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小説 『空の城』 を読んで

松本清張原作の小説『空(くう)の城』を文春文庫で読んだ。総合商社が石油部門への進出を焦って熾烈な国際商戦の渦に巻き込まれ倒産するに至った企業小説であり、実際に発生した安宅産業の崩壊を題材にしたドキュメント・ノベルである。1978年「文藝春秋」に連載され、1980年にはNHKテレビで『ザ・商社』とのタイトルでドラマ化された。既に40年以上経っているが今でも通用しそうな内容に溢れている。自分自身も2016年の定年退職まで商社で働き、国際貿易も多少は経験したので小説の場面場面で一喜一憂してしまう。企業は永遠ではない、一人の間違い、一つの失敗で消滅してしまうとの警告である。間違いの原因は何だったのか?どうすれば失敗を防げたのか?会社としてはどうすべきであったのか?などと勝手な想像をしながら読後感をまとめた。隠居生活の年寄りの意見ではあるが現役ビジネスマンの少しでも参考になれば幸いである。

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(文春文庫 『空の城』 表紙カバー)

1. あらすじ

1973年10月7日夜豪華客船クィーン・エリザベス二世号がニューヨーク港を出航した。船上にはカナダのニューファンドランド州(以下”NF州”と略称)カンバイチャンス(Come by Chance)に新設された製油所 "PRC" (Provincial Refining Company Limited) の開所式に招待された客、約1000人が正装姿でパーティの開始を待っている。招待主はニューヨーク(以下”NY”と略称)の新興実業家、アルバート・サッシンである。NYのパークアベニューにある「シティバンクビル」の15・16階を占めるサッシン・グループ13社の総帥でPRCの運営と製油販売を一手に引き受ける管理会社"NRC" (New Foundland Refining Co.)の社長でもある。日本の総合商社江坂産業アメリカ会社の上杉二郎社長は前月の20日にNRCと”BP”(The British Petroleum Co.,Ltd)との石油取引に介入し、PRC向けの中東石油を代理輸入する契約書に調印したばかりで、この晴れの船上パーティに江坂産業本社の河井社長、米沢副社長と共に乗船参加していた。10月10日NF州当地で製油所の開所式を盛大に挙行、日産10万バーレルの製油が始まった。江坂産業にとっては毎月の製油所向けの原油輸入の売上と利益、製油所から出てくる石油製品の販売代理の売上利益、更には石油タンカーの傭船契約斡旋料など、新規の石油関連ビジネスで飛躍的に発展するバラ色の計画を抱いていた。ところがこの豪華客船がNYを出航した前日に中東ではエジプト・シリア軍がイスラエルへの攻撃を開始、第4次中東戦争が始まり暗雲が立ち込める。石油価格が急上昇し始め'73年10月に1バーレル3ドルだったのが'74年1月には12ドルと4倍に跳ね上がり世界的な石油危機が起こる。江坂/NRCが購入するBPの原油は市場価格と決められており上がる一方だが、製油後の製品の販売価格は上げられず製油すればするほど逆ザヤの赤字が発生する。更には労働者のストライキや設備の不調なども重なり製油所の経営は立ち上がりから不振が続いた。一年もすると資金繰りが苦しくなり、江坂が輸入する原油代金のNRCからの支払いが滞り始めた。江坂は債権保全の為に製油所資産の抵当権を押さえにかかるが、第一抵当権を持っている "ECGD"(英国輸出信用保証局)と第二抵当権を持つカナダNF州政府の両者の承認が必要で交渉に当たる上杉は苦労する。また当初はNF州政府が出資する”官営製油所”だったPRCが、江坂の知らぬ間にたったの1,000ドルでサッシンのNRCへ売却されており、製油所の経営にはNF州政府は全く関知しなくなっていた。毎月二回着実に製油所に到着する20万トン級タンカーには150万バーレルの原油が満載されており原油価格急騰により江坂は毎月3,600万ドルもの代金を建て替え払いすることになり、一年足らずで3億ドル以上の債権が発生した。報告を受けたメインバンクの住倉銀行八田頭取は大蔵省、日銀へ報告、金額の規模が大きいことから万一に備えて金融恐慌が起こらないよう準備を始める。結局江坂は第三抵当権もとれず、サッシングループの資金繰りが破綻している事も判明、万策尽きてNF州へNRCの破産申請する。NRCへの債権全額が焦げ付き、他にも巨額の不良債権と借入金があり一気に経営危機に陥った江坂産業は、住倉銀行の仲介により宇美幸商事に吸収合併され歴史から消滅した。

