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プライバシーの境界線

昨日もう金を聴いていて、「そういえば」と考え直したことを、まとまりを気にせず言葉にしてみます。


もうすぐ金になる日に飲んだビール。

友人の夫の友人から告白されてOKしたことを、知らないうちに友人夫婦に知られていて嫌だなと感じた方のふつおた。
ふつおたへの2人の意見を示しつつ、「"これはわざわざ釘を刺さなくても言いふらさないでしょ"のラインって、人によって違うよね」という話に広がったと記憶しています。

私は(私も?)、サシでの自分の言動を知らないうちに言いふらされるのがかなり苦手なので、嫌な気持ちが良くわかりました。
おめでたいことや褒めてもらえることでも、自分の知らないところで自分がエンタメにされる気味の悪さと感じます。

理由を考えた結果、当該の話題のことを、「何度か交流してある程度親愛度が上がった人と、お互いの内側に踏み込んだような話や出来事を経験した、と少なくとも自分は思っているから」なのかなと。
それを言いふらす・言いふらされることは、
お互いの内側を踏み荒らすことと同義に感じるのではないでしょうか。
まして、それが言いふらされた先で好き勝手に解釈されて、自分の元の思考が捻じ曲がって伝わるかもしれないわけです。
好き勝手にされた解釈があながち間違ってもないともう最悪で、(私は気づいてなかったけど、無意識にそう思ってたのかなあ)と自我の揺らぎを感じます。
自分の核心に自信がないんか?
ないかも。

だから、3人以上か初対面なら平気なことが多い。
言いふらされても仕方ない前提で、どうでもいいことしか喋らないからです。

同じ理由で、SNSやブログで同様の話題を事細かに書くことも、書いてる人も、苦手です。

全く同じではないでしょうけれど、あの話題で「自分もその立場だったら嫌だな」と思う方は少なからず似た面があるんじゃないかなと思います。
ないかな?なくても別に良いです。

おわり。

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