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令和2年 コロナ禍の訪中日記

令和2年(2020)の新型コロナ騒動の中、中国を訪問する事になった。
4年前に定年退職し、夫婦で世界中を旅行して第二の人生をエンジョイしていたが、コロナのお陰で生活が一変し、海外旅行にも行けなくなった。当分は東京の自宅でじっと我慢していようかと思っていた矢先に北京の義母が入院した為、急遽夫婦で北京へ戻ることにした。現役の商社マン時代には、北京を始め中国各地に合計20年間駐在し中国貿易にはそこそこの経験があるのだが、今年、武漢から世界中に拡大したコロナ禍での訪中は勿論初めてであり、一体どんな事になるのかさっぱり予想もできない。新聞記者をしている長女から、「パパ、中国の状況を記録して来てね」との宿題を賜り、毎日の出来事を日記風に記録してみた。今後もコロナ禍が続く中、仕事や私事で中国を訪問する人は増えると思うので、ご参考になればと思いnoteに発表する事にした。ご笑覧頂ければ幸甚である。

一、 訪中準備

<ビザ>
中国には日本のパスポートならば短期(15日)であればビザは不要であった。観光なら旅行社に頼めばすぐにビザは取れるし、長期にしても受け入れ先の中国企業や政府期間から招待状さえ貰えば1年から数年の長期ビザはもらえた。これらの全てのビザが、コロナ禍のお陰で無効となった。ビザなしの15日短期も駄目となり、今後中国に行くには必ずビザが必要となった。日本政府も中国からの渡航者に対して、全ての訪日ビザを無効にしているのでお互い様ではあるが、不便になった。7月13日に江東区有明、フロンティアビルの12階にある『中国ビザ申請センター』に行って事情を説明すると、“人道主義ビザ”というのがあって申請可能、どんな書類が必要か親切に細かに教えてくれた。書類は必ず電子メールにて送付して、まずは申請の予約を取るように、との指示も受けた。政府の緊急宣言の間はずっと閉館しており、最近やっと業務開始したばかりで申請者が殺到、窓口が混乱する為、これもコロナ対策で、予約なしには窓口にたどりつけないシステムになっていた。 帰宅後早速必要な書類を揃える。戸籍謄本やパスポート、招待状などに加えて、入院先病院の証明書が必要、しかも日本の領事館から現地へ確認する為に確実な連絡方法を明記せねばならないが、これには中国のSNS “微信” (WeChat)が役にたった。現地からすぐに携帯に送信されてきた。書類をセンターにメールで送信したが、2週間たっても返事が来ない、明日をも知れない危篤の義母が心配で、予約なしにも関わらずセンターを訪問して事情を問い合わせた所、恐らく現地病院からの入院の確認が取れていないのではないか、とか、娘一人(妻のこと)で十分、その旦那までなぜ一緒に行くのかの説明が必要などと回答をもらった。聞いてみると病院の代表電話番号はテープが回って、「関係先の内線番号を押してください」との回答になっているとの事で、慌てて代表ではなく直通電話番号を聞いて必ず誰かが出る番号を教えてもらい、更には、娘婿の当方は義母との関係も良く息子同様に可愛がられている事、車椅子を何時も押しているなどとの説明書を作成して再度センターへ送った。今度はセンターから返事が来て、「領事館から批准されたので、8月3日の予約をしました、申請に来てください」との通知が届いた。当日初めて申請窓口に呼ばれて全書類を一つずつチェック、古いパスポートのコピーや、東京で発行された前回のビザのコピーを取って書類は完了、無事に受理された。ビザ発行は3日後の8月6日、以前であれば普通のビザなら八千円で1週間かかった。3日で発行してもらうには“加急”の2万円かかったと記憶するが、コロナのお陰で人数が減ったのか、普通費用で3日間で発行されるのは有難い。3日後の午後にパスポート受取り用の申請受理票を渡されて完了した。 最初に訪問してから3週間がかかった。 当日午後2時にセンターに到着したが結構人が多く、混雑しており2時間半も待たされて、やっと“人道主義ビザ”を入手した。費用は一人8500円、記号はQ2、入境一回きりのシングル、滞在期間は180日のビザがパスポートの新しいページに貼られていた。<フライト>ビザの次は飛行機の手配。コロナのお陰で東京—北京の直行便は飛んでいない。JALは東京—大連しかなく、9月まで満員、ANAは上海便があるがこれも9月まで満員との事。北京行きの予約が取れないのである。驚いた、70年代に戻った気がした。一体どうしたものか悩んだが、ここで妻の人脈が役に立った。大阪で中国専門の旅行社を経営している女社長に電話して、『とにかく一番早い便で中国に入りたい』とお願いすると、間も無く回答が入り、8月12日 14:15成田発の広州行き中国南方航空が二枚取れるとの事、即答でOKするとすぐに電子航空券を発行してくれた。費用は一人片道RMB2万元、日本円で32万円。往時の5-6倍もの高価格だが、非常時だけにやむを得ない、二人分64万円を振り込む。世間ではGoToキャンペーン、経済のV字回復の為に旅行を勧め、交通費とホテル代の半額を最大で30万円までお国が負担してくれるのだが、東京の住民は対象外、さらに行き先も海外は含まれていない。残念至極だが、ここは“中国と世界経済の回復に貢献”のつもりでしっかりとお金を使うしかないと言い聞かせる。<ホテル>中国政府は首都北京のコロナ防疫体制強化の為に、海外から外国人及び中国人が北京に入る為には、まず北京以外の都市(上海、大連など何ヶ所か指定されている)に入り、当地のホテルで14日間の隔離を受けることを義務付けている。隔離の後にPCR検査を行って陰性が証明されて初めて、当地から北京行きの飛行機あるいは新幹線に乗ることができると決められている。 実は北京に到着後も、更に14日間の隔離を受ける事も一時決められていたが、その後北京での隔離規定は緩和されたと聞いている。いずれにしても最初の都市でホテルに14日間隔離は間違いない事、ホテルは現地到着後、統一手配されるので出発前に予約は必要ないとの事を、旅行社から確認を受ける。広州ではどんなホテルに泊められるのか、14日間の隔離生活は一体どうやって過ごすのか、食事はどうするのか等等、不安がよぎるが既に航空券は発券済み、まな板の上の鯉状態、言われる通りにするしか無い。唯一の救いは、中国行きの飛行機に搭乗前、指定の病院でPCR検査を受けて陰性でなければ飛行機にも乗れない、との規定もあったが、これは最近必要なくなった、との旅行社の説明に一安心。64万円も払って、検査で陽性がでれば飛行機にも乗れないし、払い戻しもないとの不条理な規定に呆れたものだが、よく考えれば、もし本当に陽性ならば北京どころではなく、都内のコロナ病院に即入院せねばならない、そちらの方が困った事になるのだ、ありがたい事だと納得する。かくして”ホテルの予約なし、出たとこ勝負”の出発となった。