2. 石油危機

江坂アメリカがNRC社とBP石油の代理店契約を締結した1973年9月の直後に第4次中東戦争が発生し、石油価格が1バーレル3ドルから4ヶ月後の'74年1月には12ドルと4倍に跳ね上がり世界的な石油危機が起こる。100%輸入に頼る日本の産業界には激震が走りエネルギー確保、石油貯蔵などを始め、トイレットペーパーが買えなくなるなどの騒動も起きた。結果的には節電、省エネ、節約で何とか乗り切ったが、世界的に石油を節約し天然ガスなどの代替エネルギー開発も進み石油がそれほど売れない状況となった。そんな市場の大変化の中でカンバイチャンスの製油所が日産10万バーレルの製油を始めた。BPから買う原油は4倍になったが製品の価格は4倍にはできない、社会の安定の為に政府が価格を抑えている。国内備蓄の為に輸出も禁止され当初予定していたアメリカ東部への販売もできない。更には製油所での給与待遇改善を求めて労働者がストライキを起こしたり、新鋭製油設備の技術習得が遅れ高価格製品(ガソリンやジェット燃料など)の比率が低く、安物重油(船舶燃料)が多く出てくるという設備トラブルにも見舞われ、PRC/NRCの製油事業は最初から赤字続きである。製油すればするほど赤字が増える。市況が落ち着くまで製油事業を一時停止すれば良さそうなものだが、BPからの原油供給は長期契約の為途中で止められない条項が付いている。20万トン級巨大タンカーが一隻は中東の積出港、一隻は航行中、一隻はカナダのNF州製油所で荷卸し中と順繰りに回っている。月に二度の積出しの度に代金を江坂が払わねばならない、そしてその全額が焦げ付いていく、まさに地獄である。そんな恐ろしい石油の取引になぜ介入したのか?「石橋を叩いても渡らない」という堅実経営で聞こえていた江坂である。巨大な売上金額と利益に目が眩んだのか、万年10位の業界順位から一気に上位へ登る為の切り札にしたのか、或いは政商サッシンに利用されたのか?いずれにしてもハイリスクの商品、石油を取り扱うにはそれなりの経験と準備、調査が必要と思うが十分にやった形跡がない。’74年にサッシンから新規に紹介された北海原油の取引やシンガポールの製油所事業には社内承認が取れないとして断っている。江坂に調査機能はあったと思うが、カナダNF州案件は州立の官営製油所という事で詳細に調査せずに見過ごされたようだ。政府案件と信じて未経験、未熟分野の石油取引に介入していった、所謂ハイリスク・ハイリターンの典型だが、普通は避けるべき領域である。石油と言う熱い商品に手を出して火傷どころか焼身自殺したようなものである。地球のエネルギーを支える有限の資源、石油の取引は歴史的、地域的にも争いが多い、リスクが高すぎると認識すべきだったと思う。

3. 古い体質

江坂産業崩壊の原因は石油危機とは別にも色々あるが、最大の問題は”古い体質”だと思われる。近代化に遅れた古い体質は社内ルールや管理規定から逸脱し個人プレーを許し大きな損害を発生させてしまった。以下具体問題を挙げて説明したい。

(1)創業家の問題:

