ヘッドが軽い
ロボットドリームズを観た。
ちょっと時間が経ってだんだんと気持ちが体に馴染んできたので言葉にしたい。
ネタバレガッツリあります。
そもそもなぜこの映画を観ようと思ったか。
オモコロウォッチで話してたのをこの日の午前中に聴いて、
へーどんな話なんだろ、どっかで観れないかな〜、なんて思ったらめちゃくちゃ予定的に良い時間にシネマテークでやっており、じゃあみるか、となった。
私にしては珍しくフッ軽な感じが、映画の内容にもなんとなくリンクしてるような気がして、そういう「流れ」の中にいるなと感じた。
とにかくは私はオモコロ中毒。
ロボットドリームズの話題初出回
わたしもロボットが錆びるNGじゃなくてよかった。
映画の内容。
ドッグとロボットの話。
ドッグがほんのりアホちゃんで、ロボットがめちゃくちゃ大人よね。
ドッグは確かに海が閉まってから1年間、どうにか動かせないか努力もしたし、なるべく忘れないようにもしてた。
でも、ハロウィンの時期にさみしさをちゃんと感じた時、もう無理なんじゃないかって思って、スキーに行ったり、カイト友達を作ったりしてた。
ただ決して、ロボットを忘れたとか、もういらないって思った訳じゃなくて、
ロボットが戻ってこられたら、みんなで一緒に遊べばいいやーぐらいに思ってたんじゃないのかな。
そこに「ロボットが戻ってきた時に、僕にうんと仲のいい友だちがいたらどんな気持ちになるだろう」というような慮りの気持ちはなかったわけよね。
というかこの気持ちってあんまり他人は持たないのかなーとか思ってたけど、オモコロウォッチきいてたらそうでもないこと(そういう感情を持つことが普通なこと)がわかってよかった。
その辺も含めて、
ロボットが海に入ったらどうなるかとか、
1年間も浜辺で放置されてたらどうなってしまうかとか、
その辺の思慮が足りない部分も合わせて、
ひたひたで限度超えてるおばかさんであることがよくわかる。
永田さんのいうとおり。
ただこのラジオで言及されてる、
2回目のアレ=新しいロボットと海に行くこと、は、
別にアホで行ったわけじゃなくて、
新しいロボット海に行って、
嫌な記憶を塗り替えたかった、
友達と海に行くことがトラウマになることを、乗り越えたかったじゃないのかなぁ、と思ったり。
いやそういうところも、は?なんだけどね。
なんかズケズケしてるというか。
新旧どっちのロボットに対しても失礼な気がする。
でもドッグはそういうぬるぬるとしたフッ軽というか、ヘッド軽というか、あほちゃんなんだよなぁ〜という感じだったし、
対してロボットは、
たしかにそのロボットというある種の『定め』『宿命』みたいなとこあるけど、
ドッグに対してめちゃくちゃ一途だし、
キラキラな海とかキラキラなダンスとか美味しいピザをドッグの隣で味わえるってことにとにかく至高を感じてて、
だからこそ、「ロボットドリームズ」なのであって、とにかく一途でちょっと不憫。
だから、大人なラスカルに拾われて直されて、野球を一緒に観てるシーンで、場違いで声援を上げようとした時に、ラスカルに諌められてるシーンが印象的で、
ドッグとだったら一緒にわーいってしちゃってたんじゃないかなって。
わたしは、ロボットが最終、ラスカルのもとで暮らしてくれることになって、割とよかったなと思う。
あの時計台から身を出して、
ドッグに見られてしまわなくてよかったな、と。
ロボットは「ここでドッグに姿をみせたら、ドッグはいま一緒にいるロボットのことについては考えずに、自分を求めるだろうし、そこはまあ一緒にいればいいじゃん!」ぐらいにしか思わんだろうなぁ、と思ったんじゃないかな。
だから、ちゃんと隠れたんだろうなあ、と。
私は、映画的にはロボットにめちゃくちゃ感情移入するけど、行動としてはドッグみたいなこともしちゃいがちな気がする。
だからラスカル推し。拾われてきたロボットと同じように大切にしてほしい。
わたしはこの日チーズマカロニが食べたくなって、業務スーパーで買って食べました。