二、 広州へ出発

<新宿からリムジンバス>
8月12日 この日は最も長い1日となった。早朝6時半に起床、朝食(カレーうどん)を済ませ荷物を最終確認、9時前、ワゴンタクシーが到着、6個のトランクを積込み、調布の自宅から出発、新宿へ向かう。お盆休み前の為か途中の甲州街道と首都高速4号線は空いていて、30分で新宿京王百貨店前のリムジンバス乗り場に到着した。切符売り場で中国南方航空のターミナルを確認して、10:05発の成田空港・第一ターミナル北ゲート行きを二枚買う。一枚3,200円で以前より200円値上がりしているが消費税なのかもしれない。バスの乗り口前で6個のトランクを預けたら、「本来はお一人様2個までなんですが、本日は乗客が少ないので特別に3個引き受けします」との有難いお言葉あり、これもコロナのお陰かもしれない。乗って見ると確かに少ない、我々2人以外には1人のみ、次の乗車駅の“新宿バスタ”(3階A1乗り場)からでも2人が乗ってきたのみで、合計5人の乗客で10:20に新宿を出発した。大きなバスが成田まで高速を走って客が5名では到底採算が合わないだろう、などと勝手な想像しながら、いつもは自分でレクサスを運転して走る首都高速都心環状線と東関東自動車道(湾岸高速)の周りの風景を窓からぼんやりと眺めていた。
<成田空港>
バスは成田空港出口で高速を降りて、成田空港第3ターミナル、第2ターミナル、第1ターミナル南ウィングの順で停車し、最後に同北ウィングで停車した。11:40着、新宿の京王百貨店前を出てから95分経っている。途中『新宿バスタ』に寄って15分ほどロスしているので正味時間は80分と成る。各停車場にはバス会社の従業員が2人づつ待機しているが、降りる客もいなければ、バスの腹から取り出す荷物もない、手持ち無沙汰で会釈のみを送る。がらんとした空港、出発階ロビーのドアを出入りする観光客も全くいない。現役商社マン時代、数多く海外出張し殆どが成田空港からだったが、当時の賑やかな風景と比べ、これほど寂しい空港は初めて見る。これがコロナの実情なのだ、海外渡航は自粛との政府メッセージが徹底されている感じだ、などと愁傷な思いで第一ターミナル北ウィングのドアからロビーに入ると、中にはトランクを抱えた乗客がびっしりと長蛇の列をなしている。一体これは何か? 嫌な予感がして列の先頭まで小走り、ゴッタ返しているCカウンターの前で中国人職員に「これは南方航空8102便の列ですか?」と聞いたら、「そうです、エコノミーのお客様は列の最後尾に並んでください」と冷たく言われ驚いた。 慌てて引き返して100m以上はありそうな列の最後尾に並んだ。 普通、一枚32万円も払えばビジネスクラスで優先搭乗手続きができるのにとか、JALだったらグローバル会員なので並ばずにすむのにとか、夫婦でブツブツ言いながらエコノミーの長蛇の列で待つ事になった。あまりに人が多いので、フライト出発時間14:15、ゲートクローズ13:45までに間に合うのかしら、などと心配になってきたが、その後まだまだ私たちの後ろに並んでくる客もおり、なんとか成るだろうと諦めた。辺りをよく見ると南方航空以外のカウンターはビニールのカバーがかけてあり営業していないことがわかった。聞くところによると、中国行きの便は、各航空会社は週に一便のみしか飛ばせないらしく、その一便が今日に当たる南方航空は“稼ぎ時”とばかりにぎっしりと客を取っているようだ。JALやANAはソーシャルディスタンスで乗客の席を少し開けるように50%とか75%の乗客率とか言われているが、一体どうなっているのか、本当に席を空けているのか疑問だったが、その回答はあとでわかる。約1時間待ってようやく手続きカウンターに辿りついた。大中トランクを各2個づつチェックイン荷物として預ける。4個共重量制限の23KGギリギリまでに昨晩何度も体重計で測って調整しているのでオーバーウェイトはない。係りの職員が「どれもギリギリね」と苦笑いしている。ボーディングパスをもらって完了、出発ゲートに入ろうとすると、その前に看板が立っていて、日本語と中国語で出発前の『健康申告』が必要との通知が書かれている。紙の用紙に記入ではなく、スマホでバーコードを読み取り、申告書フォームを携帯にダウンロードせねばならない。携帯の画面からフォームに入力して当局に送信するのだが、健康状態の他に自宅の住所や電話番号、中国での連絡先など、入力項目が多くて結構面倒くさい。なんとか全て入力して、最後に自分のE-mailアドレスを入力して送信すればそのアドレスに回答が来て完了となるのだが、いつまで待っても確認の回答が来ない、健康申告が完了しなければ搭乗できないので、もう一度最初からやり直したがやはり確認メールが来ない。中国人用の“微信”で入力し送信後、すぐに確認が取れた妻はとっくに終わり、こちらの不手際にイライラし始めている。慌てて南方航空の係員に質問したら、「あー、ヤフーメールはダメです、届きません、GメールならOKです」との回答、「おいおい、最初から言えよ」と文句を言いたいがここは抑えて、おとなしく3度目の入力作業、最後にGmailのアドレスを入れて送信ボタンを押すと、直ぐにGメール宛に返信が届き緑色のQRコードが携帯に送られてきた。先ほどの係員がこのQRコードを見て「はい健康申告が完了しました」と言いながら、ボーディングパスの上に赤ペンで何やらマークを入れた。このマークがないと搭乗できないのだから恐れ入る。時間は13:20 もうすぐ搭乗が始まる。急いで安全検査を受け、出国手続きのフロアに降りる。日本人は自動ゲートにパスポートを開いて置き、顔認証が終わればすぐに出れるのだが、これではパスポートに出国の記録スタンプが押されない。中国での居留証手続きにこのスタンプが必要なので出入国管理局の窓口へ行って、本日の出国スタンプを押してもらう。これにて搭乗手続きの全てが完了、搭乗23番ゲートに到着した時には13:50、出発の30分前ですぐに搭乗開始のアナウンスが流れてきた。放送をよく聞くとビジネスクラスの優先搭乗が終わるとエコノミーだが、混雑を避けるために機内の後部列座席から搭乗すると言っている。 カウンターでの手続きの際に、後方のトイレに近い通路側の座席、51Gと52Gをもらっていたので、奥から順番に搭乗する一番最初のグループ(48列以降)で機内に入った。
<機内>
最初に機内に入ったので、手荷物で持ち込んだ小型キャリーバッグ2個を上の荷物棚にゆっくり入れることができた。下を見ると全座席の上にポリ袋が置かれている。何だろうと中を開くとペットボトル水(300ml)、カップ入りオレンジジュース、クリームパン、菓子パン、チョコレート、クッキーなどが出てきた。コロナ対策の為に食事と飲料の機内サービスが無いことがすぐに判った。自分で袋から出して好きなものを食べてください、という訳だろうが、ビールもワインも無く、パンとお菓子ばかりではそんなに沢山は食べれない。機内飲食の楽しみがなくなった。

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(座席に配布された食料袋)

搭乗前に疑問だった乗客率、座席の空き数はどれくらいだろうか、と思いながら続々と入ってくる乗客を見ていると、なんと一席の空きもなく、びっしりと満席で埋まった。ソーシャルディスタンスもあったものでは無い、100%の満席状態である。機体はエアバスA330型で定員は250名以上取れる中大型機、後部座席は横に2,4,2の配列で10席あり、最後列は60番だった。ファーストやビジネスの座席を考慮しても300席以上は取っていると思われる。飛行機は換気が良いので機内感染は少ない、との話をテレビで聞いた事があったが、一人でもコロナ感染者がいればこんな寿司詰め状態ではすぐに全員が感染するだろうな、との不安が過ぎる。よほど空気力学を研究し尽くしているのか、あるいは単にこれ迄の欠航の損失を取り戻そうとしている営業判断なのか、よく分からない。何れにしてもイチかバチかのロシアンルーレットである。更に驚いたのは機内にいる数人の防護服姿の女性達、当初は空港の検疫係官が乗ってきて、防疫の確認が終わればすぐに機体から降りるのかと思っていたが、ずっと通路に立っている。そのうち出発の機内アナウンスが流れるとなんと全員が非常口の前の座席に座った。白い防護服にゴーグル、マスク姿の女性達はこのフライトのキャビンアテンダント(CA)だった。中国では“空姐”と呼ばれ、今でも若い女性の憧れの職業だが、まさかの防護服で空中勤務とは中国の航空会社ならではと思われる。

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(南方航空機内のCA)
300名ものびっしりと詰まった乗客、感染未確認者達と濃厚接触をせざるを得ない彼女達が医療関係者と同じ防護体勢を取るのは仕方がないとも思う。そのうちに機体は轟音をあげて飛び立った。時計を見ると14:40 ほぼ定刻である。座席の前にはタッチスクリーン式の画面があり日本語を選んで画面を進めてくと、新作の映画紹介があり山田洋次監督の『男はつらいよ お帰り寅さん』(50周年記念作品)があったので、早速見たいと思ったが肝心のイヤホンが無い。普通は座席前のポケットに入っているか、安定飛行に入ってから機内で配られるが何の気配も無い。防護服のCAに聞いてみたら「コロナの関係でイヤホンは配っていません」とのつれない返事が返ってきた。確かに肌に触れる器具は感染症対策から見れば危ないし、もらった方も大丈夫かいな?と心配してしまう。うーん、それにしても50周年記念の寅さんはどうしても見たい、そこでカバンに入っているiPhoneを引っ張り出して機内で音楽を聞こうと思っていたイヤホンのジャックを座席前のスクリーンの上部にある穴に差し込んでみた。飛行機用のイヤホンは2本ジャックなので穴が二つ空いているがその内の右側の穴に差し込んだ、するとガサガサと音がして奥まで突っ込むと、寅さんの主題曲を歌っている桑田佳祐の声が聞こえてきた!最近のiPhone用イヤホンはジャックが充電線と同じライトニングケーブルになっているが、当方の中国用iPhoneは古い6型なのでイヤホンが従来型のジャックでちょうど飛行機の穴に入るタイプだった。最近はもっと進んでBlueTooth AirPodsとなっているが、これでも映画の音は聞こえない、コロナ時代は古いものが役に立つのかもしれない。映画のあとは文庫本を読んだり、携帯のゲームをやったりして時間を潰し、現地時間の18:00 広州白雲空港に到着した。日本時間で19:00 (時差1時間)、成田を出発して4時間半が経っていた。

