主体的に生きるとは?
他人に人生を預けず、自らの足で歩くためには。
森下駅の階段を下駄でゆっくりと、体を丁寧に使っているときに、ふと考えた。
伊藤比呂美さんの、発表前の「般若心経」の超訳を、彼女の身体の振動、心の慟哭とともに、その肉声を聞いたから、そんなことを考えたのだろう。
白い点のように、脳裏に浮かんだ空間には「自らの行動を常に最初に据えよ」と書いてあった。
人は苦しい。
「理想」から「自分の行動」を見るのが苦しい。
「他人の行動」から「自分の行動」を見るから苦しい。
「意味」から「自分の行動」を見るから、苦しい。
基準を先に置いてしまうと、一生かけても「自分」に還れない。
そうではないのだ。
「自分の行動」を先に置く。そこから、「理想」や「他人の行動」や「意味」を見るのだ。
主体的とは、動作主をずらさないこと。
気を使わない、と自己中心とは、ちょっと違う。
発想は、行動より先には生まれない。
ならば、自分の行動を先にするしかないのだ。
なぜか、そんな簡単なことも僕はよく忘れる。
本来、主体的にしか生きられない。
そうなんだよなぁ。
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