小説に何度も出てくる”社主” 江坂要造は江坂産業創業者、江坂徳右衛門の長男である。会社経営には口を出さないが人事権を一手に握っている。わずかな株(2%)しか保有していないが役員の人事のみならず社長ですらクビにしてしまう。住倉商事と合併交渉を密かに進めた大橋前々代社長は会長に棚上げされ、人事権を取り戻そうとした浜島前社長は相談役に更迭された。現在の河井社長も社主からの支配を避ける為自分の業績をあげようとして上杉の石油取引を容認していた。社主は世界中から美術品を会社の金で買い漁る、社主の息子即ち創業家3代目の江坂明太郎専務は豪華ヨットを買い漁る。役員会でも皆が社主と息子の顔色ばかりを見ている。生き馬の目を抜く国際ビジネスの世界で会社として適時に適切な経営判断ができなかった。住倉銀行の八田頭取が「今度の厄介は近代化に遅れた江坂の体質とそれを支える要造さんの古い性格からきている」と指摘する如く、創業家社主の存在が江坂崩壊の大きな要因となっている。トヨタ自動車の豊田社長のように創業家経営で成功している例もあるが、会社の近代化の為には創業者一族が経営現場から手を引く方がうまくいっている。三菱、三井、ホンダ、ソニー、パナソニックなど多くの企業事例が証明している。創業者の精神と資本は引き継ぐが経営と管理は専門家集団が担当すべきである。上場して多くの株主を集め、多くの従業員を雇用している会社は社会の公器であるとの認識が必要だ。創業家の2代目、3代目が社内でファミリーと呼ばれる一派を形成して経営に干渉していた江坂の古い体質が健全な近代的合理的経営を阻害し最後に崩壊を招いたと言える。

(2)調査不足:

商社が新規取引先と新規事業を展開することはよくある事だが、前提条件として、ヒト、モノ、カネを良く調査することが重要である。江坂アメリカの上杉社長はNRCサッシン社長と新規の石油取引を行うにあたり相手をどこまで調査をしたのか不明点が多い。小説ではサッシングループでは高名な弁護士や会計士を沢山抱え外からの調査では金の流れがわからないようにしていた、との紹介もある。出自もよくわからない相手との取引だが、20年以上もアメリカに駐在し地元のアメリカ人よりも流暢な英語を喋る上杉が相手を見る目がないとは思えない。”胡散臭い”ところはあるが、それを分かった上で前のめりで突っ込んでいったように思える。'72年に栄光商船のタンカー2隻の傭船契約に際してサッシンから1,500万ドルの融資を求められた、この時は栄光側から半額の保証を取れたので問題はなかったが、'73年には追加で4,200万ドルの融資を求められた。石油取引介入への最終条件として提示され、上杉は最初から受けるつもりだった。担保は300万ドルのスタンバイL/Cのみ、ほとんど無担保同様の裸与信だが、ブリグハムNRC副社長のアイデアでBPへの石油代金前払い名義とする事で、貿易金融の隠れ蓑を着せて秘密契約の融資としてしまった。当時のレート(1ドル300円)で126億円もの巨額融資を”石油事業への介入実現の為”との大義名分を立てて大橋会長と河井社長の承認のみで秘密裏に合意している。その秘密を交わした補助契約書は常務会にも報告していない。BPへの石油代金の建て替え払いとNF州政府官営製油所"PRC"からの代金回収のみであれば普通の”貿易金融”なので商社ではなじみも深いし社内での承認も取りやすい。実際に江坂の常務会で機関承認されている。しかしサッシン・NRCへの融資は全く異なる分野の”別件融資”であり、もしこの融資を常務会に諮って社内の審査部門で調査すれば、如何に旧体質の江坂と言えども恐らく融資先の情報不足、危険度が高いとの理由で承認はされなかったと思う。もし正直にサッシンへの融資が石油取引介入の為の前提条件だと会社へ説明していれば、そんな危ない相手の話には乗らない方が良い、として貿易金融もなかったかもしれない。実際にサッシンはこの金を他のメディア事業資金に流用し製油所の資金には当てていない、謂わば最初から江坂の金を狙っていた節がある。”やる事ありき”で進めていた現場の上杉はその危険に敢えて目をつぶり相手を調査しようとはしていない。上杉の後任の安田が江坂アメリカに着任して一年以上経って問題が出始めてからやっとNRCの”Dun-Report”(信用調査書)を取っているが、本来であれば4,200万ドルの融資前に取るべき信用調査書である。NRCは担保として300万ドルのスタンバイL/Cを発行していていつでも現金化できるがリスクの一割もカバーしていない。更には石油代金を江坂に支払う筈の官営製油所”PRC"がいつの間にか株を売ってサッシンのNRC 100%となってしまった。この瞬間に売掛金の回収リスクがNF州政府からサッシンの一個人企業へと移ってしまった。すぐに巨額原油代金の販売相手、売掛金の計上先として信用調査が必要となるのに、サッシンは江坂との代理契約、開業式が終わるまで隠し続けていた。上杉は晴天の霹靂で驚くが今更本社にも報告できず当分隠し続けるしかなかった。このPRCとNRCとの不明な関係を事前に良く調査すべきであった。八幡製鐵所の指定問屋として発展して来た江坂には官営の有難さ、信用の高さが分かっており常務会が承認したのもPRCが官営の”クラウンカンパニー”だったからである。ところがNF州政府は最初から自分で責任を取って経営する方針はなく、金を集めて入れ物を作り地元の雇用と経済発展に貢献さえしてくれればそれで良く、すぐに譲渡する約束ができていたようだ。僻地での企業経営に興味のない政治家と営利を追求する企業家とが妙な約束をしており、”身代わり詐欺”にあったようなものだ。この辺の思惑に良く注意して近辺の工場の例など慎重に現地での調査を行うべきだった。

