2021年に鑑賞した映像コンテンツ

このnoteとは?

一応ネタバレは書いていないつもりですが自己責任で。


ヴァイオレット・エヴァーガーデン

戦後という現代を生きる我々は体験したことのない状況の設定から始まるが、我々が生活する上で共感できる人の感情を描いている作品。誰もが戦争で心に傷を負ったが、それでも生きていかなくてはいけない。王道をゆくクラシックオーケストラのBGMが最高。

直ちゃんは小学三年生

自分が小学生の時は近所の駄菓子屋でお菓子を買ったり一定期間維持できる秘密基地を作ったりはしなかったけど「何時何分何秒地球が何回回った時?」とか「給食を早く食べてドッヂの陣取りしなくちゃ」とか小学生のあるあるみたいなものが詰め込まれて懐かしくて笑える作品だった。
最終話をみて自分が小学三年生の時の転校生について思い出そうとした。でも転校生の顔どころか転校生がいたかどうかさえ思い出せなかった。直ちゃんたちはこの先大きくなっても転校していったてつちんのことを覚えているのだろうか?
4人で集う最後の日の夜の公園、「大人になったら、この公園を俺らが買ってジェットコースター作ろうぜ」と誓う。
大人になった彼らが公園を買うことになって、果たしてジェットコースターを作るのだろうか?
この心は忘れちゃいけないなと思った。

バイプレイヤーズ(1st season)

「これが噂のバイプレイヤーズか〜」と感動した。
恋愛感情ありきのシェアハウスで暮らす役者の話みたいなものは前からあったが、友情関係のみの関係の役者、しかもおじさんがシェアハウスをするというコンテンツは始めるのにめちゃくちゃ勇気が必要だったろうなと予想。
どこかの話のバイプレトーク(ドラマの裏話をするみたいなコーナー)で大杉さんが「OPさ、みんなが家に入って行くのもいいけど家を外から見上げる形にしようよ。」と提案していた。なんとなくの提案だったが3rd seasonでも引き継がれているこの形が「天にいる大杉さんを見上げる」という意味になってしまうなんて誰が想像しただろう。

バイプレイヤーズ(3rd season)

若手のバイプレイヤーズと呼ばれる役者がメインとなる。元祖全然出ないなと思いながら見ていたが、映画の舞台挨拶で「このフォーマットで若い人たちが遊んでくれたら」「俺たちはもう1シーンだけの出演でいいです」という元祖組の発言からこの人たちは根っからのバイプレイヤーズなんだなと思った。

俺の家の話

基本的に家族愛で全てを解決させるようなドラマは嫌いだ。
しかしクドカンの描く家族の絆で解決できるという展開にはそれを支えるハードな根拠、もしくはかなり固くて客観的なソフトな根拠があっての展開だから見ていて清々しい。
親の介護、認知症、相続、親権問題、発達障害の子ども...
寿一(長瀬智也)に降りかかる問題は挙げればキリがないしほとんど詰みゲーのようなものだ。しかしクドカン節が効いた明るくポップな演出で見ていて非常に楽しい。
Twitter上で話題になった「長瀬くんのラスト歌唱シーンが『潤 沢』でいいのか!?」に爆笑してしまった。日本中を魅了した農業バンドアイドルTOKIOのボーカルが芸能界引退前最後のテレビ歌唱が「ハ〜ナハナハナハナ秘すれば花」である。ふざけすぎだろ。

にじいろカルテ

高畑充希がひたすらに可愛い!!!!
周りに迷惑をかけないように自分は大丈夫と思い込みをかけて周りにも大丈夫なように振る舞っているけど、実は全然大丈夫じゃないしそのことは周りにもバレているし周囲の人も手を差し伸べてくれているというハピハピな環境!!理想郷かユートピアか!!!
高畑充希と井浦新、北村匠海のビジネスパートナーを超え友情を超えた愛のある関係。理想の中の理想。
とはいえ現実の高齢化した地方都市とそこの医療現場との関係はこうも理想的には行かないのだろうなと感じる。
あー俺も高畑充希か石原さとみの顔の医者になりたかったなーー

BEASTARS(2nd season)

2019年放送の1st seasonからの食殺事件の解決編。後はレゴシとハルの関係、ルイ先輩はどうなっちゃったの!?の続き。原作は読んでいないので完全なる完結かは不明。
どんなアニメ化を簡単に説明するとディズニー映画・Zootopiaに社会問題と暴力と闇を入れたのがBEASTARSである。
特に最後2話はすごかった。命の重さ。生きるとは。私たち人間はあまりにも命を軽んじていないか。命をいただくならもっと感謝を込めるべきだし、もっと今を必死に生きるべきなんじゃないか。
肉食獣と草食獣が共存する社会。食殺という行為が禁じられお互いがお互いを尊重して生きているように見えるが、肉食獣は「裏市」で草食獣の肉を買うという社会のバグが発生している。それは誰しもが知りえながらも上(行政)は動こうとしない。その様は人間社会でも同じことが起きているなあと感じた。
私はNetflixで視聴していたのだが、エンディングの優しい彗星をほぼ見ることなく自動再生で次の話やら違うアニメやらに飛んでしまう。最終回の優しい彗星スタート、放送終了後に解禁されたMV、優しい彗星込みのBEASTARSであるなと認識。

