論文解説:RNAワクチンによる免疫寛容誘導
先の記事で少し触れた話題について、論文の解説をしよう。話題の論文はScience(2021 Jan 8;371:145-153)に出版された「A noninflammatory mRNA vaccine for treatment of experimental autoimmune encephalomyelitis」である。この論文ではRNAワクチンによってTregを誘導し、自己免疫疾患モデルにおいて免疫寛容を誘導するという内容が示されている。この論文の内容が曲解されて、RNAワクチンが免疫抑制をもたらすという議論に用いられる事もある様だ。
まず、この論文の内容に移る前に「免疫寛容」と「免疫療法」について述べたい。「免疫寛容」とは、その名の通り、免疫が抑えられ、反応する相手に対して「寛容」になった状態の事だ。多くの場合「特定の抗原に対する免疫寛容」という概念が用いられる。例えば「自己抗原」に対しては正常な状態では「自己寛容」と呼ばれる免疫寛容状態にある。その他としては、食べ物として接種した外来物には反応しない「経口免疫寛容」なども極めて日常的な現象である。逆に、「経口免疫寛容」が破綻すると、食物アレルギーとなり、食べたものに対して免疫反応が起こる。これは大変な状態である。このように、抗原の性質や暴露経路、暴露量に一定の条件が揃えば「免疫寛容」となる。
この「免疫寛容」を人工的に特定の抗原に対して誘導し、アレルギーなどの治療に用いるのが「免疫療法」である。花粉症などアレルギーの原因となる抗原が特定できる場合にこの方法が適用でき得る。アレルギーの原因となる抗原を「免疫寛容」が誘導される方法・量で暴露させ、寛容を誘導するのだ。例えば「舌下免疫療法」などが既に実用化されている。一方で、この「免疫療法」や「免疫寛容」が成立する詳細な機序は実は不明な部分が多い。一説として、最有力視されているのが「Tregの誘導」という事である。(余談だが明らかにTregだけが重要な機序ではないので、あくまで一説かつ機序の一つという事である)
ここまでを踏まえて、論文の内容に移っていこう。論文の主旨は自己抗原の一部(ペプチド)をコードしたRNAを投与する事でその自己抗原に対する免疫寛容が誘導され、自己免疫反応を抑えられるというものだ。実験ではEAEという脳脊髄炎のモデルが使用されている。これはMOG(ミエリンオリゴデンドロサイト糖タンパク質)という神経に関する自己タンパク質抗原に対して、ヘルパーT細胞が反応する事で生じる自己免疫疾患モデルだ。このMOGの35~55番目のアミノ酸配列を構成するペプチド・MOG35-55はMHC-IIに搭載されるEAE誘導ペプチドとして古くから知られている。今回は、このペプチドをRNAによって発現させ、寛容を誘導したという実験だ。
繰り返しになるが、通常はこのペプチドそのものをアジュバントと共に皮下投与する事でEAEが誘導される。つまり本来は炎症を引き起こす為の抗原である。しかし、この論文では、このペプチドを静脈投与したRNAによって発現させると、炎症ではなく寛容になる、という結果を出しているのだ。さらにその原因としては、Tregが誘導されている事を述べている。これらの結果からは、少なくとも、「静脈投与した修飾RNAにMOG35-55ペプチドを発現させる事でMOG35-55に対するT細胞の反応を抑える事ができる」という事は言えるだろう。
一方でこの結果をどこまで一般化できるかについては単純な問題ではない。1点目として最大の問題になるのは、「抗原」の問題である。先述の通り、MOG35-55というのはMHC-IIに乗るペプチドであり、MHC-Iを介してCD8を活性化する事はない。後述(ペプチドワクチン②で説明)している事だが、教科書レベルの基本的な免疫学的事実として、MHC-Iには20アミノ酸もの長いペプチドは搭載されないのだ。以前核酸ワクチンの項で述べた通り、本来核酸ワクチンに特有の強力な免疫応答はCD8陽性T細胞の活性化に依存する部分が大きい。しかし、CD4Th細胞しか活性化しないペプチドのみをコードする場合は、反応性が変わってくるという事だ。例えば、この論文のシステムでも、MHC-Iに搭載されるMOGペプチドや、MOGタンパク質全長をコードするRNAを用いれば、CD8も活性化し、効果としても炎症促進的に作用する可能性が十分に考えられるのだ。逆に言えば核酸ワクチン含め、他のワクチンの効果についても、抗原となるペプチドの配列を工夫する事である程度狙った効果を出す事も出来る。これはその内に他で解説したいと思う。
2点目としては投与経路と分布の問題を考える必要がある。今回の実験では静脈投与によってRNAを投与し、その大部分は脾臓で発現している様に見える(以前の肝臓は見間違い)。二次リンパ組織中で抗原提示細胞が活性化しない条件という事で、T細胞活性化がアナジーとなり、寛容が誘導されたと考えられる。一方で、通常のMOG免疫時の皮下投与や核酸ワクチンの様に筋肉投与の場合は、基本的に大部分が投与局所で作用する。特にこれらの組織では抗原提示細胞が活発に機能するため、強い抗原提示がされやすい。この様な分布の違いも一般化に際しては考慮する必要がある。
ちなみに分布が同じであってもウリジン修飾がされていないと免疫細胞が活性化する事も示されている。ウリジン修飾自体は活性化目的で使用されているRNAワクチンと同じであり、活性化と寛容を分ける点で分布の差が必要な一方で、分布自体は免疫寛容において最重要ではなく、ウリジン修飾が必須である事も予想される。のだが、なぜかこの論文ではEAEの表現型に関してウリジン修飾無しのコントロールが存在しない。
3点目としては疾患モデルの問題がある。個人的な好みも少なからず含まれるが、EAEというモデルは非常に繊細で難しいモデルである。ハッキリ言えば「何かすれば差が出る」モデルとして都合良く利用されるモデルなのだ。なので、「RNAを用いた免疫寛容療法」というコンセプトの一般化の為にも、他のモデルを用いた検討は必須であるように思う。
以上の通り、この論文では「EAE」というモデルで、「MOG35-55」というペプチドをコードするRNAを「静脈投与」したら、「免疫寛容」になったという結論である。逆に言えば、「」の部分が一つでも変われば、同じ結果になるかどうかは別の問題である。したがって、「核酸ワクチンでTregが増えて免疫が抑えられる」という一般論を導くものではない。
しかしながら、大事な事なので何度も言うが、免疫とは「絶妙なバランスによる恒常性の維持」が肝要であり、免疫寛容という視点に立てば同じ抗原であっても「投与方法」「投与量」「投与経路」「投与回数」などあらゆる要素によって活性化にも抑制にも向かうという事がポイントなのだ。この論文は、その事がよく分かる例だと思う。そういう意味で、「核酸ワクチン」の長期的影響、繰り返し投与による影響というのを慎重に評価する必要があるというのは間違いない。