<広州空港>
荷物を棚から降ろして機外に出ようとすると、「只今検疫の準備をしているので少しお待ちください」との機内アナウンスが流れた。いよいよコロナ検疫とのご対面である。一体どんな検査をされるのか内心不安を感じながらそのまま機内で約1時間待たされた。やっとのことで機外に出るとロビーには先に降りた乗客が列をなして並んでいる、検査を受ける為の順番待ちのようだ。周りには白い防護服にゴーグル、マスク姿の係員が沢山待ち受けており、一見テレビで見たコロナ専門病院のロビーのような印象だ。奥の方にはロープが張ってあり中には多くのテーブルとパソコンが並んでいた。先に降りた乗客達がテーブルの前で係員に向かって何かを話したり、書類に記入したりしている、PCR検査を受ける乗客の個人データをコンピュータに入力処理しているようだ。

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(広州空港 PCR検査前の受付)

列で待っていると自分の順番がきて係員からパスポートの提示を求められ、本人確認をした後に、表紙に赤い丸いシールを貼られた。シールには黒いサインペンで”177”と書かれており、ロビーで呼ばれるのを待つように指示される。空いた席を探して座りただひたすら待つ。177番というのは本日のフライト乗客の177人目の被検者なのであろう、自分達の後ろには2−30人しかいなかったので、このフライトの全乗客は約200名前後だと思われる。ロビーでは「100番から120番の人、こちらへ!」と20人ずつの呼び出しを行なっている。こりゃ当分170番台には回って来ないわ、と覚悟を決めて長期戦に備え、機内で配られた菓子袋の中にあったポテトチップを取り出して腹の足しにする。ロビーには売店もなくビールも飲めない、結局この日の食事は朝のカレーうどん、機内での菓子とこのポテトチップのみである。ビールに至ってはホテルでの隔離が終了するまで15日間の完全禁酒であった。1時間以上待たされてやっと順番がきて防護服の係員の前に立つ、この段階ではまだ奥の受付テーブルにはたどり着かない。まずは携帯スマホに『健康申告』のアプリをダウンロードするように指示される。そういえばロビーのあちこちに読み込み用のQRコードが貼られている。成田で苦労して『健康申告』は完了したことを伝えて緑色のQRコードを見せたが、「それは日本での出国手続き用です、これからは中国入境の健康申告です」との説明あり、またもスマホアプリでの申告となった。成田で失敗しているので、今度は知ったかぶりをせずに「済みません、日本人なので良くわかりません」と最初から係員に頭を下げ、自分のiPhone6を差し出して操作をお願いした。相手も良く知ったもので慣れた手つきであっという間にダウンロード、インストールが完了した。「はい、この欄に個人データを入力して」とiPhoneを戻されて、姓名、パスポート番号、北京での連絡先、健康状態の自己申告、フライト番号、座席番号(後で濃厚接触の判断に必要)などを入力し、送信ボタンを押すとすぐに折り返し『入境健康申告』のQRコードが送られて来た。成田と違って中国では“微信”でやっているので反応が早い。今度は青色だった。有効期限は8月13日、明日までと記載されている。白雲空港での入境手続き用限定版なのだろう。これでやっと奥のロープの中のテーブルに行って検査の受付をしてもらえると期待したが、突然、「今から別の場所へ移動します。全員バスに乗ってください」とのアナウンスが流れた。あと一歩で検査の受付まで進んだのになぜ移動するのかさっぱり分からない、当然理由など教えてくれず。恐らく他の便が到着してこのロビーを使うようになったのか、或いはテーブルのパソコンのシステムが故障したのか、とにかく言われた通りにバスに乗って別の場所へ移動した。

<PCR検査>
大きな空港なのでゲートとそのロビーは山ほどあり、15分ほどバスに揺られて別のターミナルの端にあるゲートで降ろされて、二階のロビーに案内された。先ほどのロビーとよく似た感じで、奥の方にロープが張ってあり中に検査受付用のテーブルが並んでいた。番号を待つように言われ、ロープの外でじっと待っていた。30分ほどして「170番以降の人」との呼び出しがあり、20人ほどがぞろぞろと集まった。PCR検査の受付開始である。順番に空いたテーブルに着席、まずはパスポートを防護服の係員に渡して本人確認、写真をジロジロと眺めている。次に携帯を開いて先ほどダウンロードしたばかり青色の『入境健康申告』QRコードを提示する。係員がコンビニのレジで見るようなQRコードリーダーを携帯にかざすと、ピッと音がして全ての個人データを読み込み、パソコンにてデータ処理されPCR検査申込書が自動的に作成される。姓名、パスポート番号、連絡先、健康状態などが記載された申込書を見せられて、データに間違いないかの確認を求められたので、「はい、間違いありません」と回答する。次にPCR検査に対する何点かの確認事項の確認を求められた。万一体調が悪くなってもどうの、こうのと書いているようだが、ここまで来て今更文句も言える筈がない、当然「はい、大丈夫です」と答える。すると、「ではこの書類に署名してください」と、二枚の書類を出された。言われるままにサインするしかない。書類を渡すと受付が完了、パスポートの裏表紙に今度は白色の四角いシールを貼って戻してくれた。白いシールには”乗客NO. JPN-******" とパスポート番号が表示されており、下段にはバーコードが印刷されている。次に“検体採取所”と看板が出ているテーブルの前で、パスポートを提示すると、バーコードリーダーで先ほど貼られた白いシールのバーコードをピッと読み込む。すると横のプリンターから氏名などが記載されたシールが打ち出され、それをPCR検査用の試験管に貼り付けた。「この試験管を持って検査室へ進んでください」との指示があり、外に出るように言われた。検査室は外にあるようだ。右手にパスポート、左手に試験管を持って、ロビーの外に出ると大きなキャンピングカーのような施設があった、これが検査室である。ドアが四つあり、四室で検査を同時に進めているようだ。右端のドアが開いて「はい、次の人」と呼ばれたのでゆっくり入って試験管を渡す。防護服の検査官がバーコードリーダーでパスポートのシールと試験管のシールをピッと読み込む。 本人確認ができた上で、試験菅から長い綿棒を引き抜いて鼻の奥に突っ込む。話には聞いていたが結構奥に入れられたので少し痛かった。次に別の綿棒(と思う、同じ綿棒かもしれないが未確認)を今度は喉の奥に突っ込んで検体を取った。これも結構奥なので思わず咳をしそうになったが我慢した。薬液には薄荷の成分が含まれているようで検査直後は喉周りがスーッとして爽快感があった。検査官は綿棒を試験管に戻して「これを次のテーブルで提出すれば検査完了です」と試験管を渡してくれた。何でも自分で運ばせるシステムに、手間を掛けずに早いなと感心しながら検査室を出て、ロビー入口に並んだテーブルへ行き試験管を提出する。この時もバーコードーリーダーでパスポートのシールと試験管のシールを読み込み本人確認をやった上で受け取り、医療コンテナに厳重に保管された。シールとバーコードで本人確認を二重三重でやっているので、他人の検体で陽性と言われる事は無いだろうと少し安心して、空港でのPCR検査は完了した。結果は3日後にホテルに連絡される。時刻は22:30 、白雲空港に着陸してから4時間半が経っていた。200人全員のPCR検査を5時間弱で完了できるのが早いのか遅いのか、よくわからないが、とにかく最初の関所を越えて一安心、乗ってきた空港内バスにまた乗って最初の到着ロビーに戻る。

<ホテルへ>
今度は何も待つことなく、すぐに入境検査、イミグレーション窓口へ並ぶ。検査官がパスポートをめくりながら、ビザのページはどこかと質問される。苦労して取った人道主義ビザを探して提示する。両手の指をスキャナーにかざして指紋を取られて完了、預けたトランクのピックアップに向かう。到着から5時間以上も経っているのでとっくにターンテーブルは止まっており、全てのトランクが降ろされて横の通路に無造作に並べられていた。大中各2個のトランクを見つけてカートに載せる。次は本来なら係員がうるさくチェックする税関だが、通路には誰もいない、フリーパスで通る。コロナの時代は人間の体は厳しく検査するが荷物はフリーパス、空港職員は皆コロナ対策に回されているのかもしれない、と思いながら出口へ進む。普通なら予約したホテルへ行く為のタクシー乗り場へ向かう所だが、今回はどこへ行くのか全くわからない。出口に誰か待っているのだろうなと思っていたら、予想通り白い防護服にゴーグルマスク姿の係員が数人待機しており、我々乗客の一群を取り囲んだ。一列に並ばせて人数を数えながら、20人くらいずつで切って、ずらっと並んでいる大型バスに乗り込むように手配をしていた。カートに乗せている大中小各3個のトランクはバスの腹に自分で入れねばならない。これが結構大変、中で転がらないようにしっかりと固定する。荷物が終わるとバスに乗り込むが、乗車ドアの前で防護服の係員が新しいマスクを配っている。分厚いN95マスクだ、これはありがたい。朝からずっと一日中つけていたマスクはもうボロボロ、明日からの隔離生活に備えて真新しいマスクを配布してくれるのは気がきいていると感心した。20名ほどが乗り込んだバスが白雲空港を出発したのは23:00、日本時間の深夜12時、多少眠いがもう少しでホテルだと思い我慢する。携帯のGPS地図を見ると、広州市の北部にある白雲空港からバスは南の市内へ向かっている、よく知った市内の東方賓館や白天鵝賓館など懐かしいホテルなら良いなあ、などと勝手な想像していると、バスは環状道路に入って、市内を通過、珠江の橋を超えて南の荔湾区に入り、あるビジネスホテルの前で止まった。看板を見ると『壹壹商務酒店』とある。勿論来たことがない、初めてである。ロビーに入るとホテルの従業員がこれも全員が白い防護服ゴーグルマスク姿で出迎えてくれた。どうもこの姿が中国でのコロナ防疫関係者のスタンダードになっているようだ。最初は異様な印象だったがここまで徹底されると専門病院に来たようで安心感がある。隔離専門のホテルの為、色々と規定があるようで説明しているが、もう疲労困憊、耳に入らない。とにかく早く部屋に入ってベッドで眠りたい、やっとのことで部屋のキーをもらって部屋に入るともうばったり、トランクを開くこともせず、そのまますぐに寝てしまった。時間はもう翌日の午前1時になっていた。早朝6時に起きてから19時間、長い長い怒涛の一日が終わった。