東京怪奇酒

直ちゃんは小学三年生の撮影中に杉野遥亮が海外からホラー映画の出演オファーを受ける。怖いものが嫌いな杉野に耐性をつけてもらうために怪奇酒を体験してもらうというドラマ。
実際に放送されたドラマの撮影中であること、怪談を語る人たちが「マジな人」であることが妙にリアルだった。
過剰なホラー演出がないのも良かった。心霊スポットにいる杉野に酒を飲ませている設定で心霊現象なのか幻覚・幻聴なのかがわからない。
リアルとフィクションの境目の曖昧さを全面に押し出したドラマだった。

あなた犯人じゃありません

佐久間宣行ANN0を聞いてなかったら絶対に出会うことはなかった作品。
青春高校3年C組のバックグラウンドはラジオで何回か聞いていたし今回担当する脚本家に福田卓也や根本宗子が入っていたのでスタッフは知っている人が多かったが、生徒たちはほぼ知らなかった。唯一知っている頓知気さきなが相田扮するホストに狂う役なのは非常に笑った。
第1話を見たあと「生徒が殺してたらバラエティの方の出演とかどうなるの?そこの辻褄を合わせるならどうせ先生の自殺でしょ?」と笑っていた。しかし佐久間さんのラジオで青春高校の番組終了が告げられ「このドラマが彼らの集大成になる」との発言に「お話の中で何をやってもいいじゃん」と急に私の中の容疑者が増えた。
ミステリーとしてはガッバガバのズルッズル。1話1話の謎の構築は面白かったが、全体の設定、特に結末はこんなの現実じゃあり得ないでしょという展開だった。別にいいけど。
個人的な趣味だが「西村が日比野にタピオカをあげないのは、西村が何かしらの理由で命を断ちたいと思ったためタピオカに致死量ギリギリの毒物を混ぜ込んでいた。日比野にタピオカを飲まれると命を経つことができなくなってしまうから。」というトリックがあっても面白かったかもしれない。話の筋がだいぶ変わるが。
急に決まった青春高校のドラマ枠、突貫工事で仕上げた脚本、コロナでの撮影中断、放送時期の遅れ、撮り直し、番組の終了、佐久間さんのテレ東退社。ドラマを取り巻く環境込みで楽しめたドラマだった。

呪術廻戦

Youtubeで聴いたエンディング曲がかっこいいので見始めた作品。
人の恐怖心や恨み、呪いなどの感情から生まれる怪物(呪物)と戦うという設定が面白い。「板の上には魔物が潜むぜ」と歌った某ヒップホップアーティストもいたがあれも呪物の一種なのだろうか。
ただジャンプモノを普段摂取しないので設定が複雑で覚えられない。
漫画の方に収録されている数あるお話の中からのアニメ化だと思うのだが、漫画の方も気になってしまった。漫画買うか迷うな〜〜
Youtuberはなおでんがんの「五条悟の『無限』はクーロン力説」という動画を先に見てしまったのが運の尽き。五条悟が出て来るたびに「クーロン力の人だ」となってしまってちゃんちゃらおかしい。

FYRE

Creepy Nutsのオールナイトニッポン0でリスナーから紹介されていたNetflixのドキュメンタリー番組。クレジットカードのセールスマンとラッパーがノリと勢いだけでフェスを開催させようとするが、計画性のなさやSNSでの過剰なバズりで主催者と参加者に大きな認識のズレが生じ大失敗に終わるまでの様子を関係者の証言で描いていく。
計画性のないトップに振り回される技術者たちを見ていたら涙が出てきた。どちらかというと無計画な一軍に振り回される側だった高校時代の苦い経験が思い出された。

劇場版「名探偵コナン 緋色の弾丸」

最初に感じたのは皮肉。この映画の企画が立案された頃には全てがうまくいっているはずだったのに、国立競技場の予算削減のためのデザイン変更、感染症の蔓延によって開催も危ぶまれるオリンピック、工事が進まず延期に延期を重ねそうなリニア中央新幹線。私たちが見ているのは全てがうまくいったifの世界線なのか。正直コナンの映画を見て社会を考えることになるなんて予想はしていなかった。
一昨年、新作が発表された時は「赤井さん回か〜」と考えていたが違った。今作は羽田秀吉回である。なんだよかっこいいじゃねえかよ!いつも「ゆみた〜ん♡」とかヘニャヘニャしているのにいざとなったらゴリゴリにかっこいいの、コナンよりタチ悪いぞ!

