間に合わなかった切なさ
人々が社会問題に気づき、政治に物申す時というのは、
「その時に自分は救済されなかった」
「間に合わなかった」
ということの現れなのですよね。。
だから本来なら、嘆いて投げやりになったり、逆恨みしたり、利己的に自分の「今だけ」へ集中したっておかしくないはず。
でも「自分と同じ辛い思いはさせたくない」と、未来のことへ考えがシフトすること自体、当たり前なコトではない、と私は思うのです。
だからこそ「言葉にしている人」「行動に移している人」は貴重だし、尊いと感じます。
どんな些細なことでも。
「勇気が要ったろうな…」と想像します。
市民による社会運動や、非暴力による抵抗・問題提起は、そうしたささやかな、貴重な「一人ひとり」の声が共鳴しあったもの。
絶対に冷笑してはならないものだと思います。
その重みを感じ取れない、
汲みとる手順や判断が衰えている今の政治とは。為政者とは。
どうしてこんな風になってしまったのでしょう。良くなったところがあるにしても、このままでは先人が培った土壌まで痩せ衰えかねません。。
もちろん私たち大人が情けなかったからに相違ありません。
もっと工夫して、知恵を出し合って、行動しておくべきだったのです。
取り返せないものが多すぎて
虚無に襲われそうになるけれど…
「今からでも遅くない」と
自分に言い聞かせて、1つずつ。。
贖罪の日々です。
🌿imo
※この文章を綴っている最中に
坂本龍一さん訃報に触れました。
ご浄福を心よりお祈りいたします。
R.I.P…Ryuichi Sakamoto 🕊️合掌