。
ライスシャワーは噂話によって少しだけ自分の実力が認められているという現状を受け止めた。しかしそれでもライスシャワーは頑なに走ろうとしない。
彼女の心を動かしたのは一番の憧れであり目標であったミホノブルボンの言葉だった。
「あなたは私のヒーローなんです。
強いウマ娘なんです。天皇賞に出てそれを証明しなさい」
まさしくどうでもいい人の言葉よりも、憧れのウマ娘の言葉が勝ったシーン。
ここからの展開はめちゃくちゃ熱いので興味があれば最後に本編のリンクを張っておくのでごらんいただきたい。
思いをぶつける瞬間
果たしてキャラクターが本当の意味で「人形」ではなく「人間」になる瞬間はどこかと聞かれたら、タイトルの通りになる。
例えばミホノブルボンというキャラクター。
属性としてはAI系のキャラなんだけど、正直「マスターマスター」言っていて、それだけのキャラ感が強いという印象を受けた。←これも第一印象
けれど、ライスシャワーを説得する時、彼女は感情を爆発させていつもの平然とした態度を破った。
これはストーリーのテンプレである〇〇だと思ったら〇〇だったに触れている。
マスターの命令だけを聞くウマ娘から、自分を打ち負かしたライバルにレースを続けて欲しいという熱血キャラへと早変わりした。
この〇〇だと思ったら〇〇だった、がキャラ作り、ストーリー作りに有効なのは「人間だれしも裏の顔がある。違う一面がある」ことがわかるからだと思う。
だからこのnoteではよくメガネをかけたちょっとそこの男子委員長を否定するし、テンプレートなキャラを推奨しない。
キャラクターを立体的にするということは、キャラの裏側を書くということだから。それが深いストーリー作りへの近道になる。
ギャップの作り方が上手い
このストーリーの特筆すべき点は「〇〇だと思ったら〇〇だった」がいくつも使われているところ。
ストーリー「1位を取って賞賛されると思いきや否定される」
ライスシャワー「おどおど系キャラかと思いきや、努力家で、熱い気持ちを持っている」
ミホノブルボン「人の命令に従うだけのキャラかと思いきや、思いやりが強く、ライバルをリスペクトできる」
ストーリーはもちろんのこと、キャラをテンプレートにしないような工夫がいくつもされている。
そういった工夫によってキャラクターが人形から人間へと昇華し、結果的に「努力」や「成果」の描写が出てくるだけで泣けるようなストーリーになっていくという仕組み。
派手なことをしなくても泣けるのはキャラクター作りがちゃんとしている証拠だ。
皮肉要素
一歩進んだ上級者レベルの話を書きたい人はぜひこの項目は読んでいただきたい。
この皮肉要素というのは物語のオチに加わると一気に深みが増す。
例えば今回のライスシャワーのストーリー。史実通りに行くと、この馬は天皇賞で1位を取ったことによって人々の中で「ヒール」から「ヒーロー」へと昇格する。
しかしヒーローになったことで、出場する予定の無かったレースに出ることに。そのレースの途中、足を骨折し、安楽死を余儀なくされてしまう。
皮肉ポイント
ようやく人に認められヒーローになれたのに、ヒーローになってしまったがために無茶をして死んでしまう結果になった
この手の皮肉はドラえもんでは幅広く使われているテクニックだ。
いわゆる「のび太は強い力(道具)を手に入れてしまったがために、最終的にひどい目に合う」というお決まりのパターン。
このストーリーテクニックが使えるのと使えないのとでは、作品から受けるイメージはまるで違ってくる。
ああ、深いテーマがあるな。と思わせたいなら皮肉要素は意識したい。
ウマ娘が流行った理由
ここまで長々とストーリーについて書いたけど、
ウマ娘が流行った理由もストーリーを通じて凄く伝わってきた。
気付けばキャラクターを通り越して史実の馬のことまで調べ始める始末。
二次元というのは現実では起こりえないことを表現する場
ともすれば史実では幸せになれなかったウマ娘たちをレースで1位にしたり、喜ばせてあげることが出来るのは「難民救済」とも言える。
ウマ娘のアニメやゲームはそれを実現するのにはうってつけだった。
本当に制作陣に愛された作品であり、手がかかっている作品だ。
艦これアニメもこれぐらい制作スタッフがやる気と愛情をもって作って欲しかったものだと思う。
それではここまで読んでいただきありがとうございました。
ちなみにライスシャワーもミホノブルボンも持ってません。
(ゲーム自体には面白さを感じてないので課金は控えめ)
今日の18時に2期一挙↓
おまけ(2期一挙の放送終了後評価)
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