人間のタイプを分ける様々な視点 その1
今日も、てつがくカフェでした。高校生4人と一緒にお話。
今回はひとつの「テーマ」についていろいろな側面から掘り下げていくのではなく、それぞれが思いついたことを重ねていく、雑談ベースに近かったが話は、「心のエネルギーがどういう状態のときに、心地よいと感じるのか」がメイントピックになっていた。そして、その中で参加者のタイプが解れていることに気づきがあった。
今日出てきた分け方は、大まかに分けて以下のとおり。
①日常が続くことに心地よさを感じるか/非日常が起こることに心地よさを感じるか
②心的ブレーキを自覚的にかけるか/自然にブレーキがかかっているか
③トップダウン型思考か/ボトムアップ型思考か
④一人でいたいか/誰かといたいか
⑤カッとなって反応するか/相手のいいところを見つけようと思うか
⑥ラーメンをシェアしたいか/つくって(もしくは見つけて)満足か
全部語っていくと長くなるので、6回に分割してそれぞれについて補足説明をしていく。
今日は、「日常が続くことに心地よさを感じるか/非日常が続くことに心地よさを感じるか」について。
心が躍るタイプか、心が鎮まるタイプか、ということかもしれない。
僕自身は、「非日常が起こること」に心が躍る。同じことの繰り返しや、もっというと、「同じ場所に居続ける」ということに「飽きてくる」タイプでもある。
枠の解体。システムの組み換え。そこに気づくときに興奮するし、わくわくしてくる。
対して、「日常が続くこと」に良さを感じるタイプもいることが分かった。それは、シリーズ2で述べる「ブレーキを自覚的にかけるか/自然にかかっているか」の違いでもあった。
非日常タイプは、心がうわーっと波打つときに、「心地よさ」とか「生きがい」を感じるようだ。対して日常タイプは「すーっと平静であること・恒常的であること」に「心地よさ」を感じるそう。
もちろん、これは程度の問題できっぱり二つに分かれるわけではない。
ただ、では心のエネルギーを大きく波にしたい人や心のエネルギーを平静に保ちたい人は、それぞれどんな生活を送るといいのだろうか?
予想外が起きるときに、働きだす脳みそと、定常的ななかで働きだす脳みそがある。とすれば、ある程度のかく乱が入った方が非日常タイプは活き活きするはず。
かく乱でいえば、旅に出ること。本を読むこと。人と話すこと。いつもと違った道を通ること。迷ってみること。
日常タイプはその逆で、いかにルーティンを作れるか、に腐心が必要かもしれない。
物理学選考の友達とは、乱流型と層流型という分け方をした。
さらに言えば、非日常タイプは自分のなかで「心の波」を上手に起こすことができれば、幸せ感は増えそうである。
日常がなければ非日常が感じられないように、非日常がなければ日常も感じられない。裏表の関係である。
この裏表をどれぐらいで配分するか、自覚的である必要がありそう。
その2に続く
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