コラム2 ヨーロッパで移民受け入れは失敗したの?
「移民を受け入れた結果、失業率が高くなり、犯罪も増えて、テロまで起きるようになったではないか。つまりヨーロッパでは移民受け入れに失敗したのだから、日本も受け入れるべきではないのだ」という主張があります。そうなのでしょうか?
確かにフランスの場合、移民は失業率が高く、貧困層に集中しがちです。貧困が犯罪の要因になるのも事実であり、結果として移民の犯罪率が高いのも事実です。全人口における外国人の比率は約6%ですが、投獄されている人の約20%は外国人です。
しかし、外国人のほうが警察の職務質問を受けやすく、その結果逮捕されやすいことは知られています。何よりも、犯罪は、その人が「移民だから」犯した、という理由では説明できません。統計的にみれば、階層や学歴、ジェンダーなど、その他の社会的要因のほうが関係します。
また、移民がいなくなれば、ヨーロッパから底辺層がいなくなって、失業も、犯罪も、テロもない、ミドルクラスだけの豊かな社会になるのでしょうか。そんなはずはありません。どの社会にも、その国の社会保障や教育制度によって、程度の差こそあれ、格差と貧困は存在します。そして移民が、政府の無策のしわ寄せを一手に引き受けさせられています。移民がいなくなったら、もともとヨーロッパに出自のある人たちが底辺に移動させられるだけのことです。
つまり、政府が貧困や格差といった社会矛盾を解消する政策を放棄した結果を、移民は、受け入れ国の国民の身代わりになって引き受けているのです。格差と貧困をなくすための政策にまじめに着手しないかぎりは、移民を締め出したとしても、今は「移民のせいだ」といって放置できている社会問題はなくなりません。移民がいなくなったら、別の人びとが社会問題の責任だとして、糾弾の対象となるだけのことです。差異を理由にしたマイノリティ差別の正当化は、現在のような移民が存在しない昔から、支配者の常套手段でした。
ヨーロッパでは、「移民だから」という理由で、差別し、排除する制度は人種差別であるとして、なくす努力をしてきました。移民出身者が少ない職種や職業上の地位へのアクセスを保障する制度も模索されてきました。結果として、政治家や閣僚、官僚、企業の管理職といったエリート層にも移民出身者は存在します。
日本の場合も、まず、移民の社会統合を阻むような制度的なハードルを取り払ってみることが必要です。たとえば、現在のパリ市長アンヌ・イダルゴの両親は、1960年代にフランコ政権下のスペインからフランスに移民してきた労働者とお針子であり、本人はスペインとフランスの二重国籍者で、移民や難民にリベラルな立場をとり、政府と対立しています。日本も移民の社会統合政策にまじめに取り組めば、そんな東京都知事が誕生する日も近いかもしれません。