見る自分と触れる自分

人間は実は多重人格であるらしい。

自分のなかにいろんな、人格がある。

この前、メンタルトレーニングのワークを、やったときにひとつ面白い気付きがあった。

「見る自分」と「触れる自分」も違うのだ。

昔研究室の先輩と話していて「意識の役割は異なる感覚モダリティーの統合だ」ということを、聞いてから、暫定的な機能のひとつとして考えている。

たしかに、「感覚」によっても自分は違うらしい。

使う言語によって感じる世界が違うということも、2言語操れる人と話すとよく、出てくる話題だ。

おそらく、用いる感覚も異なりそう。

ふと感じたのは、僕は本来「触れる自分」が、かなり鋭敏なはずだけど、日常でまったく研ぎ澄ませてないということ。

「見る自分」にばかり、自分を任せてしまっていたなぁと反省している。

もう少し「触れる自分」にも出てきてもらおう。

以下オマケ

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