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嘘日記 5月17日

今日は「君の膵臓をたべたい」というアニメ映画を観た。ヒロインの女子高生が膵臓がんを患い余命が残りわずかという状況の中、クラスの地味な少年と残り少ない日々を過ごす、というのが大まかなあらすじだ。

小生が深く感情を揺さぶられたのは、タイトルにもなっている「君の膵臓をたべたい」というキーワードが作中に2度あったということだ。図書館で少女が少年に向けて言ったのが1度目、そして物語終盤で少年が少女にメールで送ったのが2度目だ。

このセリフに込められた少年少女の想いの丈はそれを発言した瞬間よりも、時間を経るごとに徐々に強いものとなっていく。そんな心の移り変わりをアニメで表現したこの作品を小生は単純にすごいと思った。

また、作中で少女は自身の闘病生活を日記にしたためている。それを少年が読んで物語が大きく動き出すのだ。
ここで、小生がなぜこんなつまらない嘘日記をつけているのかを考えてみる。

結論から言うと、小生は自らの人生に何らかのドラマが欲しいようなのだ。
アニメや漫画の世界では、ある人物がつけていた日記がきっかけで、物語が進行していくことが多々あるのを皆さんもご存じであろう。

推理物ではどこかの博士の日記が事件解決の手掛かりになったり、ヒーローものではどこかの少女の日記でやっとヒーローが敵を倒しに行こうとしたり様々だ。

このようなことは我々が生きる現実世界でも当然のように起こっているということを我々は存外に知らない。
例えば、かのアンネ・フランクは日記を書いた。それをたまたま我々が物語の主人公さながら読んだ。ただそれだけのことなのだ。

ただそれだけで、ある主人公は少女に同情しその歴史に興味をもって勉強を始め、またある主人公はヒトラーを批判し子供にナチスの暴虐を説いた。独りよがりの文章だと感じ何もしなかった主人公も当然いただろう。

しかしアンネの日記を起点に、世界規模で様々な主人公による様々な物語(ドラマ)が生み出されたということを小生は言いたい。文章というものはかくも不思議な力を持つものなのだ。

この下らなくて、たいして面白くもない、何年後かに読み返したら完全に黒歴史だと赤面するような嘘日記は、100万人に1人か1億人に1人かの割合でいる主人公にとって、素敵なドラマ作りのきっかけになることを願って、今日も小生は筆をとる。

願うだけならタダなのでついでにもう一つ願っておくが「君の膵臓をたべたい」は、とってもいい作品なので時間がある人は観てみるといいだろう。どうやら実写化もされているらしいぞ。浜辺美波がヒロインを演じているらしい。

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