三、 隔離生活

8月13日、ホテルでの隔離生活が始まった。期間は2週間、14日間である。この国の武漢から世界中に広がり、今や2000万人の感染者、70万人の死者(その後9/18には3000万人と90万人に増加)を出した新型コロナの発症国、そこでの隔離生活である。普通のホテル生活とどのように違うのか、コロナ“先輩国”はどのように感染症対策をやっているのか、その実情をなるべく詳細に記録を残そうと思う。まずはホテルからである。
<隔離ホテル>
広州市内にはコロナの隔離専門ホテルが十数ヶ所あるようだが、どこのホテルに泊まるかは自分で選べない。空港出口で出てきた順番に20名くらいずつのグループに分けられてバスに乗せられたので、全く選択の余地はない。費用は自己負担なので少しでも待遇の良い、高級なホテルを選ばせてくれても良さそうなものだが、感染症対策が最優先で客の希望などを聞いてる場合ではないのであろう、我々グループが到着したホテルは以下である。
住所:〒510380 広州市荔湾区芳村紫荊道63号
名称: 『壹壹商務酒店』 (英文名:E.E. Business Hotel, Guangzhou)
市の南部、珠江を超えた荔湾区にあり中心部から少しから離れている。8階建、ワンフロアには21室あり、我々夫婦二人の部屋は806号室、約30平米位のツィンルーム。壁には40インチの液晶テレビが掛かっている。窓際に小さな机と椅子、その横に低い丸テーブルと椅子が二脚ならんでいる。入り口ドアの右にはロッカー、左には洗面所がある。トイレは洋式、シャワーはあるが、バスタブはない、しかもトイレとの仕切りはなくビニールカーテンのみなのでシャワーの水がどんどんトイレ側に流れていく、中国香港によくある一体型タイプの洗面所である。 

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(ホテルの部屋)
昨晩チェックイン時に、真新しいバスタオルとフェースタオルを各一枚ずつ渡され、「2週間分、交換なし」と言われた。ベッドシーツも枕カバーも2週間交換なし。そう言えば横浜の“ダイアモンドプリンセス号”の乗客がタオル、シーツの交換がないと嘆いていたのを思い出した、コロナウィルス感染症対策の標準なのかもしれない。床には“農夫山泉“のペットボトル飲料水(550ml)が24本入った大きなケースが置かれている。一人1本、二人で2週間分弱の計算だ。その横には大きなビニール袋があり、中にはシャンプー、ボディジェル、歯ブラシ、小歯磨き、ティッシュ、トイレットペーパーなどのアメニティグッヅがまとめて2週間分と思われる量で入っている。ゴミ箱は二つあり、黒色のゴミ専用の薄いポリ袋も2週間分付いている。これから2週間はホテルの従業員は部屋には入りません、自分で新しい水や紙、袋を取り出して使ってください、とのメッセージである。机の上には電気ポットがあり、マグカップも二つあるので自分でお湯を沸かしてお茶やコーヒーが飲めるのが嬉しいが、部屋には中国茶と紅茶のティーパックしかなくコーヒーはない。好きな人は日本からドリップコーヒーを持参した方が良い。こんな部屋が二人で一泊RMB 288元(日本円で約4,400円)、食費は別、ホテルの三食配膳を頼むとRMB80元プラスで合計RMB368元(同、約6,000円)である。14日分で日本円で約8万2,000円、勿論全額自己負担。米国滞在の知人夫婦はロサンジェルスから北京行きフライトに乗ったが(直行便があったらしい)、北京到着後すぐに全員天津へ移動させられて隔離開始、天津の四つ星ホテルで三食付き一泊RMB680元、約1万円との事。またある雑誌で、タイ、バンコックのホテルでやはりコロナの隔離生活を送った人が、一泊三食付きで12,000円、合計18万円だったとの記事を書いており、それらに比べると、広州のこのホテルでの費用は結構安かったのかもしれない。 日本ではダイアモンドプリンセス号の乗客が下船して、千葉県の旅館に泊まって隔離生活を送っていたが、費用は確か国が払ったような記憶(自己負担かもしれない、不明)あるが、今後は自己費用でホテル隔離、とのスタイルが基本になっていくと思われる、ならば事前に費用と待遇を教えてくれて自分で選べるようにしてくれれば良いと思う。

<Wi-Fi>
ビジネスホテルだけあって、現代人に必需のWi-Fiは完備している。我々の806号室には単独のルーターが配備されており、少し部屋代が高いらしい。iPhoneでWi-Fiを探すと確かに”8806”という単独のIDがあり、パスワードを入れるとすぐに最大の扇マークが立ち上がった。二人でiPhone4台、iPad1台、ノートパソコン2台、合計7台の機器を使う為、このWi-Fi環境はありがたい。 実はこのWi-Fiはホテル側と隔離客とのコミュニケーションに重要な役割を果たしている。 チェックイン時に客全員がカウンターに貼っているQRコードをスマホで読み込んで、ホテル内でのSNS ”微信”のグループを作る、我々のグループ名は“壹壹酒店8.12入境観察グループ(20名)”となっている。 8月12日に入国、ホテルに入った20名の隔離客とホテル側関係者(専属医、警備、フロント、従業員など)との連絡は全てスマホで微信のグループ内で行うのだ。勿論部屋に電話もあり内線でホテルのフロントと繋がるが、ホテル側から客への連絡は各部屋に個別に電話するのは大変だし、記録も残らない。何時に検温に行くとか、今から朝食を配るとかの隔離客全員への通知は全てこのSNS “微信”で連絡が入って来る。一方、宿泊客からもトイレットペーパーが足らないとか、読書用のランプが欲しいとか、何でもこのSNSで連絡をとる。 双方向で全ての連絡がとれるし、全員がいつも見ているので漏れもない、しかも直接の対面と会話を防ぐことができる、感染防止上極めて便利なツールなのである。 若い人は仕事もあるが、パソコンと携帯さえあれば、上限なしのネット環境で十分に“テレワーク”ができる。試しに日本の友人とテレビ電話の"スカイプ"をやったが綺麗な画面とクリアな音声で繋がった。”ズーム”はまだ試していないが恐らく大丈夫と思われる。 隔離生活の14日間をうまく乗り越えるかどうかはこのWi-Fi活用にかかっている。但し一つだけ問題があり、中国のネットは国家による巨大なファイアウォールがかけられており、米系のGoogle/Facebook/Twitter/YouTubeはいずれもアクセスできない、日本のYahoo検索も使えない。仕事で必要とか海外の家族との連絡に必要な人は、予め“VPN”と呼ばれるファイアウォールをすり抜けるソフトウェアをダウンロードしておく必要がある。日本の業者だと月1,000円前後で契約すれば流量制限もなく使えるが、時間やネット環境によっては繋がりにくくなることもある。

