茶化してないとやってらんねえよ
室井慎次生き続ける者、
スーパーネタバレ私見記事です。
言葉遣いが汚い部分などあります。
ご承知おきご容赦ください。
「今日、推しが、死んだ」
まだ、わたしは全然受け入れられないし、
ぶっちゃけ室井さんがいない踊る
(室井さんのカケラがふんだんにみられる踊る)を
観たいと思わない。
いまではそもそも過去の踊るを観るのが辛い気がする。
てかファイナルの室井さんの登場人物紹介シーンだけで精神の乱れを感じた。
なんかほんといまはマジで観たくない。
だってもう室井さんは60すぎ?ぐらいで、
命を終えるのに、もうこれ以上好きになりたくないし、観たくないし、辛すぎる。
OD1もOD2も、
死んだと思ったけど、全然ピンピンでーす!
みたいな言説が踊る大捜査線の専売特許みたいなとこあったから、
吹雪の中に消えていく室井さんに
「え?どこいくの?」という感情すら抱けず、
このあとどうするんだろうなーぐらいにしか思ってなかった。
だから新城さんが正装で来た時も、
まだまだ全然信じてなかったし、
病院で杏が介抱するシーンとか出るんやろな、
ぐらいに思ってた。
そしたら、喪に付した人たちが、
どんどん証拠を積み上げてきて、
わたしは涙をこぼす暇もなく、
室井さんが死んだということを押し付けられて、
映画が終わってしまった。
だからほんとうに織田裕二が青島くんとしてスクリーンに映った時に、
わぁ、ってなった。
でもこの結末は考えれば考えるほど、
室井慎次という人は、
踊るのコマにされたのか?なんなんだろう?
どうして?どう受け入れれば良いの?
としか思えない。
青島くんが最後見つめてるのは、
室井さんがいない未来、室井さんが死んだ世界、
室井さんがいないあの家なわけでしょう。
つらすぎて急に泣きそうになってる、いま。
室井さんが死んだ踊るの世界なんてこの世に必要なの?
生み出す必要があったのかな?なんでそんな世界線を作ったの?
ぎばさんが、舞台挨拶の最後に、
「室井は間違いなく27年来の大親友でした。
彼の27年に何かを感じてくれる人がいたら、
またたまに思い出してもらえたら」
という言っていたところでやっと涙が出て、
止まらなくなった。
室井さんももちろん、
一世風靡セピアのジョニー、
29歳のクリスマスの新谷
そしてそんな彼等を生み出した愛して生きてきた柳葉敏郎を推しているわたしとしては、
そのぎばさんががそんな風に思っているのであれば、
わたしももう室井慎次の死、消失を受け入れて、踊ると室井慎次を卒業するしかないなと思った。
『今日、推しが、死んだ。』
踊るの逸話として、
「殉職させてほしい」とぎばさんが連ドラの時に言ってたという話があるんだけど。
もちろん、OD4まで出たいまそんなことはもう過去かもしれないけど、
もしかしたらずっと彼の頭の中にあって、
いつしか逆に、
「死ぬ、という形でしか、室井の物語は終えられない」
そんな風に思っていたのかな、と思った。
だからこそ、
そうぎばさん自身も思ってるからこそ、
最初はオファーを断ったのでは?と。
物語を終えたくないし、
ファンのためにも踊り続かせたい、
そんな思いがあったのかな、と。
ぎばさんはなんだか、
肩の荷が降りたような顔をしてたし、
室井のことを語る時も、自分のことというよりは、友だちのことという顔になっていた。
もしかしたら毎回映画後はそんな感じなのかもしれないけどね。
でも本当に肩の荷が降りたと思うし、
もう室井のことを頭のどこかで
“心配“しなくていいんだ、みたいな気持ちになったんじゃないのかな、とおもった。
だからぎばさんの気持ちを尊重するためにも、
室井慎次の死を受けいれなければならないし、
もう室井さんのいない踊るの世界線しか続かないことを受け入れていかなければならない、と思う。
そんなもの到底いまのわたしには受け入れられないけど。
今になって涙が溢れて止まらない。
室井さんはもういない。どのお話の世界線にも。過去にしか出てこない。辛い。
ぶっちゃけ、映画の内容、物語の面白さとしてはかなり低いけど、
室井さんの墓碑銘として、
DVDを買うのはアリなのかもしれない。。。
ぬ〜〜〜べ〜〜〜!!!!!
なぁ!こうやって茶化して無いともう精神がもたねえぐらい推しの死はキツいんだよ!!!!!
ネタバレ無しで観なきゃよかった!
何が
「室井さんは皆さんの心の中で生き続けてます」
だよ。
それって死んだ人に使う言葉だろうがよ!
室井さんに対してそんなこと言うな!最悪だ!最低だ!やめてくれよ!
重篤な室井ファンは心の準備が必要ですって言ってくれよ!!!!!
モロに心にくるから!!!!!なぁ!!!!!
室井さんを返してくれ!!!!
頼むよ。
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