#2 足クサ太郎
忘れらんねぇよ
大学に入ってから私は、
「A君を忘れるために新しい恋をしなくては…!」と焦っていた。
でも、忘れようとすればするほど忘れられなかった。
「忘れよう」と考えている時点で、その人のことを思っているからだ。
①A君を忘れたい
↓
②新しい彼氏を作る
↓
③A君の方が好きだと思い知らされ、別れる
↓
④ますます忘れられない
↓
①へ戻る
というウンコみたいなスパイラルから3年間も抜け出せずにいた。
ウンコみたいなスパイラルってなんだ。巻きグソか。
別れを繰り返すたびに、
「また一人、男の人を傷つけてしまった…」と自己嫌悪になり、
自分のことがどんどん大嫌いになっていった。
大学の3年間、私は何度もA君にやり直したいと申し出たが、その度に断られた。
(でも、絶対に突き放しはしてくれず、セフレみたいな関係が続いていた。そこがまた忘れられないポイントだった)
もうA君のことしか考えられなくて、でも叶わなくて、
「A君はもうこの世にはいない」
「A君は私の守護霊」
などという若干危ない思想でなんとか乗り切ろうとしていた。
何故こんなにもA君が忘れられなかったのか。
それは、「あれほど私のことを好きになってくれる人なんて今後絶対に現れない」と思っていたからだ。
でも、そんな思い込みをぶっ飛ばしてくれる相手が現れた。
革命児、現る
彼の名前をB君としよう。
B君とは元々X(旧ツイッター)のフォロワーというだけの関係で、顔も知らなかった。
当時私は京都、B君は千葉に住んでいたけど、たまたま大阪での某バンドのライブで会うことができた。
そこから何度か会う機会があり、半年後くらいに付き合うことになった。
年下の彼は人懐っこくて、愛情表現がまっすぐで、動物でいうと犬みたいな人だった。
私が「回転寿司行きたいなぁ〜」と言うと、「じゃあ俺が回るから!」と言って両手に皿を乗せて回り出したり、
なんの脈絡もなくストッキングを被った自撮りを送って来たり、
能天気でいつもヘラヘラしてて明るかった。
遠距離だったのだが、当時学生でお金に余裕がなかったので、夜行バスや青春18切符で12時間くらいかけて会いに行っていた。
私の腰はいつ爆発してもおかしくなかった(実際に爆発しなかったのは若さのおかげだな)。
もちろん、会えない日々の方が多かったのだが、
日時指定で私の誕生日当日にプレゼントをサプライズで手配してくれたり、
私が体調優れない日々が続いたときは薬を送ってくれたりした。
「会えない間も自分のことを想ってくれているのか」
と、彼から大きな愛情を感じた私は、
「A君より私のことを好きになってくれる人はいない」なんて考えはいつの間にか消えていた。
実はこの時期、A君から「ヨリを戻したい」という旨の連絡が来たことがあったが、私は何の迷いもなく断った。
あれだけ忘れられなかったA君よりも、B君の方がはるかに大切な存在になっていたんだ。
かわいくて、面白くて、頼りになる。
B君の悪いところなんて一つもなかった。
あったとすれば、足が臭かったことくらいだ。
(笑い事ではなくて、私が寝ててもB君の足の臭さで目が覚めてしまうほど臭かった)
上京、転職
B君と付き合ってから2年が経ち、私たちは社会人になっていた。
当時の私の職場はうんこだった(比喩表現です)。
例えば、
・ミスしたら罰金(小さいミスは3,000円、大きいミスは10,000円)
・給料の発生しないサービス出勤が月に2回もある
・それよりも先約だったプライベートの予定を優先すると嫌味を言われる
・通院を理由に欠席すると「マナー違反」と言われる
など。
不満だらけだった私は転職を考えていて、「どうせなら東京で働こう!」と決意した。
当時、私は好きな某バンドのライブを観に月1で東京に遊びに来ていたくらいなので、どう考えても東京に転職した方がコスパがよかったのだ。
私は24年間過ごした関西を割とあっさり離れ、B君の住んでいる千葉に引っ越してきた。
転職先を決めずに先ず引っ越してきたのは、今思えば、我ながら勢いがあるというか、怖いもの知らずだった。よくそんなことできたなぁ、と今となっては思う。
でもそれは、近くにB君がいてくれる心強さのおかげだった。
そして1ヶ月半くらいの転職活動の末、無事に東京での就職が決まった。
B君が近くにいるし、仕事も決まった。全てが順調だった。
仕事楽しい期
新しい職場になり、私は初めて「仕事、たのしい!」と思った。
決してホワイトではないものの、今までの職場がうんこだった分、めちゃくちゃ働きやすい職場だと感じた。
自分の得意分野で人に頼られることが嬉しくて、やりがいを感じていた。
「仕事たのしい、上司の期待に応えたい!」
そう思うようになり、残業代が出なくても遅くまで頑張っていたりした。
一方、B君は私が仕事に熱中することをあまりよく思っていなかった。
ある日、
「残業代出ないのに遅くまで残って仕事するなんて馬鹿だね〜。」
と言われ、私はとてもショックを受けた。
24歳当時の私は、初めて「楽しい」と思えたこの仕事を誇りを持ってやっていたので、それを否定されたことが悲しかった。
人生最大の間違い
一方、職場に「○○さんはよく頑張ってますよね」と、私を認めてくれる先輩がいた。
仕事頑張りたい期だった当時の私にとって、自分を肯定してくれるその先輩の存在はとても大きかった。
その先輩は社歴は上だったけど、年齢は3つ下だった。
全然フツーの内容なのに、その先輩がぼそっと発言するだけで社内にどっと笑いが起こるような、独特なキャラの持ち主だった。
また、仕事はできるけど、プライベートでのダメ男オーラが滲み出ていた。
「家ではいつもふりかけご飯しか食べてない…」
「休みの日はベッドから一歩も動かなくて体が痛くなる…」
などのエピソードが先輩の口からぼそぼそ出てくる度に、
「私がこの人を守ってあげなきゃ…」という謎の使命感(母性本能?)に駆られていた。
何を思ったのか当時の私は、B君との順調なお付き合いよりも、「先輩を支えてあげたい」という気持ちの方が大きくなり、「好きな人ができた」と、B君に別れを告げたのだった。
今、もし当時の自分に会えるのなら、「やめておけ、めちゃくちゃ苦労することになるぞ!!!B君と別れたことを悔やむ日々が来るぞ!!!!」
と全力で止める。でも、もうそんなことはできないのだ。
ここから、私の恋愛は「ダメダメコース」へと一気に線路切り替えが行われることになる。
当時の私に気づいて欲しいこと
足クサ太郎編 終わり