<健康アプリ>
隔離初日(8/13)の朝10時、上記Wi-Fiの項目で紹介したホテル内の隔離者グループのSNS ”微信” にホテル駐在の専属医から連絡が入って来た。「政府の規定により隔離者は全員健康アプリをダウンロードしてください」と書いてある。あの、成田でも白雲空港でもやらされた、携帯アプリのダウンロードである。今度は広州市内で使用するアプリらしい。少し慣れて来たので、はいはいとダウンロードを始めようかとしたが、空港のように読み込むQRコードが貼っていない、一体どこからダウンロードすれば良いのかわからない。微信で細かな作業要領を説明しているが、複雑でよくわからない。他の若い隔離者達からはすぐに「はいできました!」との回答が次々と画面に出てくる。さて困った、焦り始めた頃に専属医から「日本人は身分証番号がないので別の入力になります、少しお待ちください」と助け舟を出してくれた。部屋で待っているとドアノックの音、専属医先生が防護服姿でやってきた。「携帯を出して、“微信”を開いて」との指示に従う。微信のトップページからポンポンと画面を開いて行き、健康アプリのダウンロード画面に行き着いた。早速インストールして入力を始める。個人の身分証番号入力の欄で、外国人、パスポートを選んで番号を入力するように指示された。この部分が先ほどの助け舟だ、と思いながら、入力を続け完了後に送信ボタンを押す。すぐに返信が届き『穂康嗎』と表記のある、広州市内専用健康アプリの画面が写し出された。青い色をしている。このホテルでの14日間隔離終了後にPCR検査を行って陰性ならば青色のままだが、もし陽性だと赤色に変わるらしい。広州から北京へ行く為の空港や新幹線の駅で、必ずこのアプリを提示して青色を確認しないと飛行機にも、新幹線にも乗せてくれない仕組みになっている。大事なアプリで、まさに通行手形である。このアプリが中国各地で採用されており、居留地で、移動先で、常に提示を求められる。全国一律ではなく、各都市、地域毎のアプリとなっており、地域を跨ぐ度にアプリをダウンロード、インストールせねばならない。滞在地のスーパーやレストラン、病院、ホテルに入るにもこのアプリを提示せねばならないと聞いていたが、実際北京ではその通りだった。QRコードを使って、スマホ・カメラや光学リーダーでピッと読み込めば瞬時で個人データの入出力ができる。誰がいつ、どこからどこへ、何の交通手段で、座席番号は何番、どこのホテルで隔離され、いつ陰性で、いつ離れるか、全てがトレースできるシステムになっている。ある意味では恐ろしい程の監視システムだが、感染症対策の面から見ればこれほど頼りになるシステムはないとも思われる。新型コロナの発症国でありながら、人口14億人もいて、感染者8万人(真偽は不明だが)に抑えられているのは、この携帯アプリによる高度な監視システムと短時間で大量の人間にPCR検査が行える体制が確立されているからかもしれない。

<食事>
部屋から一歩も出れない隔離生活にとって、最も重要で且つ最大の楽しみは日に三度の食事である。ドアの前に赤色プラスチックの小さな物置台が置いておあり、この上に朝昼晩、三度の食事が届けられる。ホテル到着の日に、「食事はどうしますか? ホテル側で三度の食事を配膳できますが、自分で外から出前をとっても構いません」と聞かれ、とりあえずはホテルの配膳を注文した。一人1日三食でRMB80元(日本円、約1300円)、高くも安くもない、中国では普通のレベルと思う。隔離初日の朝8時、微信のグループに、「今から朝食を届けます」とのメッセージが入り、楽しみに待っているとドアがノック、赤い台の上にポリ袋に包まれた朝食が載っている。部屋には食事用のテーブルと椅子が有るので、その上で袋を開くと中身はお粥と菓子パン3ヶのみだった。『食在広州』と言われるほどのグルメの街がこの朝食ではちょっと期待はずれだった。昔、香港や広州出張の折には朝食の“飲茶(ヤムチャ)”が楽しみで本当に美味かった事を思い出す。お昼には、鳥肉の筑前煮、豚肉炒め、辛子レンコンとご飯、スープが配膳されたが、美味しくない。夜は広東サラミと菜っ葉の炒め物、ピーマン豚肉炒め、茶碗蒸しなどが届いたが、これも味がもう一つ、こんな食事ではとても14日は持たない。妻と相談して、ホテル側の三食配膳は即日キャンセルし、翌朝からは自分で好きな料理を近所のレストランから出前で注文することにした。ホテル側も良く知ったもので、「はい、わかりました。但し感染症対策の為に出前業者はホテルには入れません、入り口で受け取り後はホテル従業員が部屋の前まで届けますので、注文の際は必ず部屋番号を明記してください、注文が終われば微信で報告してください」との回答あり。なるほど外部の出前業者はホテルの中には入れないので入り口に置いていく、それをまとめてホテル従業員が各部屋の前まで届けるた為、注文伝票に部屋番号が書いてないと困ると言う訳だ。後で分かったが、他の地域の隔離ホテルでは感染症対策から出前を認めていないらしい、確かに日本でも聞いたことはない。『食在広州』の面目であろうか、このホテルの特殊サービス(?)に感謝する。

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(出前で注文、ホイコーロウとエビのチリソース)
中国での出前は全て携帯で完結する。“美団”とか“大衆”などの出前専用のアプリをダウンロードして、画面から好きなお店で好きな料理を選んで注文、支払いも携帯で先払いする。あとは街中の配達業者がお店で受け取り、電動バイクに乗って直ちに配達してくれる。配達料は一回いくらと決まっているが、それも注文時に先払いしているのでお客は別に払う必要はない。”Uber Eats”の中国版である。この出前アプリが面白いのは、ユーザーが現在いる位置情報を確認し、その近所のお店を自動的に画面に出してくれる。北京で使っていたアプリが、何の変更もせずに、ここ広州の隔離ホテル近辺に飛んで来て、近所のレストランや食堂を紹介してくれる。こうして隔離2日目からは出前料理に切り替え、美味しい広東料理を毎日エンジョイできるようになった。あちこちのお店から幅広く選べる上にホテルより格段に美味い、値段は少し高いが合理的な範囲である。しかし今度は別の悩みが出て来た、どうしても食べ過ぎるのだ、その上狭い部屋の中では運動不足、これでは健康に悪いので途中から1日二食として、朝と夜、または昼と夜にして、好きな料理を少なめの量で注文に変更した。隔離中の思い出となった料理の名前を記録しておく。主に広東料理だが四川、上海、北京の料理も含まれる。日本語の名前がわからない為に、中国語で記録する。
<隔離生活中の主な中国料理、全て出前>
皮蛋瘦肉粥,什锦肠粉,油条,豆浆,虾饺,凤爪,春卷,小笼包,茶叶蛋,
馄饨,煲仔饭,绿豆粥,红烧肉,蜜汁叉烧,手撕鸡,水饺子,馄饨面,
蚂蚁上树(肉末粉丝),清炒芥蓝,清炒芹菜,腊肉蒜苔,竹笋菜花,玉米饼、
干煸四季豆,八宝粥,咸蛋,烧茄子,拍黄瓜,酱油炒饭,三杯鸡,粽子,鱼香肉丝,豆角腊肉,葱饼,肉饼,清蒸鲈鱼、干炒牛河,红豆沙羹,鱼香茄子,等等

<便利グッヅ>
今回の隔離生活を元に、もし他の日本人が自分と同じように中国のどこかのホテルで隔離生活を送るのであれば、こんなグッヅを持参すればもっと便利で、豊かな隔離生活を送れるであろうと思われる商品を紹介したい、小さなノウハウである。
1)  使い捨てブリーフ(男性用): ダイソーで売っている、5個入り百円。3個買えば15日分、使い捨てで洗濯しなくても良い、荷物も減る。
2) 洗濯粉; ホテルではクリーニングサービスがない。毎日下着やシャツを洗濯せねばならない。旅行用の洗濯粉があれば便利(石鹸はあるが小さい)、洗濯物を干す為の“洗濯ヒモ”もあれば便利。
3) 歯ブラシ、歯磨きチューブ; ホテルの備品はあるが、ブラシは粗雑、歯磨きチューブがミニサイズ。自分用を持参すれば毎日が気持ちよく歯磨きできる。
4) スリッパ: ホテルに備付けのビニールサンダルがあるが、水虫が怖い。使い捨ての薄い紙製のスリッパもおいてあるが二日と持たずにボロボロになる。マイスリッパを持って来た方が良い。
5) パック入り醤油:毎日の出前料理は味が薄かったり好みに合わなかったりする。ちょっと日本の醤油をかければたちまち和風料理に変わる。ポン酢や塩、胡椒もできれば適量持参したい。好きな人はマヨネーズ、ケチャップの小パックも良いかもしれない。
6) ドリップコーヒー;ホテルに湯沸かしポットがありマグカップもある。中国茶や紅茶のティーパックは備えられているが、コーヒーはない。14日分のドリップコーヒーを持参すれば、毎日の中華料理の食後にゆっくりと香り豊かなコーヒーがエンジョイできる。隔離中の至福の時である。ブラックがだめで砂糖とクリームも必要な方はこれもお忘れなく。
7) インスタント味噌汁;中華のスープは味が薄い、時々日本の味噌汁が飲みたくなる。お湯はあるので注ぐだけ。 好きな人はカップヌードルやカップ焼きそばを持参しても良い。
8) ふりかけ:白ご飯は日本とほとんど変わらない、中華に飽きたらご飯にふりかけで十分。
9) ポケットウィスキー; 隔離中は禁酒禁煙である。タバコはともかく、ビール1本も飲めないのが辛い。出前のメニューにもお酒はない。そうとわかれば成田空港で“シーバス”のポケット瓶を買ってくるのだったと後悔しきり。 コロナとお酒の関係は良く分からないが、寝る前のナイトキャップくらいは許してくれるだろう、是非とも欲しい一品である。
10) ヨガマット; 部屋から出れずに運動不足になるので、毎日の体操は必須項目。 特にストレッチは床でやる為マットが欲しい。 荷物になるなら薄いビニールシートでも良い、とにかく部屋のカーペットは汚いので、直接上で転がる事は避けたほうが良い。
 11) セロテープ; 亜熱帯の広州、ホテルのエアコンはガンガン聞いているが、就寝時は体が冷えすぎてしまう。 スイッチを消すと暑くて眠れない。そこでエアコンの吹き出し口をビニールシート(或いはポリ袋)で一部を覆って吹き出し口を小さくする。その作業にセロテープが役にたった。
12) 筆記具; 不特定の客が触る為か、部屋にはボールペンなどの筆記具が一切おいていない。書類記入やサインを求められることもあり、自分の筆記具がないと不便だし借りると不衛生。
13) マイ箸、マイスプーン; 出前を頼むと箸とスプーンは必ずついてくるが、竹の箸は細くて小さく持ちにくい、スプーンはプラスチックの粗悪品で弱々しい。 マイ箸とマイスプーンを持参すれば、毎回の食事が楽しく豊かになる。
14) マイタオル; ホテルから新品のバスタオルとフェースタオルを一枚ずつ渡されて、14日間交換なしと言われた。バスタオルはともかく、フェースタオルの予備や手洗い専門のタオルは欲しい。シャワーの際に使うナイロン製の石鹸タオルもあれば爽やかとなる。
15) 三口電源アダプター:電源コンセントは部屋に三ヶ所あるが、スマホにタブレット、パソコン、更にはブルートゥース・イヤホンなど、充電する機器は多いので、タコ足用の三口アダプターがあると便利。三口タップがついた電源接続コードでも良い。中国の電源は220Vなので注意を要する。

