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私が生きるべき理由を娘が作ってしまった

なんてネガティブな響きのタイトル。
だけど、全然ネガティブな話じゃない。

いつか書こうとは思っているが、私はごく前向きな気持ち(?)で、常に「死の準備」を整えている。矛盾があるような言葉だけど、そこにネガティブはない。

そんな私に、困った事態が起きてしまった。
どうやら私はまだ当面、生にしがみつかなければいけないらしい。

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私の夫は「イクメン」と呼ばれる部類に属していると思う。
誰かに「イクメンですね」なんて褒められようものなら、夫自身が「俺は『イクメン』じゃなくてただの『父親』です」などと言うので、それがまた無駄に彼の評価を上げさせている。

男は偉くて、女は無能。
端的に言うと、夫はそういう考えを持つ人だった。
私とのぶつかり合いを幾重にも重ね、今の夫に少しずつ変わっていった。

彼の良いところは、ほんのちょっと素直が過ぎるところ。

「男尊女卑」の考えも、彼の父の態度から学んできたこと。
家族や妻、嫁に対しての振る舞いは、義父にそっくりだった。

家庭内で傍若無人に振舞う夫に、私は言った。
私がアナタを大切に想い、大切に扱うように、アナタも私を大切に扱うことは出来ないの?周りの人に恰好が付かないなんて思っているのかもしれないけれど、妻を大切に扱う男の方が、イマドキは恰好良いんじゃないかしら?
そもそも「大切にします」と、私の両親に約束したんじゃなかった?

彼は素直が過ぎるので。
「そりゃそうだ」と、受入れてくれた。
まぁ…徐々に。カタツムリぐらいのスピードで。

苦節7年。意識改革に成功した!と思いきや、今度は長女が産まれて間もなく、私のことを「母親のくせに、そんなことも出来ないのか」とのたまった。
私は「父親になったからアナタには当然分かるのよね?」と言い返した。

彼は素直が過ぎるので。
案外アッサリ全員が初心者という状況で、自分が無茶を言っていたということに納得した。


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どうしても仕事時間の都合上、私が担う方が多いとは言え、夫は1人で予防接種にも連れて行ったり、子の体調が悪ければ病院へも連れて行く。――病院の予約するのは私だし、診察券とか予診票とか記入しておかないとダメなのだけど。

1人で2人の娘のご飯の面倒も見る。――夫は料理が出来ないので、何もないと冷凍食品か、素うどんか、納豆ご飯になるのだけど。

私と娘2人が揃って胃腸炎でダウンした時は、娘2人の世話を一手に引き受け、娘達の嘔吐と下痢の世話を一晩中1人で相手をしていた。――その時、私はゴミ箱抱えてトイレに座り、そこから離れられなかった。

天気の良い休日に、娘達を連れてコインランドリーへ行き、大物洗濯をしながら、近くの公園で遊び倒すぐらいのことはする。――帽子もオムツも着替えも飲み物も、何も持たずに身一つで行ってしまうんだけど。

毎日の保育園のお迎えは、夫の仕事。――送りは私。

義父は「子育てに参加してきた?」と聞かれて「運動会の写真撮った」と答えた人だから、それと比較すれば随分とイクメンとして育ってきているし、今のところ文句はない。

――文句はないのだけど…。

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23時半。
就寝中に突然泣き出した長女。

「どうした?目が覚めちゃった?」と声を掛けるが、反応は無く。
寝言泣きかな?と顔を覗いたら目は開いていた。
ポロポロ零れる涙を拭いながら「怖い夢見ちゃった?」と聞いても、返事はない。
返事をする代わりに、むくり。と身体を起こし、小さな握りこぶしを自分の腿に打ち付け始めた。何度も。何度も、力任せにこぶしが振り下ろされる。

私は驚きも焦りも一旦飲み込んだ。
小さな背中を撫でて「抱っこしてもいい?」と声を掛けた。
ほんのわずかに頷いた。

その身体を抱き締めて、声を掛ける。
「お母さんの大事大事なゆーちゃんが、痛い痛いになっちゃうよ」
「お母さんの大事大事のゆーちゃんをいじめたら悲しいよ」
「ゆーちゃんは、お母さんの宝物」
「お母さんも、お父さんも、ゆーちゃんのことが大好きだからね」
そうしてしばらく経つと、寝息を立て始めたので、そっと寝かせる。

それを朝までに4ターンやった。

ちょっと寝ては起こされ、抱っこして宥めて、また寝かす。
夜間のミルクを卒業して、夜泣きもしなくなって、随分久しぶりの細切れ睡眠に心身が抉られた。

原因は分かっている。
前夜に、夫に理不尽な怒られ方をしていた。
理不尽だったけれど、長女も調子に乗って火に油を注いだ部分があったので、互いを諫めて、長女も納得して――いや、納得したような顔をして、眠った。

**


コップの大きさは人それぞれ。
足りたかどうかは、コップ次第。

長女は『まだ足りない』と言っている。
自分の身体を殴りながら、小さな娘が傷ついている。
心の痛みと同等に、身体に痛みを与えている。

『まだ足りない』
『まだ足りない』
『私を見て』
『私を愛して』
この声なき訴えは、夫に届いているだろうか。

セクハラや、パワハラの線引きが受け手次第なら、これだってDVに片足踏込んでいるんじゃなかろうか。

とは言え、ベタベタに甘やかすことも出来ない。
自傷行為に味をしめて「可哀想な私を見て!」とアピールする子にしたくない。

夫には、アンガーマネジメントを。
娘には、他者の怒りから身を守る術や、己の情緒の起伏と付き合う方法、それに、それから、他にも沢山。
教えたいことがある。伝えなくてはならないことがある。

だから、私はまだ死ぬわけにいかない。

だけどこれは。小学校1年生から9年間、ずっと通知表に『感受性が豊か』と書かれてきた私の役目だ。繊細で、過敏で、とんでもなく生きづらかったあの日々。今思えば、酒の席で人に語れるような青春話が皆無(暗すぎてドン引かれる)となっていることも、決して無駄じゃなかった。

あの頃の私をゆるすように、あの頃の母をゆるし慈しむように、今、目の前の娘を愛そう。
私の余りある感受性を、受け継いで来てしまったらしい、この娘が、私のような生きづらい青春時代を送らなくて済むように、一緒に道筋を探してあげたい。
それが、当面の私の役目だ。

ウンチオムツも、ミルクも、夜泣きも、寝かしつけもしてきた夫でも、こればかりは任せられそうにない。

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