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婦人科手術、無職ナース、妊娠。vol.1

こんにちは。

私はナースなのですが

今回無職中(夏に入職を控えている)に妊娠が判明しました。


私は2014年に婦人科系の手術を経験していることもあり
まさか自分が妊娠するなんてと驚いているのと嬉しいのと

無職で妊娠したという不安と
これからの入職への不安
もう色んな思いがありすぎて
どうしたらよいか分からない状況です。笑

婦人科系の手術を経験し
妊娠、子育てに無知なナースが
1人の人間として
このような状況で
どんな風に成長していけるか
書いてみようと思い始めてみました。


5/20生理予定日から1週間すぎた。
生理が来る気配なし。

何か胸がムカムカする。気持ち悪い。
食欲もムラがある。

「もしや?」と思い薬局へ。
妊娠検査薬を購入。

これで陰性だったらどうしよう。

どっちにしろ婦人科行こう。

結果「陽性」

1回目だし
間違えて反応しててもあれだからと

5/22再度検査。結果「陽性」

よし明日婦人科行くぞ。腹をくくった。

つもりだったが不安で押し潰されそうだった。
前日夜は風呂の中で泣いた。

そして5/23朝 
主人に車を出してもらい病院へ。

いつもおしゃべりな私だが
車の中では喋る元気もなく無言だった。

病院に着くと20人くらいの女性達が
待合室にいた。

何だかこんな不安なのは
自分1人じゃないんじゃないか
みんな理由は違えど不安な気持ちはあるよな
と勝手に思い少し冷静になった。

診察は5分で終わった。

知らない先生。
先生も忙しいのか事務的な感じ。
「胎嚢がありますね。4週くらいかな。
流産の可能性もあります。
来週また来て下さい。」と言われ病院を出た。

車で待つ主人の顔を見て涙が出てきた。

「怖かったー!!」と泣きじゃくった。

妊娠の報告に主人も穏やかな笑顔で喜んでくれた。


ここで少し妊娠前に婦人科系の手術をして
患者体験をして感じたことを。

私は2014年左卵巣嚢腫で左卵巣を摘出していた。

その後1年間もフォローで通院し1.2カ月ピルを飲んでいた時期もあった。
その後は特に通院せず暮らしていた。
もう4年が経とうとしていた。

私が左卵巣嚢腫であると分かったのは
2014年母に何となく
「結婚前なんだし
子宮頸がんの検査を受けなさいよ」と
言われ病院受診した時だった。

何となく検査のために行った病院で
病気であることが分かった。

超音波検査をした時に先生が
「右の卵巣が見えないなぁ〜」
と困ったように話し始めた。

左卵巣の中に漿液のようなものが溜まり
「嚢腫」になり
右の卵巣を圧迫していると言うのだ。

この時左卵巣は15cmほどの大きさに膨らんでいたとのこと。(通常の大きさの5倍くらい)

先生「できるだけすぐ手術した方がいいね。」

もう頭の中はパニックだ。

病院で会計を済ませ
帰り道駅までの道でついに涙が出てきてしまった。

駅についても涙は止まらない。

「あぁもう私子ども産めないかもだなぁ。」
「手術しなきゃいけないんだなぁ。」

衝撃的な事実とこの先への不安に恐怖で
胸が押しつぶされそうだった。

そして大学病院へ手術のため入院。
夏の暑い日だった。3週間も入院した。

周りは自分より歳上で婦人科系の癌の方や
オペ後の人ばかりだった。

ドレーンがついた姿や苦しそうな様子
病院の無機質な感じに
私のメンタルはついていけなかった。

その中で救いだったのは
家族、今の主人、友達がお見舞いに来てくれること。
食事。
売店まで歩いて散歩することだった。

看護師になって初めて患者さんの体験をして
身をもって身体的、精神的辛さを経験した。

私のオペは全身麻酔で開腹手術だった。
臍下から15cmくらいの傷がある。

オペ前の浣腸は非常に屈辱的だし辛い。
何より看護師さんに申し訳なくなる。

オペ室まで歩いていくのだが
入った時の緊張感、恐怖感。

オペ後の気づいたらベッドの上で
家族、今の主人が私の顔を覗いている。

安心と思ったら開腹したお腹の傷が痛む。

オペが終わった日の夜の異常な口渇感。

自分では起き上がれないので吸い飲みを
とってほしいとナースコール。

自分も当時夜勤をしていたので
看護師の夜勤なりの忙しさ、大変さが
分かるだけに呼ぶのが申し訳なかった。

翌朝人生初39℃くらいの熱が出た。
だけどこの日は大事なイベントがあった。

バルーン抜去だ。

トイレまでは車椅子で連れて行ってもらったのだが
トイレの入り口から便器に座るまでが試練だった。

尋常ではないふらつきに
転倒するところだったが
看護師さんに迷惑をかけられないと
意地で手すりに掴まって何とか耐えた。

そしてトイレから病室までの帰り
手すりに掴まりながら少しだが歩いた。
地獄だった。

こんなにもオペ後の患者さんは
辛いんだなと泣きそうになりながら
身をもって痛感した。

ICUや循環器で自分が受け持った患者さん達のことを思い出していた。

何も自分は分かってあげられていなかったなと。

そんな経験を胸に仕事に復帰。
以前より患者さんの辛さを
身に染みて感じるようになった。



あれから4年。

妊娠が分かり奇跡が起きた。

喜びもあるが不安ばかりでまだまだ自信もない。

そんな私がこれからも
自分を大事にしながら
周りを頼っていけますように。

そんな願いを込めて続きをまた書いていきたい。


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