<体操・室内ジョギング>
14日間部屋を一歩も出れない為、どうしても運動不足になる。更には美味しい広東料理の毎日で食べ過ぎの嫌いがある。ここで全く運動しなければ歩行能力が退化して、ホテルを出てから一歩も歩けなくしまうのではないか、との精神的恐怖にも襲われ始めた。日本でコロナ禍の“ステイホーム”時期にも、自宅での体操や付近の野川でのジョギングをやっていたので、その延長線として、隔離3日目から部屋の中での体操とジョギングを毎日する事にした。更に規則正しくやる為、以下のメニューと目標を作って始めた。
<時間> 午前に体操、午後にスロージョギング、各1時間以上
<距離> 午前午後合計で1日一万歩以上、(約5Km)
 GPSが使えないので正確な距離はわからず。愛用のFitBit腕時計とiPhoneの歩数計でカウントする。
<体操> ストレッチと筋肉トレーニングを混ぜて全アイテム合計で1時間。
1. 腰、手、足の回転、ストレッチ (20分)
2. スクワット (10秒x3)
3. 腰、背骨の運動(背中転がり) 100回
4. 腕立て伏せ (20x3回)
5. 腹筋 (15x3回)
6. 正座 (5分)
7. 膝歩き (100歩)」
8. 足振り (200x2回)
9. 足首振り (100x2回)
10. その場飛び (8x4回)
<スロージョギング> 1時間、10,000歩以上。
部屋の中を隅から隅まで小走りでゆっくり走る。膝を痛めないようにつま先で着地する。着地の衝撃をふくらはぎの筋肉で受ければ膝に衝撃は伝わらない、と以前本で読みそれ以来ずっとこの方法で走っているが、確かに膝が痛くならない。ふくらはぎは第二の心臓とも言われ、体の水分を貯めたりする重要な働きをするらしい、その部分がつりそうになるくらい、毎日つま先だけで1時間小走りで走る。
歩数と時間は愛用のFitBit腕時計で見るが、同時にiPhoneの健康アプリでも歩数を測る。これは腕を振る運動の為とイヤホンで音楽を聞きながら走る為でもある。 結構汗が出て最後はシャツがびしょびしょに濡れるほどになる。ある日、ちょうど走り終わった時にホテルの検温があり、測ったら体温が34度しかなかったので驚いた。係員は「発熱じゃないから問題なし」と許してくれたが、汗をかけばかくほど体温が下がることを、こんなことで発見した。 

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(ホテルでの検温、毎日午前午後の二回)
隔離3日目から最終日まで1日も欠かさず12日間続けた。体重計がないので測れないが、増えてはいないと感じる。 好きなだけ中華を食べての結果なので、良しとする。この習慣は北京に行っても是非とも続けたい。

<読書・映画>
隔離生活での食事と並ぶ最大の楽しみは読書と映画である。読書の方は本が重いので余り持参していない為に、午後のひと時少しづつ読み進める。出発前に長女にもらったハードカバーの分厚い小説は隔離7日目で読了してしまった。文庫本があと3冊あるが、北京行きの機内と北京到着後に備えておきたい。若い人ならネットから携帯にダウンロードして読むのだろうが、年のせいか、慣れていない為か、どうしても携帯の画面で本を読む気にはならない。従い、後半7日間は映画の方に専念する。実は今年2月、コロナ騒動の折、北京でもロックダウンがあり外出禁止、自宅待機となったが、その時期にネットで「自宅で名作を見ましょう」と映画の配信サービスがあった。合計70本ほどの作品が全て無料で見れる、著作権にゆるい中国ならではのサービスだが、大量にある為一気には見れない、まずはリンクを自分の携帯にダウンロードしておいて、あとでゆっくり見ようと思っていた。それが今回大いに役に立った。前々から、聞いたことはあるが見たことは無いとか、是非もう一度見たかった名作を選んで、隔離の部屋でベッドに寝転がる、毎晩の名作劇場である。iPhoneを目のまん前に持ち、イヤホンを付けてボリュームをあげる。結構大画面(携帯でも目の前に掲げると大きく見える)、大音響で映画館の個室ソファーに座っている感覚になる。隔離中毎晩見たが、そのうちの何本か感動した作品を記録しておく。まだ半分も見終わっておらず、残りは北京で引き続き名作劇場を楽しみたい。
1. 『西部戦線異常なし』(1938年米)‘17年独仏戦争の前線が舞台の反戦映画。
2. 『カサブランカ』(1940年米)イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードの往年の名作。
3. 『WATERLOO BRIDGE』(1940年米) 邦名『哀愁』ビビアン・リーとロバート・テイラーの往年の名作。
4. 『テルマ&ルイーズ』(1991年米)スーザンサランドンの殺人ドライブ旅行。5. 『NO MAN’S LAND』(2001年米)‘90年ボスニア内戦が舞台の反戦映画。
6. 『ラブレター』(1995年日本)中山美穂の二役、恋愛回想の物語。
7. 『MIDWAY』(2020年米)‘42年6月の日米大海戦、日本が空母4隻を失う。
8. 『FRANTZ』(1980年仏)‘18年独仏戦争直後のドイツとパリの恋愛物語。
9. 『ハクソー・リッジ』(2017年米豪)‘45年4月沖縄決戦の米軍側の記録映画。10. 『アルキメデスの大戦』(2019年日本)巨大戦艦・大和の建造をめぐる陸海軍内部の物語。

