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「推し」と言う言葉を選ぶ理由。

ここ数年、オタク文化の裾野が急速に広がり続けるのに従い、「推し」という言葉が普通に使われるようになってきている。

古く言うなら「イチオシ」であろうか。アイドルやアニメ、芸能人に至るまで。自分のお気に入りの人物やキャラクター、コンテンツを「推し」と表現するのだ。

オタク特有・ネット特有のスラングであるこの言葉は、しばしば批判の対象になる。

言葉は時代によって移ろいゆくものとはいえ、やはり古式ゆかしい日本語の美しさを浅薄な形に変えてしまうネット文化に、アレルギーを持つ人は少なくないように思う。異文化を敬遠するのは、ヒトとして当然の反応だろう。

しかし私はそれでも、「推し」という言葉を敢えて選んで使うことに決めている。

この話は、今では文化として馴染んでしまった「萌え」に通ずるため、そういった筋で読み解いていただけると分かりやすいように思う。



▶︎言葉の意味の複合化

「若者の活字離れ」が叫ばれて久しい世の中だが、これは「本という媒体で文字を読む」ことに焦点が当てられた古い言葉だと、私は考えている。

写真や動画が中心とされるSNSも、実際にはほとんどが文字で形成されており、むしろ本や新聞しか文字媒体がなかった頃と比べると、文字を読む機会は現代の方が圧倒的に多い。

だが、たしかにSNSの文章を新聞や雑誌と比べると、文章力の差、ボキャブラリーの差は著しく、チープであるのは否めない。

新聞や雑誌の記事はプロの記者やライターが書く文章なのだから、そもそも比ぶべくもないのだが、ではなぜSNSの文章がチープに見えるのだろうか。

それは、文字数が限られているからに他ならない。

ここで、一昔前に流行った「萌え」という言葉が引き合いに出される。

もちろん古くからある日本語の意味としては、植物の萌芽を意味する言葉なのだが、スラングとしては「可愛い」や「愛おしい」という言葉をさらに強調させ、オタク文化に沿うように改変されたものになる。

あまりに可愛い、愛おしいコンテンツを見た時に得る、名状し難い複雑な感情を言葉にしようとすると、人は往々にしてボキャブラリーを見失い、稚拙な言葉でしかその感動を言い表せなくなってしまう。

そんな時「萌え」という言葉を使うのは、自分の中に湧き起こるあらゆる感情を一括し、最上級の賛辞を相手に贈るためだ。

いま「独特のライブ感」が人気のひとつとなっているSNSにおいて、感情を叫び出したいときに自らの感情を朗々と語り出すのは、空気感的にもナンセンスなことが多い。なぜならそれは、140文字という限られた文字数に収められず、SNSのライブ感を損なうことに繋がるからだ。

現代の文字数の限られた媒体では、より短い言葉で膨大な感情を伝えるために、言葉の意味の複合化が必須なのである。


▶︎推しという言葉を選ぶ理由。

私が「推し」という言葉を選ぶ理由はまさに、この「意味の複合化」を目的としたものに他ならない。

普段、YouTubeで数多くのVtuberを視聴しているのだが、チャンネル登録しているVは20人に満たない。

Vの良さは、立ち絵が動くだけで中にライバーがいるという確かな「肉感」や「輪郭」を感じることだ。

立ち絵一枚の人や立ち絵のない人、顔出しをしている人とはまた別のラインの良さがある。私はVに対して、より人間らしい「質感」や、自分をコンテンツとして作り上げる際の「展望」を、よりリアルを求めていて、過去60件以上の登録から今の20人に削ぎ落とされている。

つまり、自分が求める理想のVとして厳選・選抜されたVたちなのだ。

彼らを見る目はまさに「後方腕組みオタク」。Vを演者・アイドルとして見るのではなく、自分の生活に寄り添ってくれる存在として見ている節があり、彼らはそんなリアルさを彼らは提供してくれる。

そんな人としての質感や輪郭をはっきり持つからこそ、彼らを応援したくなるなるのだ。

というここまでの気持ちを全て込めて、私は「推し」という言葉を使っているのだ。これを全て説明するのはSNSという媒体のみならず、日常会話においても相応しくないだろう。


▶個人の意見デス。

と、ここまで偉そうに語ってきてしまったが、結局のところ、人の個性やセンス、文化の潮流や環境などで使う言葉は変わってくるし、言葉への好き嫌いは今後も個々人ごとに現れてくることだろう。

これは私個人の意見であるので、推しという言葉が嫌いな人は、そのまま嫌いであっていいと思う。それはそれで、新たな言葉を生み出すきっかけになるはずだ。


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