(3)与信総額:

新規の取引では万一失敗しても最大限どこまでの損失を覚悟すべきか、という限度を決めておかねばならない。江坂も対PRCへの売上債権の与信総額を'73年9月の契約時点では4,500万ドルと設定していたが石油危機で原油値上がりの為、'74年4月の常務会で1億8,900万ドルへと増額している。万が一、相手が倒産しても(実際にそうなってしまったが)ここまでは腹をくくって損切りし、会社全体の安泰を図るという金額である。ところが実際の損害額はこの限度をはるかに超えて巨大な金額になってしまった。日産10万バーレルの製油所に原油を供給するには、毎月300万バーレルの原油が必要である。中東からの原油を20万トン級タンカーで月に二度150万バーレルずつ運んでくる。値上がり後の原油価格が1バーレル12ドルとして月に3,600万ドルだが、PRC/NRCには2.5ヶ月のユーザンス(後払い)を供与している為、資金負担は9,000万ドルとの計算となる。これにNRCへの融資5,700万ドル(タンカー契約時の1,500万ドル+サッシンへの4,200 万ドル)を加えた1億4,700万ドルで最悪の損失を抑えられたはずである。だが本社での責任者となった上杉担当常務は資産評価額が6億ドル以上にもなる製油所設備の第三抵当権を取る事、NRC発行のスタンバイL/Cの金額を1億ドルへ増額する事で乗り切ろうとし、その方針を河井社長以下経営陣もこれを了承した為に緊急対応が遅れてしまった。上杉は'75年10月にロンドンで開催された債権者会議に出席し、既に2億ドルにまで増えていたNRC債権の保全を訴え製油所資産への第三抵当権設定を求めたが、第一抵当権を持つ"ECGD"(英国輸出信用保証局)と第二抵当権を有するカナダNF州政府の反対に合い苦戦する。会議は1ヶ月以上もずるずると続き何の合意にも至らず結論も出なかった。この間にも中東からの大型タンカーはきちんと原油を運び続け毎月3,600万ドルが払われ、最終的には3億3,700万ドルまで焦げ付いてしまった。歴史に”もし”はないが、'75年3月の最初の共立銀行分の手形ジャンプの時に次のタンカーを止めていれば4,400万ドル、或いはもう少し待って同年5月の住倉銀行分のロールオーバーの時点で止めていれば9,300万ドルで収まり、航海中の分とサッシンへの融資分を含めても1億8,000万ドルの与信総額内には収まる。対銀行にも想定内の管理範囲との説明もできるし、事業の全てを見直し、再出発の仕切り直しができたかもしれない。契約書に製油所への石油を勝手に止めることは出来ないとの条項もあったようだが、不測の石油危機で関係先へよく事情を説明すれば半年や一年ほど待ってもらえたかもしれない。"Poit of No Return"(元に戻れない一線)を超えてしまって一寸先は闇、死の行進に入ってしまった。”与信総額”という社内管理規定を遵守する事が会社を守る事だと肝に命じるべきである。