四、 隔離解除

<第二回目PCR検査>
8月26日 隔離14日目、最終日を迎える。ホテル生活も長かったようで過ぎると早いもの。早朝06:20に起床、歯を磨いて洗顔、空港での検査に続いて第2回目のPCR検査に備える。午前7時丁度にドアノックあり、開けると防護服姿の検査官が2名立っている。手に宿泊客のリストを持っており、氏名とパスポート番号、部屋番号が間違いないか確認される。本人確認が終わると助手がラベルを試験管に貼り付け、検査医が長い綿棒を口の奥に突っ込んで検体を採取する。1回目の検査の時は鼻の奥の検体も取られたが、2回目は何故か喉の奥のみだった。助手が丁寧に綿棒を試験管に戻して医療用コンテナに収納する。検査の結果は12時間後、夜の7時頃に判明するので、それまでは部屋で待機するように検査官に言われて、また部屋に戻る。もし2回目も陰性結果がでれば晴れて隔離が解除され、ホテル専属医から陰性証明書を発行され、携帯アプリにも登録され表記が青色になる。この事務処理に約4時間ほどかかるので、夜11時過ぎに隔離解除となる。 隔離者20名のうち、半数ほどは夜中の鉄道やバスで移動するようで、深夜12時にホテルチェックアウト予定と微信で報告している。残り10名ほどは明日早朝の06:20 にホテルチェックアウト予定との報告を入れている。隔離解除となっても、勝手にバラバラとホテルを出ていかないように厳しく管理しており、今晩夜中の出発か、明日早朝の出発か、どちらかしか選べない。というのも、このホテルは新型コロナ隔離専門のホテルなので、ひっきりなしに空港からのバスが到着していて、万一にでも新しい隔離対象の客と隔離が完了した客がロビーやホテル内で交差、接触してせっかく陰性結果が証明された人間がまたも感染してしまうのを防ぐ為らしい。なるほど言われてみればその通りであり、新しい隔離客が来ないうちに二班に別れてこっそり退散することになった。
今晩の検査結果が出るまでがドキドキなのだが、いくら心配してもどうしようもない。平常通りに部屋で最後の隔離生活を送るしかない。いつもより丁寧に時間をかけて午前中の体操をし、昼食は水餃子と中華饅頭、野菜スープの出前をとる。食後少し休んで室内ジョギングを始める。約50分、部屋の中を小走りで動き回り、大体1万歩になる。汗をかいたのでシャワーを浴びて着替えをするが、これで最後と思うと気持ちも軽い。ホテルの備品以外の自分用のシャワー用品全てを綺麗に拭いてトランクに詰める。いよいよ帰り支度開始である。着替えや洗面道具など、部屋中に散らばっている小物を整理して大中小各3個のトランクに詰め直す。
18:10 予定より少し早めに専属医(黄医師)から隔離者グループへ微信が入ってくる。「PCR検査の結果は全員陰性でした、これより隔離解除の手続きを開始します。事務処理が終わるまでもう少し部屋で待機してください」との内容である。 良かった!全員が陰性で良かった!一人でも陽性者がいると、誰が濃厚接触者かの特定ができない為、20名全員がまたもや14日間の隔離生活となるのである。晴れて全員が隔離解除の対象となり、ホテル内は急にざわついてきた。本来今晩の夜中24:00と、明日の早朝06:20の二組しかないはずの出発予定者の中から、「緊急の用事があるので、今すぐに出発したい」との希望者が出て、それにつられて他の人間も今すぐ出たいと騒ぎ出した。14日間の閉塞生活から解放されすぐに外に出たい気持ちは理解できるが、ホテルが決めたルールが形無しとなる。結局、個別に黄医師と相談して、2-3名が19:00頃にホテルを出て行った。恐らく陰性証明書さえ貰えば、あとは何とかなる現地の人だろう。空港や駅へ行く人間は手続きが全て完了しないと動きが取れない為、残り全員は夜中か早朝の出発まで待機する。我々二人も携帯で明日(8/27)午後の北京行きフライトを予約していたので、今頃出て行っても今晩の宿に困る。予定通り、明日早朝の出発までおとなしく部屋で待つことにする。少し遅めの簡単な夕食(緑豆粥、漬物)の出前を取って、まだまだ時間があるので、ベッドに寝転んで映画を見る。隔離最後の日なので一番好きな『ローマの休日』(1953年米)を選ぶ。グレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンの往年の名作。3回目だが何度見てもヘップバーンの美しさに魅了され、毎回新鮮なシーンを発見する。今回は王女が美容店で長い髪をショートカットにするシーン、美容師が少しずつ、これくらい?これくらい?と遠慮がちに聞くが、王女はもっともっと、と指示し最後はバッサリとショートカットにしてしまう。最初王女の髪型は肩まである清楚な女学生スタイルだったが、カツラをかぶっていたのか、撮影用に本当に長い髪を切ってしまったのか、新しい疑問が湧いた。最後の記者会見での再会と別れのシーンには何度見ても感動させられる、名作中の名作と思う。
こうして、隔離最後の1日が終わった、過ぎて見ると早いものである。最初は一体どうなることかと不安と心配だらけだったが、なんとか夫婦二人でワイワイガヤガヤ相談しながら乗り越えることができた。仕事で来て通訳もいない日本人や、文句ばかり行っている中国人、子供3人を抱えたママなど、色々な人がいたこのグループだが、結局20名全員が陰性で同時に隔離解除となった。短い期間ではあったが、共同で仕事を成し遂げた同志のような気持ちも湧いてきた。人生で滅多にできない経験ができ、良い思い出となった。

<広州出発>
8月27日 早朝05:30起床、遂にホテル出発の夜が明けた。洗顔後に携帯や充電器をしまって、最後の荷物整理、トランクのロックをかけベルトを締めて準備完了。すぐにもロビーにおりて行きたいが、万一新隔離者がいると大変なので、内線でホテルの受付に確認をすると、「06:20までは部屋から出ないように」との厳しい返事でやむなく部屋で待機。待つこと30分、約束の時間になってようやく部屋のドアを開け荷物を外に出す。ルームキーカードを差込口から取り出して手に持つ。ドアはすぐに消毒できるように開けたままにしておく。通路をトランク押しながら歩くのは14日振りである。周りの部屋からも同じ時間帯出発組の客がぞろぞろと出てきた。これも14日振りのエレベーターに乗って一階で降りると来た時と同じ、ビニールシートであちこちが覆われている物々しい雰囲気のホテルロビーである。まずはカウンターでルームキーを返却してチェックアウト完了、部屋代は昨日の内に、携帯アプリの”微信支付“でキャッシュレス支払いが完了している。ホテル側の要求で、できる限り隔離客との接触を減らす為と、当日のチェックアウトカウンターでの混雑防止、迅速処理の為に事前に支払いを求められていた。次はカウンターの横にテーブルがありそちらに進む。ホテル専属医が座っており書類の山を持っている。テーブルに着席すると氏名とID番号(パスポート番号)の確認があり、本人確認後に医療機関発行の下記二種類の証明書を手渡された。いずれも中国語で発行医療機関の記名押印がある。

(1) 『集中隔離医学観察の解除通知書』 
MR. ****** (PASSPORT NO.*****)は、<中華人民共和国伝染病防治法>の規定及び衛生健康機関の評価決定に基づき、2020年8月26日 18時50分に、集中隔離医学観察(隔離開始時間は2020年12日 18時50分)を解除されたことを通知する。PCR検査の結果は下記;
 第1回目検査: 2020年8月12日、結果 陰性。 検体採取者 広州税関
    第2回目検査: 2020年8月26日、結果 陰性。 検体採取者 広州造船病院
広州造船病院 2020年8月26日

(2) 『広州華銀医学査中心検査報告書』
姓名: ****** ID番号:*****
新型コロナウィルス核酸検査 結果: 陰性(-)  (検査方法 FQ-PCR)
検査指標: ORFlab: 陰性(-)   N基因: 陰性(-)
広州華銀医学検査中心 2020年8月26日

二枚の書類の受け取りサインをして、全てが完了、ついにホテルの玄関から一歩を踏み出した。 なんだか刑務所から出所するような気持ちである。 俗に言う“娑婆のお天道様”を拝めるのが本当に嬉しい、何気ない日常が14日間失われた後にまた戻って来た、如何に普通の日常生活が貴重で幸福なものかをしみじみと味わった。 亜熱帯広州の太陽の光線を、窓越しではなく直接に浴びて暑さを感じる。 携帯で空港へのタクシーを呼び出し、待ち時間にホテルの前で記念撮影をした。

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(ホテルの前で)

