たまにシリアス書くのがめちゃくちゃ下手な人がいる
ごきげんよう。
今回は物語の「シリアス展開」について。
ある意味で誰でも王道を書けるようになる方法を書いてみた。
言わば、シリアス展開は王道展開の前振りでなくてはいけないということ。
そしてもっともダメなシリアス展開とは、
それを体験するキャラクターになんら変化がなく終わることだ。
得るものがない作品
主人公が関わる登場人物とは、主人公が体験する「価値観」そのものだ。
色んな価値観の人間に出会うことによって、登場人物は「気づき」を得て成長するし何よりも世界観が広がる。
自分と違う考えを持っているというだけで、それはキャラ固有の世界観だ。
世界観の狭い作品というのは、キャラクターの相関図も総じて一方通行でつまらないものだし、変化も少ない。
主人公を成長させるということの本当の意味は、
新しい価値観を学習させ、行動に変化を起こさせるということ。
よく読了後に「得るものが何もなかった」という表現があるが、それは主人公を通じて新しい価値観を得られなかったということに他ならない。
キャラクターの裏側
例えばキャラクターどうしが幼馴染だったとしよう。
お互いの事をよく知っていて、
もう知らないことはないとなった時、どうするべきか?
そこに、非日常的なシチュエーションをぶつけるのである。
倉庫に閉じ込められる、みたいなシチュエーションはよく見るヤツだ。
日常的にキャッキャウフフしているシーンなんて他の作品でも飽きるほどある。重要なのはどうすればキャラクターは「本当はこう思っている」という本音を曝け出すのか、だ。
日常パートを「素の自分」とするならば、非日常パートでは「裏の自分」を出すべきだろう。
日常パートで特殊な価値観なんてそうそう現れない。
ストーリー性を帯びた価値観とはキャラクターの裏側にしか存在しない。
それは通常では理解されないものだからだし、特殊なシチュエーションでしか曝け出さないものだし、相手を信用していないと吐き出さないことだからだ。
シリアスパートというのはそういう時に使う。
世間一般ではシリアス=憂鬱ぐらいのニュアンスで伝わっているが、シリアスの本来の意味は「真面目」や「真剣」。
昨今それを勘違いした人が憂鬱なだけのシリアスパートを作って「いや、この作品にシリアスいらねぇよ」の流れになる。
シリアスとは本来キャラクターの裏側(価値観)を表現するパートだということを理解していないからだ。
物語は「実はこう思っていた」の連続
シリアスが上手な漫画、NARUTOで説明しよう。
名場面「実は落ちこぼれの生徒を誰よりも認めていた先生」を抜粋。
化け狐が封印されているナルトは、自分のことをイルカ先生が認めていないと思っていた(ナルトは落ちこぼれで、周りからの評価が厳しかった)
しかし窮地に立たされているにもかかわらずイルカ先生は「ナルトは優秀な生徒」だという本音を吐露
イルカ先生の本音を聞いて、ナルトは禁術を使い、敵を自分一人で倒すことを決意する
この3ページには以下のプロセスがある。
自分は化け狐が封印された忌み子だから先生からも認められていない
(自分の中での価値観)
普段厳しい先生 実は誰よりもナルトを理解し認めていた(裏側)
(ほかの人の中での価値観)
誰からも嫌われていたというナルトの価値観が変わる。
Aの価値観+Bの価値観=Cの変化。
全ての物語はこの構造で出来ている。
起承転結や序破急なんか参考にしている場合ではない。
人一人の価値観を変える。
それが一番感動するし、面白いし、王道なんだ。
嫌われるシリアス展開
キャラクターが真剣になりすぎるあまり、
周りに自分の価値観を理解させようと暴走してしまうことがある。
まさしくこれが嫌われるシリアスかどうかの分かれ目だと思う。
自分の価値観にとらわれ、周りに当たり散らし、迷惑をかける展開なんて
誰も望んではいない。
そういう展開は小さな子供を表現するものであって、ましてや高校生や大人のキャラクターでやったら当然反感は食らう。
その真剣さは「キャラクターの設定」と釣り合っているのか?
駆け出しの高校生アイドルが「観客が少ない! アイドル辞める!」 なんて言いだしたら、せっかく来てくれた少数のファンの気持ちを踏みにじることになる。
その価値観はオブラートに「精神的に未熟」と言えるが、
アイドルをプロとしてやっている人からしたら「クズ」になる。
これが何十年も苦労してきたアイドルだったら別だろう。
キャラの背景に対して価値観の設定をミスると、
簡単にキャラクターはクズ認定されてしまう。
精神的に未熟なキャラクターでシリアス展開をやりたければ、背景はそれに見合うだけの壮絶な、不幸なものでなければ釣り合いはとれない。
シリアスパートはキャラを立体的にする
以前にもウマ娘記事で書いたが、キャラクターの裏側を書くということはそのまんまキャラが立体的になるということでもある。
なので、日常パートとシリアスパートを交互に展開していくことでどんどんキャラは立体的になる。
「この作品にシリアスいらねぇ」
これの意味するところは、この作品に鬱展開はいらないであって、
別に真剣になるパートはあってもいいと思う。
話に刺激が足りないから鬱展開を入れよう。みたいな軽い気持ちで書くからこんな批判が飛び交うんだ。
シリアスはキャラクターが真剣になる場面だ。
「そのパートの主役は誰か?
一番物事に対して真剣になっている人は誰か?」
その人が誰かに影響し、誰かの価値観を変えるだろう。
ウマ娘みたいな可愛い系で「シリアス展開いらねぇ」と言われなかったのも、上手にシリアスを書いたからだろう。
話を盛り上げたい、キャラに感情移入させたい。
だったらシリアスは物語に必ず差し込まなくてはいけない要素。
明日→『嘘が下手な人に物語は書けない』
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