(4)人事異動:

江坂産業は'73年9月1日付で2人の人事異動を発令した。
上杉二郎:常務・原燃料鉱産専任担当(江坂アメリカ社長兼米州総支配人)
安田茂:常務・江坂アメリカ社長兼米州総支配人
この辞令により上杉はNYで安田と業務引継ぎを行い、11月下旬に20年に渡るアメリカ駐在を終えて日本へ帰国した。この引継ぎ期間中の9月20日にPRC/NRCとの石油取引に介入する『代理店契約書』と『補助契約書』(石油代前払い名目の融資契約)に署名している。江坂産業は石油取引を本社でも利益計上する為にNRCから取得する口銭を本社分とアメリカ分とに分けて二本の契約書を作成したが、そのいずれにも上杉が署名した。本社分の契約書には”江坂産業株式会社・代表取締役”、アメリカ分契約書には”江坂産業アメリカ会社・代表取締役社長”としての肩書きで署名している。9月20日の時点では既に安田がアメリカ会社の社長として着任しているにも関わらず上杉がアメリカ会社の社長として署名している。また本社では代表取締役でもないのに代表取締役の肩書きを使用している。狡猾なサッシンと5年以上に渡って交渉しやっと晴れの契約書に自分でサインしたい気持ちは理解できるが、すでに着任している安田社長を無視するのは如何なものか、また本社での肩書も代表取締役ではなく正しい常務取締役とすべきであろう。この派手なルール破りは河井社長の承認を取っているようだが、考えようによっては万一問題が露見した場合「あの件は全て上杉が独断でやった、契約書も全て彼が一人でサインしている」と責任逃れができる。実際に問題が発覚した後、住倉銀行の八田頭取が河井社長に「あなたは何も知らない事にしなさい、さもないと株主から背任罪で訴えられますよ」とアドバイスしている。もし契約書に本社の担当副社長などがサインしていればそうした言い訳もできなかったであろう、ある意味では上杉の功名心を社長が利用したのかもしれない。結局、現地の安田が異常に気付き処理を始めるが遅きに失した、最初から安田にサインさせて責任を持たせておけばもっと早めの対応ができ損害を抑えられたと思う。契約書のサインは社内規定に基づく署名権者がやるべきであり、人事異動の発令が全てに優先するのは言うまでもない。

(5)会計責任者:

江坂アメリカがサッシンに融資した4,200万ドルは本社常務会の承認を受けていないのに、NYでは銀行から現金が引き出されサッシンの会社へ振り込まれた。江坂アメリカが銀行に登録している”Tresurer (会計責任者)”は江坂アメリカ会社の社長、同財務部長、NY支店長の3人だが、そのうちの1人でもサインをしていれば銀行からの引き出しが可能だった。上杉は’73年11月の帰国前に後任の安田社長とは詳しい引継ぎをせず、帰国後は本社から担当常務として直接管轄していた為に安田はアメリカ社長と言えどもノータッチ状態だった。また富田NY支店長は上杉とは社長時代から不仲で全く関わっていない。この為田沢財務部長が社内の誰にも報告せず一人でサインして二度に渡り銀行から金を引き出している。'75年3月に手形ジャンプが発生して契約書を見直し始めた安田社長が田沢財務部長を呼びつけ詰問して初めて自分の知らないところで融資が実行された事を知った。田沢を社内規定違反だと責めるが、逆に「上杉社長との引き継ぎで聞いていなかったのですか?」と開き直られる。自分の管理責任ともなるし更にはまた自分が属するファミリー派首領の米沢副社長も巻き込まれている可能性もあり、安田は本社へ報告することは控えてしまう。こうして当時のレートで126億円もの石油代金とは関係のない金がサッシンの懐へ入り全額が回収不能となった。NYでの銀行預金引出しには会計責任者の連署を必要とする社内ルールはあったようだが、そのルールを財務部長が守らなかった為に会社が大損をしてしまった。