劇場版「BanG Dream! Episode of Roselia I:約束」

アニメもゲームも漫画も読んでいなくてRoseliaをほぼ知らないのにいきなり観させられた作品。冒頭、Future World Fesというデカめのフェスの舞台袖で待機する5人から映画が始まり、バンド結成からの物語を描いていく。この構成は知っている。ボヘミアン・ラプソディである。一応どちらも実在するバンドをモデルとしているし大体話の流れはわかった。続きが6月に上映されるらしいが別に観なくていいかな。
Sweet Love Showerをもじったようなフェスへの出演が依頼されるシーン、あの山中のフェスに誘われるのか〜、早稲田の高校生遠征するのか〜と思ったら普通に街中のライブハウスにいた。なんだ。

Creepy Nutsのオールナイトニッポン0 presents 日本語ラップ紹介ライブ in 日比谷野音[配信]

緊急事態宣言直前滑り込みライブ。考えてみれば最初の番組イベント、武道館、今回のライブもギリギリで開催できているんだよな~。豪運の持ち主なんだよな~。
様々なアーティストが同じステージで次々と出てくるライブを見るのは2回目だったが、これだけヒップホップのアーティストのパフォーマンスがみられるのは初だった。こういう機会でもないとヒップホップアーティストのライブに乗り込めるほどハートが強くないのでいい機会になった。
前回行った複数アーティストが出演するライブ、対面でチケット代1万円超えてたことを考えると、配信とはいえ3000円程度で見られるのは超お得だったのではないだろうか。

珈琲いかがでしょう

テレ東深夜お得意の「とあるテーマに沿って話が進んでいき、特に物語上は何も起きないけど見るとふわっと元気になれる」系ドラマ、たとえば「だから私はメイクする」「ソロ活女子のススメ」かと思った。特に前半はその傾向が見られたが、後半には青山(中村倫也)の過去についてしっかりと触れており、かなり暴力的でヘビーな過去だったが端折ることなく描いていた、原作を読んでいないので知らんけど。だからこそ25時台の30分ドラマに留まらず23時台のドラマとして放送されたのであろう。
このドラマはいろんな中村倫也が堪能できる中村倫也のイメージビデオであると言っても過言ではない。ニコニコと接客する中村倫也、ドスを効かせる中村倫也、怯える中村倫也、死んだ魚の目で人を殴る中村倫也、大切な何かに気がつきハッとする中村倫也、馬乗りになって攻める中村倫也(字面だけ見るとめちゃくちゃエロいが全くエロい場面ではない)などなど。逆に1人でこれだけの表情を見せられるのがすごい。中村倫也という俳優はすごい。
後単純にコーヒーが飲みたくなる。中村倫也に入れてもらうコーヒーではないけれど、ちょっとこだわって、美味しくなれと願いを込めながら、丁寧にコーヒーを入れたくなるドラマだった。
エンディング曲のCHAINについてNulbarichのJQは「お風呂に入った時の何かから解放されるあの一瞬を3分にしたいよ〜という曲です」と言っていた。コーヒーと人間の関係で「何かから解放される瞬間」というのは挽いた豆からふわっと匂いが漂った時、口に含んだ時の香りや味のことなのではないだろうか。なんでコーヒーがテーマのドラマの書き下ろし曲でお風呂のことを話しているんだ?JQ、さてはコーヒー飲めないな??

SNS 少女たちの10日間

成人した女優が12歳の女の子になりきりSNS上で交流をしていくという物語。めちゃくちゃ面白かった。今まさしく社会問題になっており私たちも被害者及び加害者になりうるテーマ。
バックに専門家が何人もついて「こいつはヤバい」「電話きたぞー」とチームで架空の女の子の人格を作り上げアカウントを運営しているが、演じている女優は「待ってマジできつい」とこぼしたり涙してしまう。これを現実世界で頼れる大人もいない、学校という狭い社会しか知らない実際の少女が耐えられるはずがない。映画によって封じ込められていた闇に光が差し込まれたのではないだろうか。
紹介された人たちの中で唯一直接的な性的搾取をしてこなかった20歳の看護学生。実際に何もしてこなかった人たちが何人いたのかはわからないが、「自分の裸は愛する人にしか見せちゃいけない」などのモラルを自らの口からサラッと言えるのは、SNSネイティブとも言える若い世代だからなのかなと考えた。
最後に実際に突撃取材(撮影?)された男性の「そういう教育を受けてない方が悪いんだろ」というセリフが印象的だった。私の中にも「SNSの危険を知らずにやっている方が悪い」という考えがないわけではないことに気が付かされた。でもSNSという新しい文化の前では大人も子供もまだまだひよっこで、大人だから知っているとか子供だから大人の言うことを聞いておけば間違いないとかは通用しない。
R15にはなっているが大人だけでなく子供を含むSNS利用者全員に見てほしい。遠い国の話でしょ、で終わらせるのではなく自分の国でもこういうことが起きていると実感するためにも日本でリメイク版を作ってほしいなと思った。

