![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170650798/rectangle_large_type_2_7050628690f5d747dd4fd62c32eb460c.jpeg?width=1200)
「ホステル日記」 旧市街で食べる暖かいご飯。
アメリカのテキサス州で、全自動のマクドナルドドライブスルーができたらしい。注文から商品の受け取りまですべて自動化されており、店員を見ることなく買い物が完了する。
そんな効率化が進む世界とは反対に、ここチェンマイでは観光客が来るような中心地でも屋台のようなお店が街に沢山存在する。
中には屋台の横にバイクをくっつけた「移動式屋台」のようなものもある。
それをおばあちゃんがヘルメット無しでアクセルを飛ばしているのを見た時は正直言葉が出なかった。
色んな場所に行けば行くほど、色んな人に会えば会うほど、世界について全く分からないということが分かるようになると感じる。
そんな移動式屋台のひとつに僕がよく食べに行く屋台があった。
それは5台くらいあるトゥクトゥク運転手のおっちゃんたちが座席に寝っ転がって昼寝をしている場所の隣に位置していた。
その屋台に行き始めたきっかけは、ホステルから近くて夜中までやっているという理由だった。
おばあちゃんが一人で切り盛りをしており、その移動式屋台にはお客さん用の机と椅子、冷凍された野菜や肉などが入っていて、
「これおばあちゃん一人で全部準備したり片付けたりしているのか。大変だな。」と思った。
ちょうどその日もホステルへの帰り道にそこを通ったので、おばあちゃんの料理を食べてみることにした。プラスチックでできた簡易的な椅子に座り、自分が頼んだスパイシーな料理を待っていると、彼女が寄ってきて使い古されたTシャツでテーブルの汚れを拭いてくれた。
「、、、」
歩道と車道の間にその屋台があり、ヘルメットなしで少年少女がバイクでビュンビュン飛ばしていくのを眺めながら料理を待っていた。
料理を作っていたおばあちゃんが誰かに向かって叫んだのでその方向を見ると、娘なのか、近所の人なのか、18歳くらいの少女3人がまたヘルメット無しで3人乗りでバイクを走らせながらそのおばちゃんに向かって挨拶を返していた。
「、、、環境の違いで人間の生活スタイルはここまで変わるのか。」
料理の煙にスパイスが混ざっていて鼻がムズムズした。
すぐそばでトゥクトゥクのおっちゃんが物珍しそうに僕の顔をタバコを吸いながら凝視していた。僕もおっちゃんの顔をチラチラ見ながら、鼻をムズムズさせながら料理を待った。
おばあちゃんがゆっくりと歩きながら僕のテーブルに料理を置いてくれた。米と、緑の野菜と、肉、それらに赤いスパイスが混ぜられていた。まさにタイ料理って感じだ。
食べてみると米の美味しさを感じることができた。僕にとって3年ぶりのアジアだったので「米ってこんなに”味”がしたんだ」と感銘を受けた。もちろん他の国に米はあるが、炊いて食べてもなぜだかあまり美味しくない。
それからもホステルへの帰り道に何度かそこを通り、おばあちゃんが店を切り盛りしているのを見ていた。その屋台は毎日昼から夜中までやっていることに気づいた。おばあちゃんに休みは無かった。土日でも関係なくおばあちゃんはいつもの場所に屋台を置いて、料理をしたり、座ってスマホを見たりしていた。
僕のエゴなのかもしれないが、1人で毎日働いている姿を見て「放っておけない」という感情が自分の中で芽生え始めた。
何ができるか考えたところ、
「頻繁に屋台に通って笑顔でおばあちゃんに「こんにちは」「ありがとう」「美味しかった」を言ってみよう」と決めた。おばあちゃんは僕のことを何とも思っていないかもしれないけど、毎日夜中まで一人で屋台を営んでいる姿を見るとどうしても放って置けなかった。何かしらをして、おばあちゃんを元気な気持ちにさせたいと思っていた。
閉店間際に行った際には椅子や机の片付けを手伝ったりもした。
日に日におばあちゃんの顔が僕を見つけると笑顔になっていったのが嬉しかった。
それと同時に、段々とおばあちゃんが作ってくれる料理に対し、それはただの食べ物ではなく、”何かしらのエネルギー”もそこには入っているような感じがした。
少し気持ち悪く聞こえるかもしれないが、ある夜屋台に行くと席が埋まっていたので、テイクアウトをしてホステルでそれを食べている時に、僕は料理の味以外にもおばあちゃんの顔や料理をしている情景を思い浮かべながら食べていることに気がついた。
僕の体はその食べ物の栄養だけでなく、おばあちゃんが毎日夜中まで頑張って働いているエネルギーも一緒に僕の体に入っているのかもしれないと思うと、何だかすごく暖かい気持ちになったし、僕も怠惰な生活はできないなという気持ちになった。
チェンマイを離れた後でも、僕の記憶の中には彼女が存在するし、それを思い出すだけでも暖かい気持ちになれるんだ。
こういう体験を、全自動のマクドナルドが提供できるだろうか?
もちろん効率化の流れは止まらないが、あのおばあちゃんが作った食べ物に込められたエネルギーを僕は今も確かに持っている。