4. その他問題

石油危機と江坂の古い体質面から意見を述べたが、小説を読み進みながら気になった場面が何ヶ所かあったのでメモを残しておきたい。

・江坂産業本社での常務会が機能していない、反対意見も出ない後追いの形式的な承認の場となっている。
・上杉と安田が重要案件の引継ぎをきちんとしていない、「引継書」の文書がない、契約書原本など重要文書の保管場所が不明。
・「代理店契約書」内容に不備、不明点がある、石油を勝手に止められない、石油の価格を決められない、一方的に値上げされる立場。
・NRCへの融資に際して信用調査や資産評価をやっていない、" Dun-Report"を取っていない、”Due-Dili"もやっていない。

上記、いずれも社内の経営管理体制が古くて甘かった為に発生したと言える。また製油所内で設備トラブルや労働ストライキが起こり立ち上がりから経営不振となっているが、これはサッシン・NRCが製油所の管理能力がなかった為であり、もっと言えばそんな経験不足、技術未熟な会社に全面管理を委託し、開業と同時にたったの1000ドルで85%全株を売却してしまったNF州政府も問題あると思う。ウッドハウス首相は「この貧しい島で産業振興する為には州立の会社を作るしかない」が政策だったようだが、金を集め入れ物ができて雇用が確保されればさっさと売ってしまった。資産評価額6億ドルの製油所をタダ同然でレバノン系アメリカ人に売り渡すNF州政府の行為は大疑獄事件の様にも見えるが、正式な州議会で可決された法律に基づくというから驚くばかり、もしかしたら地元の議員さんたちは事業が必ず失敗することを見通していたのかもしれないと勘ぐる程だ。横綱と相撲を取っていると思ったらいつの間にか相手が序の口に変わっていた。自分の会社は一体どこの誰と取引しているのか、国際間のビジネスでは特に良く相手を確認して進めないと間違いが起こる。

エピローグ

「事実は小説よりも奇なり」と言われるが、この小説で取り上げた総合商社と大手銀行の実際のその後はもっと数奇な運命をたどる。モデルとなった総合商社第10位の安宅産業は伊藤忠商事に吸収合併され消滅、9位の兼松江商はバブル期の不動産事業失敗により専門商社となり大幅縮小、8位のニチメンと6位の日商岩井の二社は2006年に合併して双日となり、7位のトーメンも同年に豊田通商と合併して消滅した。1-5位の三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅は今でも健在だが、石油・石炭・天然ガスなどの資源の割合が多かった財閥系御三家の利益が減ったり、世界的鋼材不況で鉄鋼部門を別会社へ切り離したりして苦難を切り抜けてきた。銀行も安泰ではない。安宅と伊藤忠のメインバンクとして合併を仲介した住友銀行は'01年にさくら銀行と合併して三井住友銀行となった。協和銀行は'91年に埼玉銀行と合併し協和埼玉銀行となり、その後りそな銀行となった。安宅の不良債権の一部を引き受けた東京銀行は'96年に三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり更に統廃合が続き現在の三菱UFJ銀行となっている。三井銀行は'90年に太陽神戸銀行と合併しその後さくら銀行と改称し、'01年に住友銀行と合併した。小説には登場しないが当時都市銀行第一位の第一勧業銀行も'00年に富士銀行、日本興業銀行との統合によりみずほホールディングを設立、'02年にみずほ銀行となった。
商社、銀行に限らずあらゆる企業は永遠ではない、時代の変化と共に栄枯盛衰がある。倒産、再建、合併、消滅、統合、再生を繰り抜けて生死流転を繰り返す企業の生命がそこにある。本小説の作者松本清張が題名にした『空の城』の空(くう)とは仏教の「色即是空」、「空即是色」から取った”空”の概念とのこと。有るようで無い、無いようで有る、人智を超えた、表現できない世界を”空”と読んでいる。消滅した江坂産業、廃墟となったNRC製油所を『空(くう)の城』と名付け、一体何が有ったのか、何が無かったのか、という問題提起をしている。

'76年3月に破産宣告されたカンバイチャンスの製油所はその後'80年代に別資本に買い取られて製油事業を再開し今でも継続しているらしい。ウィキペディアで調べると美しいプラントの夜景が紹介されていた。正に『空の城』である。

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(カナダ・NF州・カンバイチャンス製油所、ウィキペディアより)

2021年3月31日 於北京

(完了)







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