ソロ活女子のススメ

テレ東大得意「とあるテーマに沿って話が進んでいき、特に物語上は何も起きないけど見るとふわっと元気になれる」深夜ドラマである。ドラマというより江口のりこの旅番組を見ているような感覚に陥ってしまう。「ソロ活」だからこそドラマを見た翌日にでもすぐに真似することもできる(緊急事態宣言も出ていてそういうわけにはいかない回もあった)と感じるのが、あのドラマが私たちに与えてくれた希望なのかもしれない。
後ろで流れるBGMが非常によかった。あのループミュージックがチルい感じというかNulbarich感があるというか。

着飾る恋には理由があって

新井P・塚原D・金子脚本という「恋はつづくよどこまでも」チーム再結集作品である。恋つづみてないんだけど。
印象に残ったのは第4話。妊娠しているかもしれない→相手はもうすぐ別の人と結婚するから一緒になってくれない可能性が高い→妊娠してたら自分のやりたいことは諦めなくてはいけないのか?というリアルな悩みがズケズケと描かれていた。製作陣が女性だからこそあのシーンは繊細なところまで描けたと思うし、「赤ちゃんができました!ハッピー!」という展開にならなかったのだと思う。
このドラマのコンセプトは「とにかくキュン」とは言ったものの、放送時期に一番キュンだったのは主題歌担当・星野源と新垣結衣の結婚報道だ。

大豆田とわ子と三人の元夫

・お話について
何となく日本のドラマは、物語上登場人物たちから次に発生するイベントに向けての矢印が一直線な気がする。さらに最終回に向けてわかりやすい変化、例えば結婚だとか大きな事件の解決だとか、が発生するのがドラマの鉄板といっても過言ではないだろう。
ドラマ・大豆田とわ子はその矢印の進行方向を隠すのが上手い。網戸が外れたり、自動ドアに挟まれたり、ラジオ体操の旋回が人と逆向きだったり、そういう日常を見せている間に、気がつけば新しい男に恋しているし、娘は高校生になっているし、親友が亡くなっている。
私たちの生活もとわ子的演出で進んでいく。いい感じのパン屋にジャージで入ったり、靴の中の小石を靴を脱がずに取り出そうとする日常の中で、気がつけば恋に落ち、失恋し、友人が亡くなっている。
このドラマの初回と最終回だけを比べた時、主人公自身に起きた大きな変化はない。でもその間は同じ日常の繰り返しだったわけじゃない。最終回が終わった後もとわ子の生活は続いていくのだ。

竜とそばかすの姫

建築学生でも卒業設計のテーマを今までやったの課題をテーマを選ぶ人、つまり「課題の焼き直し」をする人がいる。
今回の竜とそばかすの姫も2009年公開の細田作品「サマーウォーズ」の焼き直しだと鑑賞前から思っていた。
サマーウォーズも竜とそばかすの姫もインターネット空間が大きなキーワードとなる。ただサマーウォーズでのインターネット空間・OZでは生活に関わるインフラ機能もその中に投入されていたのに対し、竜とそばかすの姫でのインターネット空間・Uは人とのコミュニティ機能のみであり、TwitterやInstagramなどの現代SNSに近いものがある。12年の間にインターネットは発達したものの、OZのような使い方ができるまでは発達しなかったこと、さらに人々とインターネットの関係について12年前にはなかった価値観が生まれたことからこの作品が生まれてきたのではないだろうか。
またUのユーザーはもう1人の理想の「私」を演じており、素の自分が出ることを極端に恐れる。一方で「素の自分」を見せることで人気を得るインフルエンサーや、自ら「身バレ」を投じてしまう若い世代の存在がUと現代SNSの違いである。「ネットはネット、現実の自分とは違うんだぞ」というメッセージなのだろうか。
最後すずは虐待される子どもたちを「助けなきゃ」と上京する。しかし田舎に住むいち高校生は、Uでの巨大な影響力でひと声で世論を動かせたとしても、現実世界ではただ子供たちを抱きしめることしかできない。現実なんてこんなもんじゃないかという細田氏の突き放しのようにも思えた。
常田大希は主題歌「U」ジャケットデザインについて「メインキャラクターじゃないのを選ぶの俺たちぽいっしょ」と発言。サブキャラクターに焦点を当てるという点はmillennium paradeっぽいが、なぜ物語上「自称ネット警察」みたいなキャラクターを選択するのか……

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