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誰にも、奪えない

年始、ある番組の中で、ガクトが言った。

「知識と経験は、自分だけの財産だ。家もお金もすべて奪われたとしても、俺は生きていける」

椎名林檎は、名曲「ありあまる富」の中でこう歌った。

「僕らが手にしている富は見えないよ 彼らは奪えないし壊すこともない」

そうか、と私は思った。

きっと、今の私が積み重ねているものも、誰にも奪われないものだ。


少し、自信がなくなっていた。

私の3年間はなんだったんだろう?何を積み重ねてきたのだろう?何を信じて頑張ってきたんだろう?同じ時間を、他の人はもっと価値あることに費やしていたのではないか…?

そう思った一番の理由は、言葉にできなかったことだ。特に伝えたい相手に、私は私が価値だと思ってきたもののことを、説明できなかった。

説明しやすいものというのは、わかりやすい壁を越えたとか、成し遂げたとか、評価されたとか、そういうなにか大きくてバブル的なものだ。そして、これは私の固定概念かもしれないけれど、辛いものや我慢して努力して達成するものも、これにあたる。あと、偉い人や大先輩が正しいと言っているものも。

あともちろん、見える何かをたくさんもっていることも。年収、地位、立派な家、車。

それに対して、日常的で、地味で、ひとつひとつは小さくて、自然で、自己判断的なものは、価値がわかりづらい。

でも、だからこそ、自分が価値だと見てあげなかったら誰が見るのだろう?

私が読んできた本、言葉、文字ひとつひとつ。

見てきた山の、村の景色。木の感触。風の匂い。おばあちゃんの笑顔。

自分の心地良い生活をつくること。自分でつくって食べたもの。古いけど味のある家。

毎日の思考。問い、答え、問い、答え。やってみたことの考察。

きっと、誰にも奪えない、私だけの時間、体験だ。そこから得た実践知も。

たくさんの人に評価されなくたっていい。むしろ、たくさんの人に評価されることを求めてやると、なにかが奪われていく。自分自身が奪われていく。

心にとめよう。ぐらついたときは、自分に向かって言おう。

誰にも奪えないものを、積み重ねて行けばいい。

信じて積み重ねたものは、きっと誰にも奪えない、と。


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有紀
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