07:00 ホテルからタクシーに乗って出発、白雲空港まで約50Km、高速道路を走って40分で到着。本来ならば空港の出発ロビーには多くの入り口が道路と並行して空いている筈だが、一ヶ所しか空いていない。その狭い入り口の前で多くの中国人客がたむろして携帯を操作している。例の健康アプリをダウンロードしているようだ。看板が立っていて、空港に入るものは『穗康码』(広州市のアプリ)或いは『粤康码』(広東省のアプリ)のどちらかをダウンロードして青色証明がなければ入れない、と書いている。おー、これだ、この日の為に14日間隔離生活でやっと入手した『穂康码』を携帯から出して係員に見せる。(この画面にたどり着くまでに一苦労するが) 青色になっていて、日付と有効期限が本日8月27日と記載されている。係員がしげしげと確認してやっと中に入れてくれた。健康アプリがないと飛行機に乗れないどころか空港にすら入れない事を体験した。北京行きのフライトはCA1352便、12:40発、中国国際航空のチェックインカウンターはC—Dであることを確認して、まだ時間があるので朝食をとることにしたが、この巨大な空港内のレストランがほとんど閉鎖されている。コロナの影響だろうが、折角の広州最後の朝食は美味しい“飲茶”を食べたい。案内所で聞くと地下鉄で2駅行くと『人和』という街があり、美味しい飲茶の店が沢山あると教えてくれた。早速トランクを一時預かりに保管して、地下鉄の乗り場へ行くが切符の自動販売機の操作がよくわからない。それに歩いてお店を探すのも難儀なのでタクシーでゆくことにして、空港出口のタクシー乗り場へ向かった。タクシーが何十台も並んでいるが客は一人も並んでいない、これもコロナの影響だろう。すぐに乗り込んだが、運転手は行き先がすぐ近所の『人和』と聞いて驚き、「朝からずっと5時間も待っている」と文句を言い始めた。この手の運転手にはチップを弾むことで話がつくので、お店の案内までお願いして結局35元のメーターに対して100元を払った。10分ほどで「人和」の街へ到着、チップのおかげで運転手さんが必死で探してくれた『嘉錦早茶』というお店で広州最後の美味しい飲茶をエンジョイできた。メニューは大好物の“皮蛋瘦肉粥“,”叉烧肠粉“,”风爪“など。満腹後にまた携帯でタクシーを呼び出し空港に戻る。北京もそうだが、中国ではタクシーは殆ど流しでは捕まらず、携帯のアプリから呼び出しすればすぐに捕まる。行き先も値段もあらかじめ携帯に表示されていて、支払いも携帯でできるキャシュレス、運転手と客の双方にとって便利なツールである。白雲空港ではまた一ヶ所しかない入り口から入る、今度は慣れた手口で『穂康码』を係員に見せて中に入り、一時預かりの荷物を受け取りチェックインカウンターDに向かう。既に20mほど並んでおり約30分ほど待ってカウンターで搭乗手続きを開始する。トランクを預けて座席を通路側に指定して、マイレージを登録してこれで完了と思ったら、最後に「PCR検査証明書を出してください」と要求された。 空港の入り口に続くチェックインカウンターでのダブルチェックである。 しかも今回は携帯アプリではなく、医療機関発行の検査証明書を見せろ、との要求である。 早速、今朝ホテルでもらったばかりの二種類の証明書を提示すると、係の女性が丁寧に携帯カメラで撮影していた。 ホテルで我慢した甲斐があった、この書類がなければ北京行き飛行機に乗れないところであった。 搭乗手続きが完了して、あとは普通のパスポートチェックと安全検査を通過して、搭乗口のB204ゲートへ向かう。途中のお店も半分ほどしか開いていないが、北京へのお土産用に広州名物の“鳳梨酥”(パイナップル菓子)を買う。
12:10定刻でのボーディングが始まる。中国国際航空1352便はボーイングのB787-9型機、成田からの南方航空便と違ってキャビンアテンダントは白色防護服を着ていない、いつもの制服姿でマスクをつけているのみであった。しかも座席に食料ポリ袋が置いていない、ドリンクと食事のサービスがありそうだ。確かにあれだけ空港での検査が厳しくて、論理的には国内フライトはコロナ感染者の乗客がいないとの前提である。万一に備えてマスクはしているが、座席もほぼ満員だし客との会話も普通の距離で、濃厚接触を避けている風でもない。但、座席の前の画面で映画は観れるがイヤホンは配っていない、これは来た時と同じなので、iPhone6のイヤホンを差し込むと音が聞こえた。今後中国の飛行機に乗るときはこの旧モデルiPhone用イヤホンは必携品だと思われる。機内食を食べ、コーヒーを飲んで映画を観ているうちに北京首都空港への着陸体制へ入った。広州を出て約3時間のフライトである。

五、 北京到着

<北京空港>
15:50定刻より少し早めに北京首都空港へ着陸した。日本を出て15日目の午後である。感慨深くタラップを降りて、バスに乗る。到着ロビーは特に変わった様子もない。着陸前に機内で「北京へ入る乗客は全ての人が健康アプリを携帯にダウンロードしてください」との放送が流れていたが、どうせ到着ロビーで強制的にやらせられるのだろうと、特に何もしていなかった。そのままずっと進んで(国内便なのでパスポートもビザの検査もない)荷物引き取りのターンテーブルまで来た。途中で通路の張り紙に「北京到着の皆さんは健康アプリの“京心相助”をダウンロードしてください」と書かれてはいるが誰も何かやっている節もなく、係員や検査官が立っているわけでもないので、そのまま進んで来たら荷物の場所に到着した。トランクを取って出口に向かうが、流石にこのまま出て良いのかどうか不安になってくる。万一、北京の健康アプリを持たずにどこかの検査で引っかかってしまって、またも隔離などと言われたら元も子もない。折角ここまで来たのだから、慎重を期して出口で、怖い顔している係官に「携帯に健康アプリをまだダウンロードしていないのですが…」と正直に質問したら、親切に15分ほどかけて教えてくれた。 しかし外国人パスポートなので、一般の中国人ID番号を対象としたアプリには直ぐに乗らないことが判明、一旦自宅へ戻り、住居の管理委員会へ聞いてください、とのご指導となり、結局そのまま、健康アプリなしで空港出口まで行き、タクシーに乗って帰宅した。広州空港ではあれだけ周りに囲まれて一歩も勝手に動けなかったが、北京空港ではすーっと出口まで出て来れたのには少し驚いた。途中に関所がないのだ。 だがよく考えてみれば、北京に入ってくる人間は全て外地で隔離14日間を過ごし、検査で陰性の者だけが入ることを許されているのだから、論理的には誰も感染者がいないとの前提で、関所を設ける必要はないのかもしれない。いずれにしろ、なんとか無事に半年振りの我が家へ到着した。朝が早かったので二人とも疲労困憊、広州で慣れた出前のアプリを開いて近所の台湾料理店から“三杯鸡”と“萝卜汤”の出前を取って早目に休んだ。

<健康アプリ・「北京健康宝」 (Health Kit)>
8月28日、住居を管理している“物業管理委員会”に行って、健康アプリをダウンロードする方法を教えてもらった。まずは微信を開く、これは広州と同じだがその先が違う。黒いファイルから一枚の紙を取り出し、北京の天壇の模様が書かれている模様をスキャンするように指示される。これが外国人専門のアプリなのだが、昨日はわからなかった。携帯のカメラでスキャンすると個人データを入力する画面が出てきて、姓名、パスポート番号、日本の滞在地(東京)、中国の滞在先(広州・北京)など入力、最後にパスポートの顔写真ページを開いてスキャンして完成、送信ボタンを押すと、折り返し自分の携帯に「北京健康宝(Heath Kit)」というのが表示され、青色になっていた。スキャンしたパスポートの顔写真が一番上に表示され、下段には氏名、パスポート番号、今日の日付と今の時間、有効期限(今日の24:00まで)が記載されている。この携帯アプリをこれからどこへ行くにも持参せねばならない。行き先へ到着後この健康アプリを起動して、入り口ゲートに貼られているQRコードデータを読み込めばポンと青い色の画面が出てくる、これは相手に自分が感染していないことを証明すると同時に、訪問先の場所と時間のデータが瞬時にアプリに記録される仕組みになっている。万一、どこかでコロナの感染者が出た場合、その時期にその場所にいた人間がデータ分析で追跡され、その人間の健康アプリが赤色に変わるのだ。恐ろしいというか、安心というか、そこまでやるか、という印象の”北京健康アプリ”である。勿論他の中国各地のアプリも同様である。
午後、早速このアプリの入った携帯を持って、義母が入院している病院へ行った。入り口は一ヶ所、一列に並んで一人づつ携帯をチェックされる。当方の健康アプリの青い画面を見てを見て「これは違う」と騒ぎ出した、確かに中国人用のアプリと画面の顔写真の部分が少し違うのだ。ここで怯まずに「これは外国人用のアプリで、写真はパスポートのものです」と説明したら、もう一度見直して、渋々通してくれた。これからずっとこんなやりとりが続くのかと思うと気が重い。広州で入力されたデータは北京まで届いているようで、ずっと青色のままであるが、万一どこかで感染者が出ればいつ赤色に変わるとも限らない。自分の周りで新しい感染者が出てこないことを祈るのみである。ビッグデータと背中合わせの北京での生活が始まった。

8月31日 午後、義母の入院している病院へ見舞いに行く。 28日に続いて2回目である。エレベーターで4階に登り、ICU(集中治療室)へ入る。見舞い用看護服を羽織り、ビニール製の靴カバーを履いて一番奥の部屋へ入る。義母は右端のベッドに寝ていて、口と鼻に呼吸用のチューブが取り付けられているが、外れないように絆創膏で貼り付けられているのが痛々しい。横には血圧、心拍などの医療モニター画面が置かれ臓器の動きを刻刻と表示している。前回は目をつぶったままで全く反応はなかったが、今日は妻が手を握ると目をパッと開き、体をねじるようにして、何かを言いたいような動きがあった。声は出せない、目も開いているが動いていない、しかし何かを言おうとしている。恐らく「やっと帰ってきたの、長い間待っていたのよ」と言いたいのであろう。生きているうちに会えて良かった。妻は手を握りながら「もう、どこにも行かないよ、ずっとそばにいるから安心して」と囁き続けている。この日の為に広州で14日間も我慢してきた。この瞬間、隔離生活の苦労が一気に飛んで消えた。

2020年9月19日 於北京

(完了)





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