その在り方は暮らしに直結しているか
今日も高校生たちの胸を借りててつがくカフェ。興味関心は「クリエイティブでいるためには?」だった。
アウトプットが大事。消費することだけでなく、生産出来ることが大事。仕事とは、生産することである。
そんなもやもやを、彼らと共有していた。いま思うと、どこかで来年以降の身の振り方に対しての不安も入り混じっていたのだろう。話しているうちにどこか重くなっていった。
「アウトプットがしんどくなくできるといいのに」ということも話し合った。何かを話すこと、何かを書くこと、表現することが、もっと素直に、自然に出てくるようなやり方はないのだろうか?
そんなとき、一人が「在ること」の大事さと、在ることに気づいたことでのふっとした軽さについて共有してくれた。
なるほど。たしかに私は、それまで「やること」に注目しすぎていて、「ただあること」の目線が曇っていた。
そう、「存在すること」が第一なのだ。
そして、その気付きがあった瞬間、「存在の仕方」ということが浮かんできた。自分はどうありたいか、と何をしたいのかが合わさる点。
being とdoingをつなぐもの。
「存在の仕方」。
今までにない視点であった。いつも「ある」と「する」を対比構造で捉えていたため、気付きもしなかった。
自分の気持ちを「書く」という「在り方」。食べるという「在り方」。存在が大事であり、かつ、どうやって存在したいか。
面白い。
もう一つ。参加メンバーが大学「生活」についての詳細なイメージを語ってくれた。こちらの目でもありありと思い浮かべられるそのイメージは生き生きとして、力強かった。
彼の共有してくれた気付きは、「大学で何を学ぶか」だけではなく、「どんな暮らしをしたいか」についてのイメージをしたところからどんどん豊かになっていった、という話であった。なにを学ぶかや、大学に行くこと自体悩んでいた彼も、憑き物がとれたように溌剌とそのイメージを披露してくれた。
能動性とは、生活実感に基づいているとは誰が語ったか・・・。
まさに彼は、自分の「生きている姿」をありありと描くことで、何かをえたのだろう。
「何を学ぶか」の「何」を具体化することに目が向きがちであったが、関心がそこだけでない彼は、「取り巻く環境」もふくめて「在りたい場所」を思い浮かべることが、ドンピシャだったのだろう。
自分が暮らしているイメージのなかで、「何」がしたいのかを具体化していく方法を学んだ。
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