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違う、こんなんじゃなくって。といつも思っている話
\今月もみんフォトをUPします/って話です。
子どもが絵を描くさまを見ていると、迷いなく手を動かしていてその潔さにハッとします。
一方、大人の私。日々迷いだらけ。潔さなんて微塵もなくて。
最適解が他にある気がしてならないし、失敗もしたくないし、時間も無駄にしたくはないし。常に「じゃない方」を心配している気がします。そして手が止まります。
イラスト練習を兼ねて、みんフォト用のイラストをUPしていこう!と年始に潔く決意したものの、描きたいものはなんだろう?というかどんな絵をUPしたらいいのだろう?そう考えて手を動かすたびに「こんなんじゃなくって……」と呟いている自分がいます。自己満足を超えて、できれば誰かの何かにつながってほしいなんて思っているし。
それでもね、まずは描いてみることが大事ってことはこの1年で学びました。だから今月もわずか3枚ですが臆せずにUPします。
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あわよくば、うまくいってほしい。あわよくば、得したい。あわよくば、楽をしたい。「じゃない方」を考えると同時に「あわよくば」にもとらわれています。
私から「潔さ」を奪っているのは、この「あわよくば」かもしれないなぁ……と気づいたのは、何も考えずに散歩に出かけたときのこと。
こういう頭を働かせない時間、誰にも見せない時間も大事にしたいものです。
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手を動かして描いてみて、端から見せられるものに仕上がるわけではありません。見せない絵、見せられない絵もたくさん描いてみて、それを乗り越えて勇気を出してまた1つ仕上げればそれでいい。
子どもの絵って、描きたいものがはっきりしていて見返りなんて求めてなくてシンプルでいいですよね。
じゃあ描きたいものが曖昧だけどなんとなく「やさしい気持ちになれそうなもの」「ゆるやかな時間」みたいなものの場合はどうすればいいのだろう?
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やっぱり最適解なんてわからないけれど、わからないなりにやってみるしかないんだよなぁ……。とぼやきはいつまでも止まりませんが。
今の自分ができることをとりあえずやってみて公開してみて、そこから再スタートを切るしかないよなぁ……。こんなボヤキをネタに、あわよくば精神でnote1記事書いてしまう術は身についたのかもしれません。