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自分と向き合う

今年の夏、自分の健康状態に向き合わざるをえなくなった。
頭痛の頻度が増え、たまにめまいもあるようになった。朝起きるのが怖くなった。 仕事にも影響し出したので、耳鼻科へ行くと、内リンパ水腫と言われた。 低音域の聴力が落ちているとのこと。 メニエール病の手前?のようだ。低音障害型感音難聴というのもあり、こちらはめまいが伴わないものらしい。イヤホンは原因のうちに入らず、ストレスや疲労が原因とされている。

まず驚いたのは、ストレスで聴力が落ちるということ。まさか、ストレスがそこにダメージを与えるとは。

休職している間にしていたのが、GPTに質問攻めするというもの。
GPTを話し相手に、自分の考え方とか今後のこととか新しい視点を得たいという気持ちもあり、やってみたのだ。 

自分の欠点を試しに訊ねると、自分を攻めすぎるようだとわかった。
では、それを改善するためには?と聞くと、毎日、日記を書いたらどうかと提案された。だから、毎日、日記を書くことにした。
なにかと言い訳が思いつくので、それも全てGPTにぼやいたことで、「では、こうしたらどうか?」「ここを改善した方法を提案します」と返事をしてくるので、いよいよ言い訳を思いつかなくなり、やらざるを得なくなった笑
言い訳を思いついたらGPTにひたすら投げるのは、やらざるを得ない状況にするために最適だと思った。
日記には自分の調子、試したこと、考えたこと、行動したこと、そして、どんなに小さなことでもいいから自分を褒めることを書くようにした。
19時にGPTへ報告し、Googleカレンダーに貼り付ける。
なんなら、自動化してみたい。
わざわざGPTに報告するのは、習慣にしやすくする、客観的な提案をしてくれるところがいいと思ったからだ。

好きでしていたはずの旅について。旅をする理由は、常にシンプルだった。行きたい場所があり、普段の生活圏を抜け出したいという気持ちが自然と湧き上がってくるから。それは決して「ストレスから逃げるため」ではなく、ただ好奇心に従って足を運ぶ行為だったはず。
しかし、「もしかして、旅がストレス発散の手段になっているのでは?」とふと思う瞬間があった。確かに、非日常に身を置くことは心を軽くしてくれるし、頭の中の重荷を一時的に取り去ってくれる。でも、それが単なる逃げ道だとしたらどうだろう?いつの間にか、旅の目的が変わってしまったことに気づくと、楽しさが薄れ、複雑な気持ちになった。
好奇心を満たすために始めた旅が、逃避の手段となると、旅そのものが以前ほどの輝きを失い、かえって自分を追い込んでしまうことさえある。旅をするたびに「これは逃げているだけじゃないか?」という罪悪感が胸に響き、瞬間瞬間を楽しめているのか疑問に思ったりした。
「逃げることが悪いわけではない」と頭ではわかっているけれど、どこかで自分の問題としっかり向き合えていないと感じた結果、好きだった旅が重く感じられたり、楽しめなかったりする瞬間があった。
好きなことを楽しめなくなるのは悲しい。だからこそ、旅そのものを再発見し、自分のためにどう活かすかを、もう一度考える必要があると感じた。

今年は奥入瀬渓流14km歩いたり、田沢湖をサイクリングしたりするのがとても楽しくて、体を動かすのが好きだったことを思い出させてくれた。
診断を受けてから、遠出をする機会が減ったのだが、敦賀に行ってきた。
気比の松原で日本海を眺めながらぼーっとしたかったからだ。波や風や鳥の音を聞きながら、ぼーっとしたり本を読んだりした。
都会に帰ってきて、とてもスッキリした感覚になれた。
ただ景色を眺める旅がしたかったんだと気づいた。
敦賀に行った時のことは別記事にできたらと思う。

長々と自分と向き合わされたことについて書いてきた。
自分が好きでしていたことに関して、見失うことがたまにある。
内リンパ水腫とは長い付き合いになりそうだ。
毎日、自分の調子と向き合いながら、どうしたら良い調子を保って生活できるかを追求している。今は好きだったコーヒーや酒を避けるようにしている。 また変化があったらこのテーマで書きたいと思う。


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まさ
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