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エッセイ|京都芸術大学通信 文芸コース

京都芸術大学 通信教育部 文芸コース科目「エッセイ」のスクーリングレポートです。「『いいな~』と感じるエッセイを探し、ひとつ挙げて、それについてのエッセイを書く」という課題で、わたしは銀座の森岡書店代表・森岡督行さんの『ショートケーキを許す』について書きました。

スクーリング中に書く試験が苦手で、いつも時間が足りなくなって満足のいくものが出せない……。今回も、あせりすぎて参考文献の著者名と出版社名を間違えて減点されてしまいました。(失礼すぎるのでここでは修正済み)

評価:82点


あこがれ

「女の子だから甘いものが好きでしょう」と、よく言われてきた。甘いクリームの差し入れをいただくと、相手によって困ったような苦笑いを浮かべるか、ごめんなさいと断って食べられないことを伝えるか、時には満遍の笑みを浮かべてみせることもある。だけど、わたしは甘いものが好きじゃない。
 
子どもの頃、女の子が好きなスイーツの代表といえばショートケーキだった。誕生日やクリスマスといえば苺のショートケーキが定番で、甘さ控えめのチーズケーキやビターなガトーショコラは見た目が地味だし、なんだかハレの日にふさわしくない感じがした。

物心ついた頃から自分ははみ出し者だと薄々感じていたので、このショートケーキの存在にもずっと素直になれずにいた。みんなが好きなものが、わたしは好きになれない。わたしが好きなものは、みんなは好きじゃない。そんな寂しさと疎外感から、メインストリームで輝く白い三角柱を忌み嫌ってさえいたのだ。
 
先日、本屋でふと目に入った「ショートケーキを許す」の文字。あれから年月が経ち、クリスマスにも多様なケーキが珍しくなくなった。わたしのショートケーキへの無意味な嫉妬も、もはや跡形もない。ショートケーキからしてみれば迷惑な話だが「そろそろ許してやるか」と、微笑みながらそっと手に取る。
 
そこにはショートケーキへの愛情が生クリームのようにたっぷりと詰まっていた。わたしが今まで見ようとしてこなかった、あっという間に食べ頃を逃してしまう儚さ、旬のフルーツで感じる季節の移ろい、東京の喫茶文化の歩みが綴られている。そして何より漂ってくるのは、西洋に憧れながらもいつも独自の進化を辿る、日本の食文化のおもしろさ。ふわふわのスポンジと真っ白なクリーム、フルーツの組み合わせは日本発祥のものだそうだ。そう言われてみれば、ヨーロッパではショートケーキに出会ったことがない。
 
ショートケーキはわたしには甘すぎるから、きっとこれからも食べないだろう。でも、ショートケーキを考えたひと、ショートケーキを毎日つくるひと、ショートケーキと人生をつないでエッセイを書くひと、みんながなんだか愛おしく感じる。たぶん身体には良くないし、生きていくために必要ではないのかもしれないけれど、みんなのお祝いを見守っているショートケーキに、本当はずっとあこがれている。

参考文献 『ショートケーキを許す』森岡督行、雷鳥社、二○二三年。

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