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#295 たとえ、そこに居なくても


こんにちは、いもむしさんです。

このnoteはフルタイムワーママの
ちょっとした毎日を忘れないように書き残しています。





おつかれさまです。
今日はどんな1日でしたか?


今日はnoteに何を書こうかなぁと
朝からぼんやりと考えていたのですが、
まずは、うれしいんだよなぁと思ったことを。


それは、
わたしがいないところで
好きなひとたちが
わたしのことを話題にしてくれていたことに
気づいたとき。

ふふふっと
うれしくなるのです。


どんな場面なのかというと、
それは主にオンラインコミュニティでの付き合い。


オンラインコミュニティって
基本、チャットでやりとりするので、
消さない限り履歴が残りますよね。

夜はなかなか覗けないのですが
朝起きて、
夜中の盛り上がってる会話のなかに
自分がいることに気づくことがたまにあって。
(未読ログが100件以上たまってることもあったな)

そこにわたしは居ないのに
名前が挙がるのって幸せだなぁと。
(もちろん良い内容の会話ですよ)


そんな場面に出くわすと
朝からほんわかした気分になるのです。
この関係を大切にしたいなぁって。





そして、


"そこにわたしは居ないのに…" で、
頭に浮かんだ1冊の本があるのです。



だいぶ前にインスタでも紹介した本。
星野源さんのエッセイ、

「いのちの車窓から」


どの話も好きなのですが、
今日、頭に浮かんだのは「人間」という話。

単行本と文庫版で2回紹介してた。
はじめの投稿でも好きな話で挙げてたな。

「人間」は
笑福亭鶴瓶さんが語る、
中村勘三郎さんの話がベース。

源さんの楽曲で「化物」という曲がありますが、
これは勘三郎さんの話から
うまれた歌詞なんですよね。
(この曲、大好き)


勘三郎さんが亡くなった後、

源さんが参加した打ち上げで
勘三郎さんの話になり
鶴瓶さんの口から出た言葉が、

「人間は死んだら終わりなんや」

いのちの車窓「人間」より



でも、
その2年後にあった独演会で
鶴瓶さんが発した言葉はこう変わったのです。

「人間は、死んでも終わりじゃないんです」

いのちの車窓「人間」より



苦楽を共にしてきた友が先立った悔しさ、
でもそれを乗り越えた想いが伝わってきて


このふたつの言葉のあいだに
どれだけの葛藤があったんだろうと
この話を読むと泣いてしまう。
(いま出先なので本は手元に無いんだけど、書いていて思い出し泣きしそう)


わたしは
まだ生きて存在しているけれど、


もしこの世から居なくなっても
誰かのなかで生き続けることが
できるのだろうか、
……なんてね。

そんなことを考えた今日の帰り道。




読んでくれたあなたに感謝を。
またお待ちしていますね。

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