
ハスミンになりがち
映画、悪の教典を観たのは一ヶ月くらい前のこと。
貴志祐介原作、三池崇史監督作、伊藤英明主演作。
ハスミンの愛称で生徒から親しまれる英語教師の蓮見が教え子の殺戮に乗り出す、この上なく凄惨な映画。さしたる動機もなく放たれる猟銃の脅威は、あまりにもファンタジックだったから、一晩寝たらうやむやになった。
じぶんはあの映画のどこにも関係ないと思ったのだ。
被害者の受難にも、加害者の発想にも行為にも。
精緻にグロテスクに作り込まれているけれど顔を上げてしまえば印象が急速に霞んでしまう箱庭のごとく、惨たらしい記憶の色は褪せていった。
しかし、ひょんなことから私は本作を思い出す。
旅先でふと見慣れない風景に出合う。
くわ、と瞳孔が開く。反射的に手が動きリュックから携帯端末を取り出す。
すす、と素早くカメラを起動し、風景を画面の枠内におさめる。
情報をなるべく豊富に、細密に切り取る瞬間を見定めて、シャッター。
手ごたえとともに端末を下ろす。ふうとひと息、瞳は真っ黒。
大丈夫、もう息の根は止めてある、と思う。
端末をリュックにしまいこみ満足げに歩き出す。
さっきの一枚が写し取っているものに目を凝らし、得意満面。
なにか未知の起こりそうな四つ辻や暗がりが近づけばまた態勢を整える。
いつでもシャッターを切れるように、呼吸を潜め、重心を落とし。
ここに、ハスミンがだぶる。
廊下の曲がり角で、目を丸くした生徒と行き合う。
くわ、と瞳孔が開く。反射的に手を伸ばし、彼我の距離を測る。
不審者出現の報せに動揺するなか、親しいハスミンに出合えた安堵で警戒を解く生徒の表情の機微には気にも留めず、素早く猟銃を構え、急所に照準を定める。
相手をたちどころに無力化する射撃のために息を詰め、引き金を引く。
手ごたえとともに銃身を下ろす。ふうとひと息、瞳は真っ黒。
つぎの標的が集まっているところはどこだろう、と思案する。
弾丸がもたらした完全に平穏で平坦な大地を進みながら、得意満面。
む。あちらのほうでいま足音がしたようだ。
聞きつけるなり、あらためて射撃態勢を整える。
旅先でありがちな「写真撮ってばっかり」である。
見慣れないものが降りかかるなりシャッターを切り、記憶にとどめる努力や判断や批評をくだす一手間を未来に先送りする。ざわざわと、既知の語彙ではすんなり表記できないような語りかけがもたらす不安をたちまち平均化、無害化する。我に危害を加える者として忌避するのと、「すごいものだ」と一言の安易で絡めとる崇敬は、この点において似通う。
カメラをあちこちで振りかざしていると、瞳が真っ黒になる。
見ること、考えること、落ち着くことの全てを端末に明け渡しているからだろう。重さがあり瞬間移動の叶わない肉体を持っているのが厭わしくなる。生徒の隠れている複数地点にハスミンはすぐさま同時に出現し、一挙に殲滅したかったことだろう。ルーヴル美術館のメソポタミア文明の展示コーナーを駆け抜けていく観光者たちもきっと同じ焦りを覚えていたことだろう。
ガラス張りの向こうで珍重される作品群をまえに、反射光をできるだけ除こうと腐心して角度を変えてシャッターを切りながら、じゃあ画集や写真集を買えばいいのではないか、と薄々勘付くから、瞳の黒はいっそう深まる。
すべて写真と化すのに、なんで私がここにいるんだ、と思う。
それも、高画質の機器でも高い技巧も持ちあわせていないというのに。
黒い目をしながら道で小学生とすれ違う。
蝶が舞うかのように二、三人で賑やかに離合集散しながら歩道をこちらへとやってくる。きれいだと思う。カメラをリュックから取り出そうとして蠢く手指を感じ取り、これは一種の殺意なのだろうと思い、哀しくなる。
背後に伸ばしかけた手をぎこちなく前に戻し、とぼとぼ進んでいると、
「こんにちは!」
小学生のひとりが言う。輪唱するようにほかの子どもたちも言う。
遅れて、じぶんに向けられた言葉だと気づく。
さらに遅れて、ささやかにコミュニケーションを図る挨拶だと気づく。
さらに遅れて、道をじぶんが歩いていることを強く意識する。
さらに遅れて、挨拶は返したほうがいいのではと思い至る。
さらに遅れて、「こんにちは」と口のなかでつぶやく。
挨拶と呼ぶにはあまりに不明瞭な音色をさして気に留めることも待つこともなく、小学生たちは道をそのまま歩いていく。
じぶんでもほとんど聞き取れないむぐむぐという発声。
恥ずかしかった。我が事として信じがたかった。
彼らとだいぶ距離があいてから、努めて明瞭に、虚空に向かって「こんにちは!」と唱える手遅れを演じては、いっそう恥じらいを深めた。
胸のざわつきを無理に宥めすかそうとしないほうがいいのだと思う。
リュックにぎっしり詰まった弾丸をつぎつぎに放って波風を凪いでいくと、いつしか知らず知らずじぶんを撃つことになる。肉体は揺れるもの。
心の引っ掛かりを撃ち抜きつづけたらきっとハスミンに同化する。
そこを踏まえたカメラとの付き合いを考えて、はた、と立ち止まる。
それはいったい。
殺さないカメラ。
殺さないRPG。
殺さないスイッチ。
まずは挨拶すること、挨拶を返すことからなのでしょうか。
こんにちは。
はじめてnoteに文章を投稿した当時から同じことを考えている。
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