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作品への正しい保険のかけかた
「日常シーンがつまらなくなる理由」が結構Twitterで反応があり、ありがたいことにコメントでも刺さったという意見をもらった。
せっかくなのでそれについて捕捉しておきたい。
保険をかけることの勘違い
シーンが長くなる、実はこれも一種の保険だ。
どういう保険かと言うと
「日常シーンが短いとキャラクターを好きになってもらえない。感情移入してもらえない。だからキャラの魅力をいっぱい日常シーンにつめこむ」
この心理が日常シーンを長引かせるのである。
これは自分への保険であって作品への保険ではない
事故るのが怖くて、車という本題に乗ることをためらっているだけだ。
その点短編というのは、道を確認し、車に乗り、アクセルを踏み、最後にはゴールに辿りつく。ということをスマートにやって見せる。
短編を書く作者というのは
自分に保険をかけないという意味でとてもクールな立ち回りをする。
キャラクターの数、設定の数、その他もろもろ
「個性のあるキャラクターをたくさん登場させよう」
「常に新鮮な体験をしてもらうために設定を濃密に」
「背景の数も増やして」「BGMもギャグからシリアスまで豊富に」
「クライマックスは感動させるために語りを多め」
これらは全て自分に対する保険だ。
コストという足かせがなければ、長編を作りたいと願うクリエーターは出来るだけボリュームを増やすだろう。
けれど凄いものをつくってウケるほど創作の世界は甘くない。
少し前ところどころにアニメーションもあり、
CG総数1000枚を超えるギャルゲを作ったメーカーの話をしよう。
マルコと銀河竜
この記事を読む人の1割もその存在を知らないだろうと思う。
自分は既プレイ者なのだが、本当に事あるごとにCGが差し込まれていて、イラストレーターの過労死を心配したぐらいだ。
ユーザー目線で本音を言えば
CGなんて必要なところにあればそれでいいので正直無駄なコストだと思う。
本編も特に特筆すべき点もない、普通のシナリオだ。
某エロゲ実況者が話題にしなければ存在すら知られなかっただろう。
この作品に残っているイメージは
「CG1000枚描いたイラストレーターが凄い作品」だけ、そんな評価は虚しすぎるだろう。
それぐらい内容以外のところに力を入れるのは悪手で、作品への保険にならない。むしろマルコと銀河竜はだいぶ赤字を食らっただろうと思う。
ここ最近で一番人気だった「世界観」についての記事にも書いたが、しっかりしている人ほど保険をかけるし、作品を完璧なものにしようとするし、なかなか完成しないものなのだ。
そしていざ完成してみた時に「凄い物を作ったぞ!」という自負と、
ユーザーの評価に対するギャップで落ち込んだりする。
いくら自分に保険をかけても
乗っている車が出来底ないでは命を落としかねない。
商業でやっているなら会社としての寿命は無くなるだろうね。
基本的にボリュームが多いことを保険には出来ないということだ。物好きでもなければメンタルが死ぬ。
コストに見合わない長編を作るような人間は皆狂ってる。
短編を書くべき
クライマックスになると急にシリアスな音楽が流れて、突っ立ったままのキャラが長ったらしいセリフを言いだし、ぐだぐだとした雰囲気のまま感動のフィナーレを装うような作品
割とこういう作品はある。
ラストシーンは伝えたいことがすでに伝え終わっていて、長ったらしく語る必要などないはずなのに、「感動させたい」だとか「感情移入させたい」という思いが強すぎて、プレイヤーの涙腺が渇いてきたのも知らずにこれでもかと語り始めたりする。
薄めたカルピスのような描写はいらない。
本当に良い場面というのは一瞬で、濃厚で、足りないぐらいでちょうどいい。
ぐだぐだと日常シーンをやっていて、積み重ねて来たものがないから最後に「全部言わなきゃ」と詰まったようなクライマックスになる。
よって、長編を書くなんて意識で長編を書くべきではない。
正しくは短編を10個作り、それを保険とするのだ。
ちなみにこれは「意識」の話であって、
完璧にそうしろと言っているわけではない
といったような蛇足の文章を
いちいち入れていたらテンポも読む気も無くなってしまう。
自分に保険なんてかけていないで作品に保険をかけよう。
それでダメだったとしてもきっとメンタルは前向きになれる。