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ベンガる日々

ぼくがこの春から勤めている日本料理店に、Kが調理スタッフとして加わったのは8月のことだった。彼は日本語学校に通うバングラデシュ人だ。採用面接に当たった店主はおおらかで、たしかアゼルバイジャン人って言ってたという触れ込みを広めた。蓋を開けてみればバングラデシュ出身だったわけだが、その違いにまるでぴんとこなかったじぶんに私は衝撃を受けた。

だいいち、バングラデシュ語というものがあると思っていた。実際のところ公用語はベンガル語である。しかしそうだと判明してみても、中国語のシェイシェイやヒンディー語のナマステーのようにぱっと浮かぶイメージもない以上、まだよくわからない。ベンガルと聞いて浮かぶ言葉といえば二つ、「ベンガルトラ」と「ベンガル湾」ぐらいなものだ。虎がいるということはさぞ密林に覆われていて、湾があるということは海があるのだろう…云々と考えただけで行き詰まってしまうあたり、バングラデシュに関する理解の解像度の粗さを思い知らされる。Kとの関係はそういう悔しさから出発した。

まずはベンガル語で挨拶を試みた。
彼が出勤してきたところを見計らって、「こんにちは」に相当するとしてグーグルが教えてくれた表現「シュボー・シュカール」を投げかけてみる。長いまつ毛に彩られてどことなく憂いを帯びた目が美しい、Kの端正な顔つきが一瞬にして笑いと驚きにゆがんだ。「おお、シュボー・シュカール!」
猫が喉を鳴らすように低い声で笑っているのを見て、ぼくはほっとした。シュボーとシュカールがどうして「こんにちは」たりえるのか全く理解できず、「だってグーグルがそう言ったから」と言わんばかりに手元のタブレット画面を必死の形相で指差してたっぷり保険をかけていた肩の力が抜けた。
ひとしきり笑ったあとKは「シュボー・シュカール」でもいいけれど、ムスリムのアラビア語の挨拶「アッサラーム・アライクム」のほうがbetterと教えてくれた。basic、といっていたような気もする。彼はムスリム、すなわちイスラム教徒なのである。

バングラデシュ国民の大多数はムスリムであるという。
隣国にインドがあるぶん少しだけヒンドゥー教や仏教の信者もいるが、全体の9割がイスラム教を信奉している。さらに少しキリスト教徒や諸宗教の信徒がいるという。Kと知り合ってからベンガル文化に関する本を何冊か読んで、タゴール瑛子『ドル ドル ドラニ:ベンガル語への誘い』でベンガル語の挨拶ノモシュカールを知って、さっそく翌日Kに使ってみたところ「ノモシュカールはヒンディーだからだめ」と顔をしかめられた。合掌の作法も同様だという。日本人のぼくには想像しにくい差異だが、むやみに畏れずにKと果敢に関わるなかで改訂、アップデートしていこうと思った。

ぼくが彼にベンガル語(並びにアラビア語)を教わりながら、KはKでぼくから日本語を学びとる。「〜しておく」や「〜したんです」といった学校で習った表現も導入して徐々に彩りを増していく彼の日本語には驚かされる。ぼくも負けじと教わる。そしてどしどし使う。
皿洗いを彼に頼むときは、もちろん激務に追われて殺伐としていてそれどころではない場面も多いけれど、たまに「ドアヤーコレ」(お願いします)という。「アッサラーム・アライクム」への応答はそのままおうむ返しにするのではなく、アラビア語の形式に則って「ワライクム・アッサラーム」と応えてみる。そして、「キャモン・アチェン?」(調子はどう)とか「キー・ケー・アチェン?」(きょうは何食べた)と尋ねる。固有名詞をベンガル語で言われてもまだどうしようもないので日本語と英語を混在させながらKが朝食を明かすと、「アッチャー、ドンノバード」(わかりました、ありがとう)。調子はどう、と聞かれれば、オーソドックスに「バロ・アチ」(元気です)と言ってみたり、(とても暑いです)(少し寒いです)とか(眠い)(疲れた)(忙しい)(お金ほしい)と不平をぼやいたりする。
まだ短文の表現しか使えないのがもどかしいところだが、現状と問題点が都度くっきりしているので張り合いがある。知りたい言い回しがあればその場でKに訊けばたちどころに解決する。そうして断片を集積していくと朧げに法則が見えてくることがある。たとえば、「誕生日おめでとう」は「シュボー・ジュンモディ」で、「さようなら」は「シュボー・ビダイ」である。「こんにちは」にも埋め込まれていたシュボーが、どうやらgoodとかhappyといった意味合いを帯びていそうなことが窺える。体調のgoodや気分のhappyはシュボーではなくバロらしいが、それでもざっくりとルールが見えてくると断片の濁流が押し寄せても溺れない自信がついてくる。

なお、ベンガル語の文字を読む・書くことは早々に諦めた。
下に掲げるサイトをご覧いただければ、律儀に取っ組み合うべき相手でないことがお分かりいただけるに違いない。大学のモンゴル語の講義でキリル文字を習ったときのように腕まくりをして覚えようとしたが、覚えなくちゃKと話せないわけじゃないという達観から潔くやめた。進級や名誉が懸かったテストを受けるわけでもなし。

Kが、本国にいる妻とメッセージのやりとりをするのを見せてもらうことがしばしばあるが、そこでは全てのベンガル語表現がアルファベットに置き換わっていた。いちいち打って変換するのはネイティヴにとっても煩雑なのだろう。文字はビギナーが必ず通らなくてはならない関門ではあるまい。

