13 政策に「複合差別・交差性」の視点を
フィリピン国籍のジェーンは、母国では看護士をめざして学んでいましたが、経済的な事情で大学を続けることができず、働くために来日し、出会った日本人男性と恋愛して結婚しました。最初はとてもやさしく思えた夫は、ジェーンが妊娠した頃から変わっていきました。外出を細かくチェックされるようになり、家事や育児のこまごまとしたことで「おまえは、何でいつもできないんだ!」と叱られ、そればかりか、「フィリピン人、貧乏人」などと、同胞や自分を侮辱する言葉を浴びせられるようになりました。少しでもジェーンが言い返すと、「いやなら国に帰れ!」と激怒され、殴られるなどの暴力まで受けるようになりました。小さい子どもを抱え、日本語もまだ十分でなくて、誰に助けを求めたらよいのかもわからず、恐怖に怯える生活が続きました。しかし、ジェーンの頭がバットで殴られるのを見た娘のミカが大声で泣き出したとき、「このままでは二人とも生きていけない、逃げよう」と決意し、なんとか県のシェルターにたどりつき、DV被害者として保護されたのです。
でも当時のジェーンは、自分が置かれていた状況や、不安でいっぱいで混乱している気持ちを、シェルターの職員に日本語で正確に伝えることができませんでした。「離婚して母国に帰ったほうがよいのでは」という職員のことばに、フィリピンには帰れない自分の事情を理解してもらえていないのだと感じ、とても傷つきました。
その後、調停や裁判をへて、夫との離婚が成立しましたが、失業している夫からは養育費の支払いはありません。ジェーンは、生活保護などの支援を受けながら、同胞がたくさん働くお弁当工場でのパートの仕事を始めました。介護の仕事にも興味があるものの、日本語の読み書きができない今のままでは、転職はむずかしいのが実情です。一方で、重労働にもかかわらず時給も低い工場の仕事を、いつまで続けられるだろうかと、将来の生活にも大きな不安を抱えています。
◇◆◇
ミカは、小学校高学年の頃から学校に登校できなくなる日が増え、中学2年生になると、完全に不登校になりました。後からわかったことですが、ミカは、小学校のころから「肌の色が浅黒い」とか、「フィリピン人のお母さんの日本語がへん!」など、さまざまないじめや差別をうけていたのです。また、不登校気味だったこともあり、学校の授業に追いつけない状態になっていったのです。ジェーンは、学校の先生に相談したいと思ったのですが、ことばの壁もあり、先生とのコミュニケーションがスムーズにいかないまま、ミカの不登校は長期間になりました。学校以外のフリースクールの情報ももらったのですが、ひとり親家庭のジェーンの収入では、費用がとても支払えないものであることを知り、諦めなければなりませんでした。ミカの今後の進路について、先が見えない不安を抱えています。
▶複合差別をなくすために
ジェーンはDVの被害女性ですが、女性であり移民であることにより、より脆弱な立場におかれ、深刻な被害を受けながらも、差別や暴力からの救済や、安定した生活環境がえにくいといった状況を経験してきました。娘のミカも同様に、DVの家庭で育った暴力の影響、移民ルーツであることや母子家庭であることなどによる複合的・交差的な困難を抱えているのです。こうした交差的な困難は、トランスジェンダーの移民が、男女別の収容施設に登録上の性にもとづき収容される痛みにも表れています。
このように、さまざまな権力関係が複雑に絡みあい、社会関係や人びとの生に影響を与えることを交差性、また、そこで生じる差別を複合差別(あるいは交差性差別)といいます。移民であり女性であるというように、人種・エスニシティ、ジェンダー、国籍、宗教、性的指向、障がい、年齢、社会経済的地位、貧困状態など複数の属性・状況でマイノリティの立場に置かれる人は、複合差別を受けやすいことが知られています。
国連では、2000年ごろより、人種差別撤廃委員会や女性差別撤廃委員会などにおいて、複合差別・交差性の概念が明確に示されるようになり、「一般的勧告」や各国の条約審査などにおいても、その改善を求める勧告が具体的に出されるようになりました。日本でも2017年には、在日コリアン女性がヘイトスピーチ被害を訴えた裁判で、大阪高裁判決は「人種差別と女性差別との複合差別に当たる」と認めました。
ジェーンやミカが、日本社会のなかで尊厳と権利をもって安心して暮らしていくためには、ジェンダー、福祉、雇用、教育、ひとり親や子ども支援などのそれぞれの施策に「複合差別・交差性」の視点をもりこみ、移民や移民ルーツを持つ当事者が置かれた現状に対応ができるようにしていくことが必要です。
(イラスト 金明和)