楽観主義者はウソを演じ、悲観主義者はホントを願う
彼女は
なりたかった彼女になれた。
"なりたい"と願ったことを認めた。
差し伸べられた"わたし"の手を
彼女は拒まなかった。
"なりたかったわたし"を前に
手を取ることが出来た。
"わたし"は
"わたし"を願った彼女を受け入れることが出来た。
これはあくまでもステージを見たぼくの主観。
実際に名取さなが何を思ってどのように整理したのかは名取さなにしかわからない。
2023年3月7日
きっと名取さなの物語においてもっとも重要な分岐点の一つだったのだと思う。
その一面が晒されたきっかけはトラブルだったかもしれない。
これからも"本当のわたし"を隠し続けて
"ウソ"のままでいるつもりだったのかもしれない。
でもそれは変わった。
ウソだった彼女は
本当の気持ちを通して
本当に昇華した。
あの姿こそが
今の彼女だから。
これまでの「さなのばくたん。」がどれも我々へ向けていたことに対し
-ハロー・マイ・バースデイ-は
自分自身と向き合い
自らの悩みに対峙した。
似合わないと思っていた服に初めて袖を通して、ツイートして、録画ソフトを起動して、顔を映して、挨拶をして、コメントをもらった。
あの日彼女はどんな気持ちだった?
増えたロウソク、増えた洋服、増えた曲、増えた友達、増えた笑顔。
それを見て彼女は何を思った?
あと数日で活動5周年を迎える。
彼女は己の中で事実を咀嚼しきれたのか?
きっとそれは
"今日がわたしの誕生日!"
"これからもよろしくね!!"
その言葉に尽きるのだろう。
あの日確かに
"何ひとつ置いていかない"
と言ってくれた。
ステージに立つ彼女を照らす数多のサーチライト。
それによって分散した沢山の影一つ一つが
彼女のあり得たパラレルであるのなら。
その光のルートの行く先は
きっと晴れたままだから。
だから、せんせえ。
彼女の願った
「誰もが笑顔になる私」
少なくともぼくは
数えきれないほど笑顔にしてもらった。
もしその"誰もが"に彼女自身が含まれるのなら
なんでもいい。
ダジャレでも、大喜利でも。
これからもずっと彼女を笑わせ続けてほしい。
ぼくは名取さなの笑顔が大好きなんだ。