「ボンドゥ」
ある日、つかつかとKが近寄ってきてぼくにそう唐突に言った。
いったいなんのことかと思ったら「友達」という意味らしい。
われわれの間柄を指す表現をにわかに教えたくなったんだろうか。
あまりにも健やかな事態に、思わずぼくの喉も猫のように鳴った。
「アミ・アプナール・ボンドゥ」(ぼくはあなたの友)
ついぞ日本語で発したことのない言葉がぼくの口から流れ出た。

親しくなるにつれ、彼が住む寮に招かれることも増えた。2段ベッドが8人ぶん並ぶ部屋に一足踏み入れると、たくさんの同居人が目を爛々と輝かせて挨拶を寄越す。そしてみんなで慌ててテーブルを簡単に片付けて、ごはんを振る舞ってくれる。鶏肉か鴨肉をマサラで煮込んだそれは、たいてい深夜にお腹を痛めるぐらい辛い。ぼくとKの突然の思いつきで彼の部屋を訪ねることになるケースが多いため、味つけは当然ぼくの来訪を度外視した母国水準のものであり、日本の甘口カレーに慣れた消化器にはいつもどぎつい。
水をがぶ飲みし、脂汗を流すぼくを同居人は心配そうに見つめ、スマホの翻訳アプリに向かって小声でなにかを言っている。こちらへの配慮を忠実に反映したのだろう、感動をそそる文がその画面に映っていた。
「あなたが来るとあらかじめ分かっていたのでしたら、辛さを抑えたものを作りますのに」

正直なところをいうと、彼の部屋を訪ねるのは怖かった。
ムスリム/バングラデシュ/寮の見知らぬ同居人/外国籍…ふだん関わらない属性に取りまかれるのは、職場にいるKと話すのとは異なる次元の状況である。もしや、あれやこれやの痛い目怖い目に遭うのでは、という懸念が払拭できず内心びくびくしたまま彼らの居室に入った。きらきら輝く彼らの瞳も何か邪悪な底意を秘めているのでは、とおもう。ごはんの辛さに身悶えしながらも、離れたところに置いたリュックや財布のことが気に掛かっていた。恐怖が極大に達したのは、辛いものを食べて気息奄奄になっているぼくを横目に、Kが乱雑な戸棚から真空パックされた黒く細長い干物を取り出したときである。「これ食べませんか、マングース」「マングース」「マングース」と言いながらもすでに口元にぐいと干物を押しつけてくるので噛むほかない。マングース? マングースってあの? 目を白黒させながら、危険な領域に知らず知らず踏み込んでしまったかもしれないと思った。違法、脱法、不法…物騒な言葉を脳裏に走らせながら、しぶしぶマングースを噛み締めた。ほのかな甘みが口にひろがる。なんのことはない、マンゴーだった。

このマングース事変をきっかけに、怖れの雪解けが進んだように思う。
訊けばこそ、ムスリム式の「いただきます」(ビスミッラー)と「ごちそうさま」(アルハンドリッラ)の表現を教えてくれたり、祈祷の文言をひととおり唱えてくれるが、終始イスラムの属性を押し出して強く迫ってくるわけでもない。週40時間の労働制限のもと、日本料理店の厨房で働いていたり、運送会社で勤めていたり、コンビニを夜な夜な稼働させていたりする、ただのひとたちだった。お腹が空いているかもしれないとカレーをお裾分けしたまでだし、苦手な辛いものを口にして苦悶しているのを見かねて口直しに甘いものを勧めたまで。なぜならボンドゥだから。いや、Kの言い回しを借りれば「バロ・ボンドゥ」(親友)だから。

このごろはぼくのほうから彼の寮を訪ねるようになっている。
風呂上がりで半裸のKが迎えてくれることもあれば、同居人が迎えることもある。日本語がうまく伝わらずもどかしい場面も少なくないが、双方がなにかしら伝えたい真摯な情熱を持っているのは同じなので楽しい。
「あなたが帰るときは迎えにいきます」とKはよく言う。たぶん「見送る」と「迎える」を混同しているのだが、この誤りを正すのが難しい。翻訳アプリに向かってそのとおり吹き込んでみたところ「私は帰るので、迎えるのではなく送ってください」といった反映がなされたらしく、オー!と同居人一同が色めきたって、一枚記念に集合写真を撮ったあと大所帯で外まで「迎えて」くれた。
また、Kがあるとき皿を拭きながら伏し目がちに「あなたが好きです」と言ったような気がして、愕然としたことがあった。なんと返したものかおろおろしていると、「早くごはん食べたいですね」と続ける。そこでようやく腑に落ちた。「お腹が空きました」を「お腹がきです」と言ったのだ。かわいらしい誤謬が色ボケの耳に入力されてさらに不可思議な変換がなされた。むりに正すのも味気ないと思って、にやけて「はい、ごはん食べたい」とだけ答えた。最近はいよいよぼくもつられて「お腹がすきです」と言い出す始末だ。

来月は彼の同居人をまじえてボーリングに行く予定だ。
クリケットは好きだがボーリングはしたことがないという。
わかった気になって嬉しくなる理解の幸福と、ひっくり返される仰天の快楽とがないまぜになったベンガる日々の刺激はまだまだ続きそうである。

来年か再来年か、彼の故郷を訪ねることにもなるかもしれぬ。
ひょっとすると。消化器を鍛えておかねば。



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I.M.O.
I.M.O.の蔵書から書物を1冊、ご紹介。 📚 かくれた次元/エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)

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